きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
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2346 【呑みモン60】小さな城下町の「ざら茶」・・津和野
フェイスブック、本格的に始めてみました!どうかご覧下さいませ

「山陰の小京都」津和野町は、島根県の南西端の静かな街。亀井家四万三千石の城下町で、明治の文豪・森鴎外センセの出身地としても知られてますナ。さだまさしさんの名曲「案山子」の舞台だったりもします

度々触れて居りますが、私ぁ昨年末から心神がずっと不調で、ソレをドウにか治さンと高座の傍ら、服薬治療と青空療法の両輪で療養に励んで居りますヨ。一度失敗しましたが、改めて減薬期に入れそうな気配。

ソレなりに強い薬を幾つも服用してますンで、様々な副作用が次々出現してますが、メインの薬の主なソレは「太る」。処が私ぁ痩せてく一方で、正直困り果ててますヨ。食欲旺盛で、ムシャムシャ食べてるのに・・ネ。

恐らくは青空療法で毎日歩いてますンで、太ろうとする副作用に勝る消費カロリー過多ナンでしょう。尤も好きで歩いてる訳じゃ無く、リズム良く歩く事で脳内物質セロトニンの分泌を促す療法、仕方無いンですが。

せめてもと、このブログ旅日記でご紹介してるモノ以外は、身体に良いモノを選んで食べる様にしてますヨ。ホントは身体に良いモノで「面白いモン」が有れば良いンですが、なかなかソウは都合良く参りませんナ。


津和野の観光スポット「殿町通り」沿いの掘割にゃ、色とりどりの鯉がウジャウジャと。私メも芸名に「鯉」が入ってますンで、こう云う風景を見ますと無性に嬉しく成りますナ。ソレにしても太った鯉の多いコト・・

食べるモンもソウですが、飲むモノにも気を遣う様にしてますヨ。睡眠薬の影響を払う為に、熱いコーヒーを毎朝ガブ飲みするのは仕方無いとして、ソレ以外で愛飲してるのは「ざら茶」と云う、島根・津和野の薬用茶。

お茶と云っても所謂「緑茶」等じゃ無く、「カワラケツメイ」と云うマメ科の植物の小枝やら葉っぱやら豆の莢やら、ナンだか得体の知れぬ・・枯葉の屑みたいなモンが焙煎して有り、フツーのお茶と同じ様に飲みます。

心神が崩壊する寸前。つまり昨年秋に山陰を旅する機会が有り、その時にコレを初めて知りましたが、島根じゃ全県的に広く愛飲されてるのに、県外に出ると誰も知らンと云う、全くローカル極まるソウルドリンク。

実にまあるい・・甘さすら感じる柔かい味。古くは全国でお茶代りに飲まれた様ですが、ソレが島根だけで生き残り、特に津和野じゃコッチが当り前だとか。緊張解しに効果の有る、面白くて身体に良いモノですナ。



「山陰の小京都」津和野は、旧国鉄が昭和四十五年(1970)に始めた観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」で再発見され、全国から観光客が訪れる様に成った街。大阪万博の閉幕による乗客減への対策だった様ですが、ソレまでの団体旅行主流から、今みたいな個人旅行主流に変わった切欠が、この観光キャンペーンだったとされてますヨ。当時の津和野にゃ現在のほぼ倍の百五十万人が全国から押し寄せ、パニックに近い状況だったと聞きますが、ソレ以来・・中国地方を代表する観光地の一つに。今年は秋が暖かすぎるンで未だですが、紅葉がキレイに成ったら混み合うンだとか。私ぁ、空いてる方が嬉しいですが

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★明日は「東京都豊島区西池袋」への訪問記です★

(参考リンク)
★「ゆ〜うにしんさい」津和野町観光協会HP
★「歴史と文化の薫る日本のふるさと」島根県津和野町役場HP
★「津和野・石見エリア」神々のふるさと山陰HP
★「城下町彷徨 石見津和野」Blue Signal JR西日本HP
★「『鯉』をとにかく愛しすぎてる街が島根県にあった・・」NAVERまとめHP
★「『ディスカバー・ジャパン』がつくった旅スタイル」トレたび・交通新聞社HP
★「国鉄の思い出☆ディスカバージャパン」ケンさんの探鳥記ブログ
★「津和野の謎のお茶」まうごてんHP
★「カワラケツメイ」イー薬草・ドット・コムHP

★「ざら茶とはま茶とまめ茶」日々のくらしをゆるゆるとブログ
★「肺を清め滋養強壮効果が!? 〜カワラケツメイ〜」音感ナッシング女のひとりごとブログ


(関連する記事)
★「020 【お魚料理01】浜田行き寝台特急と『赤天』」
★「401 【名物パン34】赤穂・加里屋でカリーパン」
★「601 【麺類色々30】龍野のお殿様は鉄拳の持ち主だった」
★「1281 【団子饅頭50】松之大廊下と『義士白玉粉』‥皇居東御苑」
★「1880 【お肉料理58】吉良さまの御墓所と『鉄板麺』・・東中野」

★「1934 【呑みモン54】神さま方のお宿と『はま茶』『ざら茶』・・出雲大社」
★「1965 【麺類色々152】甍街道と『スパゲッティ風めん』・・江津」
★「1967 【お魚料理93】『赤てん』と竹島密貿易事件・・浜田」
★「1968 【麺類色々153】聖の没した益田で『ローメン』を」
★「1969 【スイーツ142】藩の危機を救った?『源氏巻』・・津和野


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」

★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」

(十六茶にカワラケツメイは入ってますが、爽健美茶にゃ入ってません)


同じ島根県内でも東部は「はま茶」・中部は「まめ茶」、そして津和野を初めとした西部じゃ「ざら茶」と言うンだそうですヨ。もちろん味や効能に余り変わりは無い筈ですが、私ぁ「つわの香味園のざら茶」を毎日飲んでますネ。緑茶には緑茶の美味さや効能が有りますが、一日も早い心神の寛解を目指すが為に・・常時緊張したままの私メを、ざら茶の柔らかな味が確実にほぐして呉れてますネ。コレを飲むとホント落ち着くンです、良いモノに巡り合えたと深く感謝!なおステマじゃ有りません



| 2015.11.25 Wednesday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1969 【スイーツ142】藩の危機を救った?「源氏巻」・・津和野


日本百名城の一つ「津和野城」は、津和野川を挟んで古い町並みと向い立つ「霊亀山(標高367m)」の頂上に在りますヨ。麓からリフトで上がれますが、今回は時間の都合でやむなくパス。絶景が望めるそうナ

