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東京じゃ全く知られてませんが、明治維新150年を記念した「肥前さが幕末維新博覧会」は来年一月まで開催中。佐賀市の街角にゃ地元出身の偉人像が飾られてますが、誰が何方なのか・・申し訳ないです
チョット前のお噂で失礼致しますが、拙宅の在る東京から一千数百km彼方の九州北西部を旅した私メです。昨日は馴染みある博多をご案内しましたが、続いて訪ねた佐賀市の街中を歩くのは人生初めてのコト。
元日本一周ライダーの私メで、全国全ての都道府県に行ったコトが有りますが、県庁所在地の中で佐賀市だけ行ったコトが無く、コレでめでたくコンプリート!主だったトコで未訪なのは島根の「隠岐諸島」だけに!
ソウすりゃ旧律令国も全て制覇出来ますが、一体いつに成ったら行けるのかしらん?去年の今頃ソウルへ渡った時、飛行機が隠岐の真上を通りましたンで、窓から眺めては居るンですが・・誰か連れてって頂戴ナ。
鍋島家・三十五万七千石の本拠「佐賀城」は広大なお濠が目立ちますが、敵に攻められた時は外周部を水没させて防ぐ造りだったンで、別名が「沈み城」だったとか。城内のお堀端にゃ佐賀県庁が建ってますヨ
ソレはさて置き、初めて参った街は歩くのが一番とブラついてましたら、明治維新百五十年を記念した博覧会を街中でやってるとか。成るほど今年は慶応から明治へ元号が変わってから、ピッタリ百五十年ですナ。
尤もソレを喜ばしいと取るのは勝った側だけで、負けた側の中心・東京は再来年の五輪の方が大切と、そんなコトにゃ全く無関心。また東北の方じゃ戊辰戦争で貶められてから百五十年と、違う感慨を持ってる様。
ですが佐賀(=肥前佐賀藩・鍋島家)は勝った「薩長土肥」の一員の筈なのに、明治新政府からスッカリ排斥されちまった複雑なトコでして、「維新で佐賀は頑張ったンだ」とアピールしたい為に博覧会やってる感が。
佐賀城は明治七年(1874)に起きた「佐賀の乱」で激戦地と成り、華麗を極めた建築の殆どは焼け落ちて・・残ってるのは画像奥に見えてる「鯱の門(国の重文)」ぐらい。最近になって本丸御殿が再建されてます
初期の明治政府は薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)出身者が中枢を担いますが、最初のかじ取りを任されたのは内務卿・大久保利通公と司法卿・江藤新平公の二人。大久保卿は薩摩、江藤公は佐賀藩の出身。
西郷隆盛公を筆頭に「ぶっ壊し屋」ばかり居た薩長土肥の中で、「建て直し屋」はこの二人しか居らず・・崩壊した秩序を甦らせ、新たな制度を欧米から導入して新国家の枠組みを作らンと、役割を分担するコトに。
処がウマが合わなかったらしい。後に幼馴染みの西郷公すら攻め滅ぼす程に徹底した現実主義者・大久保卿と、理想を重んずる江藤公じゃ水と油。遂には意見が対立し、江藤公は政府を去って佐賀へ帰るコトに。
佐賀城の目の前に在るのは、江藤公や大隈重信公(早大の創始者)等を育成した幕末の藩主・鍋島直正公らを祀る「佐嘉(さが)神社」。昭和八年(1933)創建と新しいですが、佐賀市を代表する神社ナンだとか
西郷公が薩摩の不平士族に突き動かされて西南戦争を起こした様に、江藤公も郷里のソレを宥めきれず、明治政府・大久保卿を相手に決起したのが「佐賀の乱」。しかも佐賀藩が一丸と成って戦った訳じゃ無い。
理想主義者の率いる旧時代の武士と、現実主義者が創った新時代の徴兵軍隊の初めての戦いで、佐賀兵は確かに強かったが・・大久保卿自らが全国の兵を連れて参戦したンで、多勢に無勢で敗れ去るコトに。