あと少しで師走ですネ。私メら講釈師的には「師走=赤穂義士伝」の時期でして、お芝居で云う「忠臣蔵」・講談で云う「赤穂義士伝」を高座で多く読む様に成りますヨ。何しろ十二月十四日は討ち入りの日ですから。

兵庫・赤穂の藩主・浅野内匠頭サマが、幕府の高家(作法指南役)筆頭・吉良上野介サマに対し、江戸城内で斬り付けて失敗したのが事件の発端。浅野の家来は吉良邸に翌年討ち入り、主人の恨みを晴らします。


津和野城のリフト乗り場の近くに、「太皷谷稲成神社」と云う派手なお社が在ります。国内唯一の「稲成」と称するお稲荷さんで、藩主・亀井家が安永二年(1773)に創建したモノ。五大稲荷の一社と称してます

最大の謎は「ナゼ斬り付けたか」。諸説有りますが、一番流布してるのは「浅野は吉良に賄賂を贈らず、ソレが為に苛められて逆上した」と云うモノ。当時の常識で考えますと、ソレならば浅野の方が悪い事に成る。

私メら講釈師は「見て来た様に」出鱈目を喋ってる様ですが、実際は事実を調べ、或る程度は判った上で虚構を拵えてますゼ。だから馬鹿じゃ出来ません、尤も利口な人は成りませんが・・。ま、賄賂説は判り易い。


津和野最大の偉人は、明治の文豪「森鴎外」センセ。本業の軍医総監しての評判はサッパリですが、文学史には確かな地位を築いてますナ。津和野藩の藩医の家系で、その生家が今も大事に残されてます

だからか?「吉良は以前から苛めを繰り返していた」とする、まるで講談みたいな話が残ってたりする。内匠頭サマが務め切れなかった「勅使接待役」を、その前年に島根・津和野の藩主・亀井能登守サマが務めた。

その際に吉良サマは能登守サマも苛めようとしたが、家老が機転を利かし、「津和野名物の源氏巻でございます」と賄賂を届けて機嫌を取り、無事に接待役を果たすコトが出来た・・と成ってる。多分、虚構ですゼ。


津和野は「山陰の小京都」として町おこしに成功し、今や全国区の有名観光地に成ってます。但し萩市とセットで扱われる事が多いンで、山口県とだ思ってる方が多い筈。宜しいですか、津和野は島根県です

講釈師として思うに、余りに話が出来過ぎてる。ま、津和野じゃ事実として扱われ、ソレを起源とする「源氏巻」と云う和菓子が、古い街並みのアチコチで作られ売られてます。藩の危機を救った目出度い菓子として。

私メもその逸話は前から知ってましたが、源氏巻は見るのも食べるのも初めてで、実在するとは驚いた!「信じちゃえばソレも真実」と云う格言を想い出し、きっとソウだったに違いないと信じた津和野の私メでした。


津和野はディスカバージャパンの時代に発掘された街で、町興しの歴史が長いだけに実に見事に整えられてますネ。この日はたまたま観光客の姿が薄かったですが、オンシーズンは大勢が歩き回るソウですヨ
 

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★明日は「大阪府大阪市港区天保山」への訪問記です★

(参考リンク)
★「ゆ〜にしんさい」津和野町観光協会HP
★「歴史と文化薫る日本のふるさと 津和野町」津和野町役場HP
★「津和野城」home.384.jp HP
★「山陰の小京都・津和野<津和野城址>」日本の城訪問記HP
★「日本五大稲荷」太皷谷稲成神社HP
★「森鴎外記念館」津和野町役場HP
★「
亀井茲親 赤穂浪士事件になりかけた未遂事件」知泉Wiki HP
★「源氏巻の由来」熱愛源氏巻ぶろぐ
★「津和野名物 源氏巻」津和野 峰月堂HP
★「津和野のお土産『源氏巻』」竹風軒HP

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★「401 【名物パン34】赤穂・加里屋でカリーパン」
★「601 【麺類色々30】龍野のお殿様は鉄拳の持ち主だった」
★「1281 【団子饅頭50】松之大廊下と『義士白玉粉』‥皇居東御苑」
★「1880 【お肉料理58】吉良さまの御墓所と『鉄板麺』・・東中野」
★「1965 【麺類色々152】甍街道と『スパゲッティ風めん』・・江津」
★「1967 【お魚料理93】『赤てん』と竹島密貿易事件・・浜田」
★「1968 【麺類色々153】聖の没した益田で『ローメン』を


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」

★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」

(講談も『赤穂義士』ならぬ、『津和野義士』だった可能性が有るのネ)


コレが噂の「源氏巻」。大きなどら焼きの皮一枚で、こし餡を包んで算盤状に薄く延ばした・・と云う表現に成りましょうか。津和野藩主の正室が命名したとされてますが、お話では家老が知恵を凝らし、餡子の代わりに小判を包んで吉良サマに献上し、その翌日から苛めが無く成ったとされてますネ。津和野の和菓子屋さん十軒ほどがコレを作り、それぞれ特徴を競ってて楽しいねぇ。今回は「竹風軒さん()」と「峰月堂さん()」のを何本か買って参りましたが、実に上品な味わいでした




| 2014.11.17 Monday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1968 【麺類色々153】聖の没した益田で「ローメン」を


大変に失礼ですが、山陰は人口が少ない分だけ海が綺麗です。益田市近くの高台から海を眺めみれば、JR山陰本線の線路越しにご覧の風景が。コレから厳しい季節に成りますが、この青さは羨ましいですゼ


島根県西部「石見地方」を、西へ西へと進んで益田市へ到着した私メです。学生時分の全国をフラフラしてた頃にココを訪ねてる筈ですが、残念乍ら全く覚えて居らず、初めて訪ねた街も同様。さてドウしましょう。

仕方無いンで調べてみれば、益田はどうも画家の「雪舟禅師」に関わり深いトコだとか。雪舟さんと云えば「画聖」と称される程で、伝統絵画の世界じゃ神様扱いされてる名画家。なのに・・正直私ぁ良く知りません。

自慢出来ませんが、私ぁ絵心や才能がほぼ全く無く、絵画なんて「欲しい」「欲しくない」でしか判断が出来ぬ。尤もソレを尊敬する美術評論家林紀一郎センセに訊いたれば、「その基準で良し」と言われましたケド。

雪舟さんこと「雪舟等楊」禅師は岡山・総社市のお生まれで、室町時代の京都で禅宗を学ばれたお方。禅の修行の一環として水墨画を学び、その後中国・明へ渡って、本格的に水墨画法の会得に励まれますナ。
 


雪舟禅師の没地は諸説有りますが、永正三年(1506)に益田の東光寺で八十七歳で亡く成ったと云うのが一番有力だとか。東光寺の後を継いだ「大喜庵」と云うお寺の一角に、そのお墓が大事にされてますヨ

要するに・・西洋画を学ぶ人が、パリとかに留学する様なモンですナ。尤も水墨画だけじゃ無く、雪舟さんは禅宗も深く学び、「第一座」の栄誉に預かった様で、意気揚々と帰国したれば京の都は応仁の乱で大荒れ。

とてもとても禅宗や絵画の研鑽を極められる状況じゃ無く、前々から贔屓して呉れてた守護大名・大内氏を頼り、現在の山口県へ移り住むコトに。ソコで仲良く成ったのが、益田の領主だった「益田種堯」なる武将。

益田家は大内家の傘下。すっかり意気投合した雪舟さんは、種堯公の招きに応じて益田へ移って庵を結び、様々な名画を描いて亡く成ったンだそうナ。益田で描かれたモノの中に、国宝や重文は随分多いらしい。

当時から有名だったソウですが、江戸時代に成ってから画壇を支配してた狩野派が雪舟さんを崇め立て、何時しか「画聖」と呼ばれる様に成ってますヨ。私ぁ益田を今回訪ねるまで、ソウとは全く知りませんでした。


益田にはもうお一人「聖」が居られます。ソレは三十六歌仙の一人で「歌聖」と称される、飛鳥時代の大歌人「柿本人麿」公。朝廷から石見国の国司として遣わされ、養老四年(720)頃に益田で亡くなったとされてますナ。ココじゃ「柿本神社」に神様として祀られ、尊敬されてます

 

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★明日は「島根県鹿足郡津和野町」への訪問記です★

(参考リンク)
★「ようこそ益田市へ」益田市観光協会HP

★「なつかしの国 石見」石見観光振興協議会事務局HP
★「美しい自然、人麿と雪舟の町。益田市」タウンネットガイド益田市HP
★「晩年を益田で過ごした『画聖』雪舟」益田市役所HP
★「SESSHU」益田市立雪舟の郷記念館HP
★「益田市 大喜庵」栗林義長の歴旅HP
★「万葉集ゆかりの地で多くの歌を残した『歌の聖』柿本人麿」益田市役所HP
★「高津柿本神社」益田市観光協会HP

★「豊味軒」関心空間HP
★「癖になりそう・・豊味軒」エキテンHP

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★「020 【お魚料理01】浜田行き寝台特急と『赤天』」
★「788 【お魚料理40】出雲大社と『あご野焼』」
★「789 【お魚料理41】日暮れを祀る神社と珍味『板わかめ』‥日御碕」
★「1495 【やきそば153】ドッチが出て来る?伊那の『ローメン』」
★「1855 【名物パン205】『淡雪シベリヤ』と芭蕉翁・・藤川宿」
★「1933 【麺類色々149】慶祝の出雲大社で『出雲そば』を」
★「1934 【呑みモン54】神さま方のお宿と『はま茶』『ざら茶』・・出雲大社」
★「1965 【麺類色々152】甍街道と『スパゲッティ風めん』・・江津」
★「1967 【お魚料理93】『赤てん』と竹島密貿易事件・・浜田


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」

★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」

(益田市の石見空港を使えば、東京まで105分!但し一往復だけ!)


JR益田駅前の「豊味軒」と云う、半世紀以上の歴史を誇る老舗中華料理店サンの、看板メニュー「ローメン」が美味いと云うので行って参りましたヨ。ローメンと云うと長野・伊那市の焼きそばみたいなモンが有名ですが、ソレとは全く違う「餡かけソバ」でしたネ。海鮮入りの醤油餡かけで、おっとコリャ美味ぇ。クセに成ると云うのが判りますが、東京からは余りに遠過ぎて・・次回食べられるのは何時だろう?体が暖まります




| 2014.11.16 Sunday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1967 【お魚料理93】「赤てん」と竹島密貿易事件・・浜田


青い海に巨大斜張橋「浜田マリン大橋」の架かる浜田港は、山陰の二大漁港の一つ。会津屋八右衛門はココから出航して「竹島」へ渡り、李氏朝鮮と密貿易を行います。ソレは天保七年(1836)に発覚する事に

島根県西部「石見地方」を西へ向い、その最大集邑・浜田市へ参りました。間もなく二千記事に届く当ブログ旅日記の、僅か二十本目の記事が浜田訪問記でしたが、ソレから約五年も経っての再訪が叶いましたゼ。

良くもまぁ続いてるモンだと、我ながら感心するやら呆れるやら。コウなりゃ目指せ三千本!海外にも飛び出したいモンだ。さて浜田は山陰の要衝として、江戸幕府は信用出来る譜代を城主としてココに封じます。

何人か幕府の要職を務めた殿さまが居り、総理大臣格の「老中首座」に成った方まで居られます。コリャ遠方の大名としては破格なコトですが、その老中自らが国禁を破り、密貿易して大騒ぎに成った事も有ります。

ソレは浜田藩の十三代藩主「松平周防守康任(やすとう)」と云う方で、第十一代将軍・徳川家斉公に気に入られて寺社奉行・大阪城代・京都所司代・老中と要職を重ね、天保五年(1834)に老中首座に就きますヨ。


浜田市中心街に小高く聳える亀山に、浜田藩の本城「浜田城」がございますヨ。本丸からは日本海が良く望める名城で、海側から見るとまるで海に突き出してる様な造りだったとか。立派な石垣が残ってます


老中首座と云えば国のトップで、栄華この上ないですが・・費用が随分掛りますヨ。確かに歳費も出ますが、ソレ以上に出費は著しく、浜田藩は財政が大悪化!方々から借金して充てますが、この儘じゃ破産だ!

ソコで御用商人の会津屋八右衛門が、「日本海に浮かぶ竹島で朝鮮国と密貿易し、ソレで財政を立て直そうじゃないか」と突拍子も無い提案をして来ます。幕府の許可は無いけれど、ウチの殿様は幕府のトップだ。

但しこの竹島は、今韓国と揉めてる竹島じゃ無く、その隣に浮いてる鬱陵島の事ですナ。家老たちは賛同し、康任公もまた黙認する形で、この密貿易で大儲け。財政はほぼ再建され、万事目出度しあぁ良かった!