江藤公は捕らえられて斬首され、明治政府から佐賀出身者が一掃されて薩長勢力の独占体制と成りますが、佐賀じゃ江藤公のお墓を詣でるのが流行ったソウで、維新博はその辺りをドウ説明してるンでしょうか。
佐賀市はお城のお濠だけじゃ無く、水路がアチコチに見受けられる街でして、道路の総延長より水路の方が長いンだとか。佐嘉神社の周りの水路にゃ大きな鯉が沢山泳いでましたが、先日の西日本大水害の際は増水したココから鯉が逃げ出して、冠水した街ン中を気儘に泳ぎ回って大変だったとか。幸いにして全て捕まって、無事戻された様です
(参考リンク)
★「さがばいどっとこむ」佐賀市観光協会HP
★「観光 佐賀市」佐賀市役所HP
★「他にはない佐賀のディープな地域観光メディア」佐賀ポータルHP
★「佐賀市在住ライターが教える!佐賀駅から徒歩で回れる1日観光ツアー」SPOT HP
★「佐賀 日常 旅」さがごこちHP
★「肥前さが幕末維新博覧会」肥前さが幕末維新博推進協議会HP
★「ようこそ、水と緑の公園へ」佐賀県立 佐賀城公園HP
★「佐賀城のこと」佐賀県立 佐賀城本丸歴史館HP
★「江藤新平の生涯と最期!佐賀の乱の起きた理由と、大久保利通との因縁」レキシルHP
★「佐賀の乱はなぜ起きた?そして、どのように鎮圧された?江藤新平と大久保利通の思惑」BUSHOO!JAPAN HP
★「『佐賀は世界を見ていた』明治維新から150年、佐賀の偉人に光」産経ニュースHP
★「神々を鎮め祀る栄の社」佐嘉神社HP
★「八社巡りで大願成就!佐賀県『佐嘉神社』のご利益いっぱい境内さんぽ」Travel.jp HP
★「浸水した街中をコイが泳ぎ回る。佐賀市の中心部。どこからやってきたかというと」ハフィントンポストHP
★「九州の味とともに 皿うどん」霧島酒造HP
★「『春駒食堂の皿うどん』これはウマい佐賀のB級グルメ!麺のおこげの食感が抜群」佐賀ポータルHP
(関連する記事)
★「2214 【スイーツ165】政府最高首脳暗殺現場で『白くま』を・・紀尾井町」
★「2322 【保存食品56】最後の将軍、世紀の大和解・・小日向」
★「2442 【お米料理219】日本の二大革命家と『五百円メンチカレー』・・南青山」
★「2807 【麺類色々243】百五十回忌の新撰組と『豚ラーメン』・・滝野川」
★「3046 【お米料理298】新撰組最強の男と『会津ソースかつ丼』・・会津若松」
★「3124 【保存食品74】戊辰戦争百五十年!桜咲く二本松城と『菊芋の甘酢漬』」
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
(相手が悪過ぎた感が・・だって大久保卿は明治維新の主役ですから)
佐賀じゃ無くてお隣りの長崎の名物で恐れ入りますが、「皿うどん」って有るじゃないですか。細い揚麺の上に餡かけが掛かってるのを見て、コレの何処がうどんじゃいと訝しく思ってましたが、長崎から佐賀を通って福岡県に至る一帯じゃ一般に知られてるソレと違う・・確かにうどんっぽいと思えるのが在りますヨ。ソレが「太い皿うどん」で、判り易く言えば焼きそばみたいに炒めたちゃんぽんのコトですナ。汁麺のチャンポンを生み出した長崎・四海楼のご主人がコレを創出したらしく、ソコから更に創意工夫したのが揚麺の「細い皿うどん」ナンだとか。佐賀市のナンと云うお店で食べたかメモが見付からず申し訳ないですが、ちゃんぽんを炒めるとこう成るだろうナ・・もっと広がれば良いのにネ