処がコレに気付いた男が・・。ソレぞ公儀隠密を永年勤め、後に北方探索で有名に成った「間宮林蔵」。その調査の結果、康任公は罷免され、松平家は領地替えさせられる事に。驚きの歴史が浜田に在りました。


浜田城の本丸跡から、日本海を眺めてみましたヨ。ココは幕末の長州征伐の際に大激戦地と成り、やむなく自ら火を放って落城・・。その為に天守閣その他が全く残ってませんナ。竹島はこの海の彼方ですゼ
 

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★明日は「島根県益田市」への訪問記です★

(参考リンク)
★「浜田市観光情報」浜田市観光協会HP
★「なつかしの国 石見」石見観光振興協議会事務局HP
★「はまごち」浜田の五地想ものがたり推進協議会事務局HP
★「浜田マリン大橋」島根県立浜田高校第36期同窓会HP
★「浜田城〜島根県浜田市〜」裏辺研究所HP
★「浜田城 歴史の散歩道」浜田市役所HP
★「会津屋八右衛門と竹島事件」みやざこ郷土史調査室ブログ
★「会津屋八衛門密貿易の巻」Samurai Woeld HP
★「【歴史ミステリー】江戸隠密界のスターたち 北方探検 間宮林蔵」記事だす!HP

★「浜田市特産品 赤てん」いわみの種HP
★「江木のなうなう赤てん」江木蒲鉾店HP

(関連する記事)

★「020 【お魚料理01】浜田行き寝台特急と『赤天』」
★「788 【お魚料理40】出雲大社と『あご野焼』」
★「789 【お魚料理41】日暮れを祀る神社と珍味『板わかめ』‥日御碕」
★「966 【野菜果物34】間宮林蔵と板橋不動と『筑波落花生』‥つくばみらい」
★「1933 【麺類色々149】慶祝の出雲大社で『出雲そば』を」
★「1934 【呑みモン54】神さま方のお宿と『はま茶』『ざら茶』・・出雲大社」
★「1965 【麺類色々152】甍街道と『スパゲッティ風めん』・・江津


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」

★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」

(会津屋八右衛門は死罪と成りましたが、浜田では偉人とされてます)


前回訪問時もご紹介しましたが、浜田と云えばやっぱり「赤てん」!魚肉のすり身に唐辛子粉を混ぜて良く練り、ソレにパン粉を付けて揚げた「揚げ蒲鉾」。唐辛子が入ってるンでピリッとするのが特徴で、もう六十年以上も前から、浜田じゃ当たり前のモノとして親しまれてるとか。今回は中にチーズが入ったのも買って参りましたが、酒に合いますヨ




| 2014.11.15 Saturday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1965 【麺類色々152】甍街道と「スパゲッティ風めん」・・江津


島根・江津市は、中国地方最大の河川「江の川(ごうのかわ)」の河口の街。日本海と内陸水運の結節点として「江津本町」は栄えましたが、最寄り駅のJR三江線「江津本町」駅の平均乗客数は「0人/日」です

山陰・島根県の西部「石見(いわみ)地方」へ参った私メです。先ず訪ねた江津市は、東京からの移動時間が一番遠い街として知られてたトコで、山陰じゃ一番人口の少ない市。二万五千弱だから、町レベルだ。

ですが昔は日本海を往来する北前船と、江の川を通って中国山地の奥から運ばれて来る、物資の積み替え港としてエラク栄えてたトコらしい。その江の川の河口の港町()だから、「江津」なのは言う迄も無い所。

江の川は東日本じゃ珍しいタイプの、まるで運河の様に太くて穏やかで水量豊富な川で、比較的大きな船がスイスイと、山地の奥の街(広島・三次市など)へ通ってたらしい。昔はトラックが無いンで、水運が便利!

また世界遺産「石見銀山」が結構近くで、ソコから採掘した銀や銀鉱石を、江戸や大坂に運ぶのも江津からが専らだった様。だから幕府はココを直轄地にしますが、大名領と違って規制が緩いンで尚更栄えた筈。


山陰最大の港町だった「江津本町」は、JR江津駅から遠い為か?古い街がそっくり残ってますヨ。右手の洋館は明治二十年頃に出来た「旧江津郵便局」で、地元の大工が神戸の洋館を真似て建てたとか

その繁栄は大正時代まで続きますが、鉄道の出現で終わりを告げる。まず昭和八年(1933)に海沿いを走る山陰本線が全通し、また江の川沿いの三江線も、河口の江津から奥に向けて順次延びて行きますヨ。

つまり船の時代じゃ無く成っちまった訳だ。しかも鉄道の江津駅は、川沿いの港町・江津本町と山一つ隔てたトコに作られ、賑わいはソッチへ。本町側も何とかしようとしたンでしょうが、時代の流れに逆らえぬ。

てな訳で・・江津にゃ駅前市街地の他に、江津本町と云う昔の街が在ったりする。今の駅前は至極閑散としてますし、本町の方も往年の繁栄が夢の様な塩梅で、平日夕方に歩いたのも有りましょうが、誰も居らん!

ですが特産の赤い石州瓦でほぼ統一された、見事な街並みが結構残ってて、コレを「甍(いらか)街道」と名付けて観光振興を図りたい様。コレが関東近郊なら直ぐ賑わうンですケド、幾らナンでも江津は遠過ぎます。


江津本町の一角に、「旧江津町役場()」と「山辺神社(左奥)」が並んで建ってます。中でも山辺神社は白雉三年(652)に創建されたと伝わる古社で、川渡りの神事「ホーランエー」はココのお祭りだったりします
 

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★明日は「島根県浜田市」への訪問記です★

(参考リンク)
★「江津市観光サイト」江津市観光協会HP
★「島根県石見地方の情報」いい石見HP
★「江津本町甍街道(いらかかいどう)」BLOG自然と命ブログ
★「江津本町の古い町並み」一路一会HP
★「旧江津郵便局(天領江津本町甍街道)」yume cafe京都ひとり歩きブログ
★「三江線 江津本町駅」旅と汽車ブログ

★「山辺神社」玄松子の記憶HP
★「山辺神社祇園大祭」観るナビ・日本観光振興協会HP
★「スパゲティ風ソフト麺」リメンバーしまねHP
★「味のスパゲッティ風めん」ごはん日記ブログ

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★「020 【お魚料理01】浜田行き寝台特急と『赤天』」
★「771 【麺類色々44】東海地方じゃ常識『ソフトスパゲティ』」
★「788 【お魚料理40】出雲大社と『あご野焼』」
★「789 【お魚料理41】日暮れを祀る神社と珍味『板わかめ』‥日御碕」
★「1275 【麺類色々85】東海地方じゃ常識『ソフトスパゲティ』2」
★「1492 【麺類色々105】ジーンズの街・児島で『クルードスパゲティ式めん』」
★「1932 【名物パン212】木綿街道で『フライパン』を・・平田」
★「1933 【麺類色々149】慶祝の出雲大社で『出雲そば』を」
★「1934 【呑みモン54】神さま方のお宿と『はま茶』『ざら茶』・・出雲大社


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」

★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」

(三江線は全国のJR線の中で、一番赤字が酷い路線だったりします)


江津本町は土産物屋や食事できるトコが皆無でしたンで、代わりに島根県内のドコに行っても売られてる「スパゲッティ風めん」をご紹介。右のは松江市の中隆サンの、左は江津から三江線で少し奥へ行った美郷町の児玉製粉サンの商品で、パスタと云うより中華麺に近い感じの茹で麺に、トマトパウダーを絡めて食べるモノの様。私メの育った静岡にゃ、初めっから味の付いてる「ソフトスパゲティー」なるモンが有りますが、ソレに近いB級感が漂ってますナ。島根にゃコレのメーカーが結構多いらしく、地域ごとに好まれる味が少しずつ違ってるンだソウです




| 2014.11.14 Friday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1964 【お米料理151】城址から眺める米子で「大山おこわ」を


市街地と中海との間に聳える、湊山の頂上に石垣が残るのが「米子城(久米城)」。山頂の標高は僅かに九十mだけですが、ほぼ三百六十度に近いパノラマで‥絶景かな絶景かな!遠くに日本海も見えてますゼ


山陰地方の中央に位置する、鳥取・米子市を訪ねた私メです。ココは市街地の主だった道が広いンで、レンタカーのハンドルを握って方々ウロついてましたが、国内五位の太湖「中海」の畔で地元の方に言われた。

曰く「あの山の上に城跡が在って、ソコからの眺めは抜群」と。十五分ぐらいの登りと言うンで「そりゃ面白そう」と、早速登り始めましたネ。登山道()は程よく整備されてて、歩くの大好きな私メにゃチョロいチョロい。

鳥取県の二大都市・鳥取市と米子市は、ナニかと競い合うライバル関係ですが、江戸時代は池田家が鳥取県全てを抑え、本城は鳥取市の方。一方米子は筆頭家老の荒尾氏が城代と成り、半ば独立して治めてた。

俗に「自分政治」と称しますが、米子は本当なら山陰の首邑に成ってた筈の街。ソレは私メの登った湊山に、毛利家から山陰全ての統治を任されてた重臣・吉川広家公が城を築いたから。いや、築こうとしてたから。


中海に突き出した湊山に、米子城が完成したのは慶長五年(1600)のコト。つまり関ヶ原合戦の有った年ですが、その合戦の為にココを築いていた広家公は岩国に転封されてしまい、完成を見られませんでした

戦国の謀将「毛利元就」は中国地方の征服を目指し、次男の元春公を吉川家に養子として送り込みますヨ。同様に三男の隆景公を小早川家に送り込み、両家を乗っ取ります。俗に「毛利の両川」とか言いますナ。

優秀な息子サン達で、毛利の先兵として吉川は山陰を。小早川は山陽を次々征服し、毛利一族は西日本最大の大名に!元春公の跡継ぎ・広家公は、血族の筆頭として関ヶ原合戦に臨みますが、東軍か西軍か?

広家公は「東軍が勝つ」と見抜きますが、毛利本家は利に釣られて西軍に付くコトに。コレじゃ毛利が潰されちまう!ならば「毛利を東軍相手に闘わせない」なる暗約を、徳川家康公と結びます。領地はコレで安心。

処が若い広家公と、老練な家康公とじゃ役者が格が違い過ぎる。マンマと謀られた広家公は合戦後転封を命ぜられ、他の毛利一族は領地を全て没収される事に!この為に米子城の完成を待てなかったンですナ。


米子城は天守閣が二つ在ると云う、実に立派なお城だった様ですが、明治維新後に取り壊されて石垣しか残ってません。さて広家公は騙された責を一身に負い、家康公から転封を命ぜられた周防・長門二ヵ国(今の山口県全て)を毛利家に献上して存続させ、自らは岩国の領主に身を堕とし、幕末まで下らない文句を言われ続けるコトに成ったとか。そもそも西軍に付こうとした毛利本家の不見識が悪いのに、ソレを認めず責任転嫁してたとは、コレだから薩長土肥の輩共は・・。広家公もこの米子城から心静かに、右手に聳える大山を眺めたかったでしょう

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(参考リンク)

★「米子観光ナビ」米子市観光協会HP
★「米子ガイド」山陰どっと混む・中海HP
★「だんだんサミット」中海・宍道湖・大山圏域市長会事務局HP

★「国史跡 米子城址」米子市役所HP
★「日本全国城ある記・米子城」城メグリスト・ブログ
★「二基の天守閣が存在した『米子城』」日本の城訪問記HP
★「裏切り者か功労者か‥吉川広家、プレゼンと譲歩戦術で毛利家の取り潰し阻止」ZAKZAK・HP
★「ドラマ化して欲しい戦国武将『吉川広家』」渡る世間は愚痴ばかりブログ
★「大山おこわ」食のみやこ鳥取県・鳥取県庁HP
★「【ご当地グルメ】鳥取のソウルフード!3位『大山おこわ』」マイナビ・ウーマンHP

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★「019 【スイーツ01】ひょっとこ達の終わらない宴」
★「818 【揚げモン29】清水寺ネットワークと『安来の泥鰌』」
★「819 【お米料理56】米子で考える『バカ殿』と『かにめし』」
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★「1961 【麺類色々151】恨みを晴らした淀屋と『牛骨ラーメン』・・倉吉」
★「1962 【呑みモン55】里見八賢士と『白バラコーヒー』・・倉吉」
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(鯉風のお仕事)
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(広家公は毛利家を救った大恩人なのに、裏切り者扱いされてます)


米子っ子のソウルフードは、ご覧の「大山おこわ」だソウですヨ。米子のシンボル「大山」で修業した僧たちの精進料理がルーツで、ソレが家庭料理化したモノだとか。大山地鶏や大山の山草を始め、米子周辺で採れるモノだけを使って蒸し上げた醤油味のおこわ。古くから存在する家庭料理なんで、残念ながらコレを気軽に食べられるお店は少ない様




| 2014.11.13 Thursday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1963 【スイーツ141】「梨のんの」を舐めて米子をドライブ!


国道九号線を挟み米子市役所の前に建つのは、昭和五年(1930)に建てられた「山陰歴史館」。山陰一の洋館で、昭和五十九年(1984)まで米子市役所として使われてたンだとか。夜はライトアップされてます


山陰二県の一つ、鳥取県を旅してます。念の為に申し上げておきますが、中国地方の日本海側・山陰は「左が島根県」「右が鳥取県」ですからネ。尤も思想的にゃ、コレが左右逆だったりするから面白いンですが。

失礼ながら山陰はイメージが地味で、私メの住む東京じゃ殆ど知られて無い。しつこい様ですが「左が島根県」「右が鳥取県」ですからネ。しかも両県揃って人口が少なく、私ぁ山陰出身者に会った記憶が余り無い。

特に鳥取県は今現在、僅か五十七万人しか居ないンだとか。調べてみますと、鳥取県より大きな「市」が、全国に二十三も在ったりする。東京の特別区も入れたら二十八市区・・当然「日本一人口が少ない県」だ!

因みに拙宅の在る板橋区は、人口五十三万強だから・・ほぼ同じ位。でも百十倍もの面積の差が有って、「隣の芝生は互いに青く見える」のを加味しても、鳥取県の方が恵まれてる様な気がしますヨ。特に道路は。


米子市街地の加茂川沿いには、古い土蔵が並んでます。もともと米子は加茂と云う漁村だったらしく、ソレが吉川家により城下町・米子と成り、江戸時代は山陰一の商都として栄えたとか。人口十五万の街です

鳥取県の市は四つだけ。今回は昨日までご紹介の倉吉市と、今日ご紹介の米子市を訪ねましたが、レンタカーで移動して思うのは「道が立派」。郡部は別として、倉吉も米子も市街地は片側二車線道路ばかり。

「人口密度が低い=道が作り易い」なのは判りますが、ドコへ行っても家だらけで、区内の二大幹線「中山道」「川越街道」がいつも混んでる板橋に比べ、鳥取県内はスイスイ走れる。渋滞のレベルが全く違うわネ。

尤も「自動車以外の移動手段が豊富」な東京と、「自動車しか移動手段が無い」地方を比べる方が間違ってるンですが、鳥取の二大都市の一つ・米子市内はハンドルを持ってて楽しいネ。ドライブしてる気がする。

詳しくは明日ご紹介申し上げますが、車好きには良いトコでしょう。余り楽しいンで、米子城にも登っちまいましたヨ(ソレは歩いてネ)。ま、私ぁ都会のネズミですから、雑踏が恋しく成って耐えられなく成るでしょうケド。


米子市街をアチラコチラへ走り回り、ついでに日本海を見に郊外まで足を延ばしてみました。コレからの季節は時化る事が多く成るソウで、数日前まで居た瀬戸内と雰囲気が全く違いますナ。流石に外海ですナ
 

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(参考リンク)
★「米子観光ナビ」米子市観光協会HP
★「米子ガイド」山陰どっと混む・中海HP
★「だんだんサミット」中海・宍道湖・大山圏域市長会事務局HP
★「旧米子市役所庁舎」米子市立山陰歴史館HP
★「米子をもっと夢が広がる街にしたい」米子歴史浪漫プロジェクトHP
★「鳥取県・米子の古い町並み」一路一会HP
★「鳥取県より人口の多い市は21」白谷のノート(三冊目)ブログ
★「鳥取県は人口が少ないか。田舎は田舎か?」プールサイドの足跡ブログ
★「梨のんの」梨の木園HP
★「【ご当地グルメ】梨のんの入りのどあめ」じゃらん・サンルート米子HP

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★「
017 島根は鳥取の左側です」
★「019 【スイーツ01】ひょっとこ達の終わらない宴」
★「818 【揚げモン29】清水寺ネットワークと『安来の泥鰌』」
★「819 【お米料理56】米子で考える『バカ殿』と『かにめし』」
★「1929 【スイーツ132】大籠城戦と『一千年の羊羹』・・安来」
★「1961 【麺類色々151】恨みを晴らした淀屋と『牛骨ラーメン』・・倉吉」
★「1962 【呑みモン55】里見八賢士と『白バラコーヒー』・・倉吉


(鯉風のお仕事)
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(都会も大事だし、地方も大事だし。全く難しい問題でございますナ)


厳密には米子市じゃ無く、隣接する島根・安来市の名物「梨のんの」をご紹介致します。ま、安来と米子は経済圏が一緒です交流は深いし、逆に二十世紀を初めとした梨は鳥取県の名産ですし、米子のモンも同然ですナ(強引だねぇ)。梨果汁を煮詰めて作ったエキスがたっぷり入ったのど飴で、ドライブ中の気分転換に打ってつけの甘〜い飴玉ですゼ




| 2014.11.12 Wednesday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1962 【呑みモン55】里見八賢士と「白バラコーヒー」・・倉吉


山陰の城下町・倉吉市の旧市街地「打吹玉川」地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、約百軒の古い家屋が再生活用されてます。私ぁココを何度か訪ねてますが、その度に整備が進んでます

鳥取・倉吉市を訪ねて居ります。昨日は淀屋のココから始まった江戸幕府への復讐劇をご紹介しましたが、今日はもう一つの復讐をご紹介申し上げましょう。いや厳密には、間接的に成し遂げられた復讐ですナ。

関ヶ原合戦の後、倉吉を含む「伯耆国」領主と成ったのは、豊臣三中老の一人・中村一氏の子で、僅か十一歳の中村一忠。ですがそんな若者に治めきれる筈も無く、お家騒動の心労から二十歳で亡く成ってます。

中村家はコレで取り潰され、代わりに倉吉の城主と成ったのが、安房国(千葉県南部)から領地替えに成った「里見忠義」と云うお方。幕府に逆らったとして先祖代々の安房国を取り上げられ、追放されたも同然だ。

名目上は三万石を貰うコトに成ってたンですが、実際は四千石程度しか無く、連れて来れた家来はほんの少し。その数年後に池田家が鳥取県全ての領主として遣わされ、里見家の領地は全て召し上げられますヨ。


打吹玉川の古い建物の幾つかは、「赤瓦」と云う組織によって再生活用されてます。コチラは明治四十一年(1908)に建てられた「国立第三銀行倉吉支店」で、現在は「白壁倶楽部」なるレストランに成ってます

里見家は幕府に余程嫌われてたと見えますネ。見事なまでに蔑ろにされたコトに憤慨されたか?忠義公はやがて二十九歳で病没し、跡継ぎ無きが故に・・鎌倉時代以来の名門・里見家は取り潰され、滅ぶコトに。

その際、最後まで従った八人の家来が忠義公の後を追い、潔く殉死したと申しますゼ。この八士全員の戒名には、忠義公のソレと同じく「賢」の字が入れられて、ソコから「里見の八賢士」と称される事に成ったとか。

コレを知ったのが、大ベストセラー作家・滝沢馬琴センセ!。因果応報をテーマに書きたがってた馬琴センセは、八賢士の「賢」を同音の「犬」に変え、里見家お家再興の物語「南総里見八犬伝」を書き大ヒット!

実際の里見家は滅びましたが、物語の中で里見家は生き続け、全国で知られる様に。里見家を消し去ろうとした幕府に対し、形は違えど復讐した様なコトに成りましょうか。倉吉はそんな重い歴史の在る街です。


打吹玉川の東外れに、里見忠義公の菩提寺「萬祥山大岳院」が在りますヨ。その境内に忠義公を始め、殉死した八賢士のお墓が並んでますが、まさか自分達がヒット小説のモデルに成るとは思わなかったでしょうナ。因みに今年は里見家の倉吉への配流からちょうど四百年、また南総里見八犬伝の初巻刊行からちょうど二百年の節目ナンだソウです
 

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(参考リンク)

★「倉吉観光情報」倉吉観光マイス協会HP
★「倉吉市のポータルサイト」くらしよしNavi・HP

★「心の糸を織りなす町」白壁土蔵群 赤瓦HP
★「倉吉市打吹玉川の古い街並み」裏辺研究所HP

★「萬祥山大岳院について」里見忠義公・里見八賢士顕彰剣道大会事務局HP
★「鳥取県ちゅうぶ観光ナビ 八賢士特集」鳥取県中部総合事務所HP
★「里見忠義の誤算」一個人HP
★「家康と外様大名・里見氏」東金御成街道HP
★「白バラ牛乳」大山乳業農業協同組合HP
★「白バラ牛乳(鳥取県)」漂流乳業HP
★「幻のコーヒー牛乳『白バラコーヒー』を成城石井で発見!」ビジネスの処方箋ブログ

(関連する記事)

★「801 【名物パン58】鳥取の渇え殺しと『マイフライ』」
★「802 【お魚料理43】あぁもう駄目!鳥取砂丘と『とうふちくわ』」
★「803 ドウやって建てた?三徳山三佛寺と『栃の実』」
★「804 【野菜果物33】意外にステキな倉吉と『花御所柿』『西条柿』」
★「819 【お米料理56】米子で考える『バカ殿』と『かにめし』」
★「1124 【調味料類13】『南房総ぽん酢』と南総里見八犬伝」
★「1125 【お魚料理63】『サザエカレー』と南総里見八犬伝‥館山」
★「1961 【麺類色々151】恨みを晴らした淀屋と『牛骨ラーメン』・・倉吉


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」

★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」

(温暖な安房から、倉吉へ配流された忠義公らは寒かったでしょうナ)


鳥取県中部地方の名物と云えば、全国的に有名な「白バラコーヒー」でございましょうナ。大山乳業農協が作る白バラ牛乳シリーズの一つで、特徴はまず甘いコト。と云っても里見家の本拠だった千葉県の名物「マックスコーヒー」ほどは甘く無く、しかも呑み終わった後はサッパリ感も有る抜群の美味さ!姉妹品のミックスフルーツ牛乳と共に購入しましたが、最近は関東でも高級スーパー「成城石井」で売ってたりします




| 2014.11.11 Tuesday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1961 【麺類色々151】「牛骨ラーメン」と恨み骨髄の淀屋・・倉吉


倉吉市の旧市街地「打吹玉川」は江戸から大正まで大きく栄え、その頃の繁栄が今でも「白壁土蔵群」として多く残ってますヨ。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、訪ねる度に整備が進んでますナ


昨日ご紹介の岡山・真庭市から「蒜山」の麓を通り、日本海側の鳥取県へ辿り着いた私メでございます。鳥取は全国最小の人口を誇る県で、県内に「市」が四つしか在りませんが、今回はほぼ中央に在る倉吉市へ。

ココは鳥取藩主池田家の家老「荒尾志摩守」家の領地で、所謂「自分政治」が行われてた街。半ば独立した自治領的なモンで、山陰有数の商業都市として栄えます。だから「山陰の大坂」とも称して居たンだとか。

実際、大阪と倉吉の結び付きは今も深く、直通の特急列車が何往復も走ってますが、江戸時代の大坂の豪商「淀屋」とココとの因縁は実に深い。淀屋は材木・土木・米相場等で巨額の財を為した、日本一の富豪。

ですが五代目の淀屋廣富の時に、突然幕府から「闕所」を命ぜられますヨ。闕所とは強制的な財産没収のコトで、現金は小判換算で二百数十万両。他に土地やら証文やら、大体百兆円ぐらい取り上げられますヨ。


打吹玉川の一画に、「倉吉淀屋」の店が残ってます。ココへ帰された番頭の牧田仁右衛門は、淀屋の再興を期して商売を起こし資産を蓄え、牧田家は五代目で大坂に再進出。再び「淀屋」の看板を掲げてますヨ

幾らナンでも辺羅棒な!確かに淀屋は豪奢を極め、ソレで幕府に目を付けられてた。でも本当は財政困窮の大名衆に金を貸し、ソレが返せないから御破算を狙い、借金を踏み倒す為に淀屋を潰させたのが真相。

淀屋側もその動きを察し、四代目の重当は信頼する番頭の牧田仁右衛門を故郷の倉吉に帰し、「闕所を命ぜられる日」に備えさせますヨ。つまり分家させて、何時の日にか淀屋を再興して呉れる様に頼んだ訳だ。

仁右衛門は重当の言いつけを守り、幕府の目をかわす為に敢えて屋号を示さず、ひたすら地道に商売に励みます。ソレは淀屋を再興し、恨み余り有る幕府へ復讐の為に。武力じゃ無く、財力で幕府を倒してやる。

倉吉淀屋はやがて大阪に再進出を果たし、折しも燃え上がる討幕運動に資金を提供し、幕府滅亡の八年前・安政六年(1859)に暖簾を突如たたんでます。全財産を討幕の為だけに使った訳で、恐ろしい執念です。


倉吉淀屋の牧田家の菩提寺「法界山大蓮寺」の境内に、大阪淀屋一族のお墓が在りますヨ。闕所された為に異様な向きのベクトルと成りましたが、それも一つの商売の在り方。重い歴史が倉吉に残ってますナ


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★「倉吉観光情報」倉吉観光マイス協会HP

★「倉吉市のポータルサイト」くらしよしNavi・HP
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★「淀屋の歴史をたどる」八幡の歴史を探求する会HP
★「もう一つの淀屋を訪ねて 倉吉」トシの旅ブログ
★「鳥取牛骨ラーメン」鳥取牛骨ラーメン応麺団HP
★「牛骨ラーメンと倉吉の思い出」デイリーポータルZ・HP

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★「1690 【調味料類25】「若田のたれ」と勝山城下町・・真庭


(鯉風のお仕事)
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(倉吉淀屋のコトを講談にして語る方が、ココにゃ居られる様ですナ)


「恨み骨髄に至る」と申しますが、私ぁ食べる骨髄の方が良いですヨ。全国に豚骨や鶏ガラの美味さをベースにするラーメンは沢山有りますが、倉吉を中心とした鳥取県中部のソウルフードは「牛骨ラーメン」。中でも元祖とされる、「香味徳」サンの倉吉店に行って参りました。ドウして牛骨を使う様に成ったかは諸説ある様ですが、半世紀以上も前から倉吉辺りじゃコレがフツーらしく、豚骨等とは少し違う、実に複雑かつ不思議な味わい。なのに乗ってるのは豚肉チャーシュー・・、面白いネ




| 2014.11.10 Monday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
1934 【呑みモン54】神さま方のお宿と「はま茶」「ざら茶」・・出雲大社


出雲大社・ご本殿の東西に、細長いお社が一棟ずつ・・。コレこそ全国からお集りの神さま方の宿舎たる「十九社(じゅうくしゃ)」で、お姿は見えませんがココで寛いでらっしゃるンですヨ。画像は「東十九社」です

出雲大社のブラブラ散歩は続きます。出雲国(島根県東部)と信濃国(長野県)以外の全国は、今月は神さまが居らっしゃらないンで「神無月」ですが、出雲はその神さま方がお集まりに成ってるンで「神在月」ですナ。

信濃の神さまだけは出雲にナゼか呼ばれない様ですが、八百萬の神さま業界もイロイロ事情がお有りでしょうから、難しい理由は判りません。ともかく今月の出雲大社は、神さま方が大勢居らっしゃる事に成ってる。


ご本殿の西方に「神楽殿」が在りますが、驚くのは「広さ七畳半」と日本一の大きさを誇る日章旗!加えて掲揚塔の高さが四十七mも有るンで、まぁ目立つ目立つ!古代のご本殿とほぼ同じ高さナンだってさ

でも私メの様な下賤極まる寄席芸人風情には、神さま方の高貴極まるお姿を拝するコトは出来ませんナ。ま、何百万柱も居らっしゃるからには、知らず知らずの間に大社境内ですれ違ってたりするンでしょうが。

出雲大社の西の「稲佐の浜」に神さま方はお集りに成られ、龍蛇神のご先導で大社にお入りに成られる。そして「ア〜でも無いコ〜でも無い」と縁結びのドラフト会議に勤しむ訳ですナ。お賽銭の分だけ、働かにゃ。


神さま方の上陸地「稲佐の浜」は、大社ご本殿から西へ一kmほどに在るキレイな砂浜。大国主大神サマが国譲りを為さった現場らしく、旧暦の十月十日に「神迎えの神事」がココで行われるンだソウですヨ 

尤もソレは「旧暦十月」のコトだらしく、つまり今年は十一月下旬から十二月中旬の筈ですナ。てぇ事は・・神さま方は未だ来られて無いのか?ま、居らっしゃると思った方が万事目出度く、ソウ云う事にしときましょ。

そんな出雲に集まられる神様も居られれば、ココから出て行かれた神様みたいな方も居られる。私メら寄席芸人を含む、芸能万事の大立者「出雲の阿国(おくに)」サンは、そのお名前通りに大社のご近所のご出身。


大社と稲佐の浜のちょうど真ん中に、ご覧の「出雲の阿国の墓」がございますヨ。ココの伝承では「阿国はもともと大社の巫女」で、京都で大成した後は出雲に帰り、「大社近くで庵を結んで尼さんに成った」とか

と、云う事に成ってます。何しろ阿国サンは謎が多過ぎて・・実態が良く判らないお方。戦国時代の終り頃に「かぶきおどり」を工夫し、ソレを京都で舞って大人気と成り、ソレが現在の歌舞伎に繋がるとされてます。

処が「出雲出身と自称した」と云う説は強く、大体が生年没年すら判らない。尤も芸人風情はソレが当然で、ご本人も自分の芸が後世に伝わるとは思わなかった筈。でも私メら芸界の、立派な神さまのお一人です。


稲佐の浜でポーっと海を見てましたが・・ココに全国の神さま方がお集まりに成られると思うと、実に有難く思えます。寒く成るに連れて時化て来るンでしょうが、昔の人はソレも神さまの力と思ったンでしょうか
 

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★明日は「広島県府中市上下町」への訪問記です★

(参考リンク)

★「出雲観光ガイド」出雲観光協会HP
★「Izumo Oyashiro」出雲大社HP
★「古代と現代が交わる地 出雲大社」出雲観光協会HP
★「神々が出雲に集う 神在月」出雲観光協会HP
★「出雲大社の神在祭」出雲大社紫野教会HP
★「出雲大社の日の丸」出雲大社紫野教会HP

★「稲佐の浜・薗の長浜」神々のふるさと 山陰HP
★「『出雲阿国』出雲大社と京都」出雲大社紫野教会HP
★「【島根】出雲人が愛する進化したお茶」ニッポン列島食だよりブログ
★「出雲のはま茶」すみぞめのclumsy日記ブログ
★「カワラケツメイ」イー薬草・ドットコムHP

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(鯉風のお仕事)
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(阿国サンは歴史に残りましたが、芸人風情は残らないのが殆どです)


島根県にゃ体に良い、珍しいお茶が有る!ソレが「カワラケツメイ」と云うマメ科の植物から作った「はま茶」で、出雲じゃフツーに呑まれてるンだとか。クセは全く無く、香り高くて・・緑茶より飲みやすいかも。処が所変われば名は変わるで、同じ島根県なのに・・東部は「はま茶」・中部は「まめ茶」・西部は「ざら茶」と言うンだそうですヨ。面白いねぇ




| 2014.10.17 Friday (00:15) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
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