お蔭さまで「お米料理」カテゴリーも、百本目の記事に成りました。コレからもご期待下さいませ
千葉・君津市のJR久留里駅前「水汲み広場」には、清らかで冷たい湧水が夏でもタップリ湧き出してます。久留里は「生きた水の里」と称し、城下町の方々に掘られた自噴井戸からの水が、今日も街を潤してます
日本全国を旅してますが、独自な地方料理ってホント多いですネ。ナニをドウ考えたらコウ成ったンだろう‥と驚くのが多々有りますが、その殆どにソレらしい由緒が付けられて、中には発祥地や考案者まで特定されてたりします。
他所と区別化する為に、敢えて「オラが村が発祥!」と由緒を持ち出してンでしょうが、隣接した自治体同士でソレの取り合いしてるトコが有ったりし、思わず苦笑させられたりもします。互いの面子と繁栄を懸け、必死な奪い合いだ。
尤も「ナンでも自分のモノにしたがる」玄界灘の向こうの某半島国家と違い、ソレなりの根拠と自信が有るンでしょうが、多少以上に発祥が古いモンは良く判らン‥のが殆どで、結局は「トムとジェリー」。仲良く喧嘩しな!ですゼ。
処が比較的最近、つまり明治以降に発祥したお料理は「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どうして」「どうした」がハッキリ判ってるのが多い。地方料理を超越し、全国ドコでも食べられる様に成ったモノでも、ソレが判るのは多い。
高い山が皆無の(国内で一番高低差が少ない)千葉県は、飲料水の確保が難しかった地域。久留里では「上総掘り」と云う技法で数百mの深井戸を掘り、ソコから湧く清水が街の方々で噴き出てます。あぁ冷たそう
先日知ったンですが、全国ドコでも食べられてる「卵掛けご飯」にも由緒と云うか、発明者が居るンだとか。ソレは「岸田吟香(ぎんこう)」と云う明治時代のジャーナリストで、吟香サンが史上初めて「ご飯に卵を掛けた」とされてる。
岡山のご出身で、幕末の江戸へ流れ来て、吉原で遊郭の主人をしてたとか。吉原での仇名が「銀公」で、コレから吟香に成ったとは洒落てますが、維新後はジャーナリストに転じ、東京日日新聞(今の毎日新聞)の主筆に成ります。
その後、実業家としても活躍。また西洋医学普及に尽したりと、多才な洒落人だった様ですが、余りの忙しさに急いで栄養ある食事をと、吟香サンは当時高価だった「生卵」を、コレまた高価だった「銀シャリ」に掛けて食べますヨ。
そして「美味い美味い」と廻りに勧め、あの吟香が勧めるのならとブームに成り、全国へ広がった‥とまるで講談みたいなストーリー。今回訪ねた久留里でたまたま見付けた「卵掛けご飯」屋で、そんな由緒を思い出した私メです。
久留里城下は以前ご紹介しましたンで、その近くの聖徳太子の建立とされる古刹「鹿野山神野寺(かのうざんじんやじ)」を。私メより上の世代は覚えてると思いますが、昭和五十四年(1979)に飼ってたトラが逃げ出して、日本中がパニックに成った‥あのお寺さんです。現在は飼って無い様ですが、そうか‥ココだったンですナ(まだ寒い頃に撮った画像です)
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★明日は「東京都千代田区九段」への訪問記です★
(参考リンク)
★「生きた水の里」久留里フィールドミュージアムHP
http://www.kururi.info/
★「全国のたまごかけごはん」イセ食品HP
http://www.tamagokake.jp/
★「先人の風景 岸田吟香」山陽新聞社HP
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/senjin/news/2008/11/13/20081113165558.html
★「岸田吟香・目薬・たまごがけごはん」図書館のねずみブログ
http://blog.livedoor.jp/bookcafefushin/archives/1738364.html
★「薬師如来・軍荼利明王の二尊が並列」鹿野山神野寺HP
http://www.geocities.jp/jinyaji_598/
★「鹿野山神野寺の虎騒 知っていますか?」西村治彦の日記ブログ
http://ameblo.jp/2465789/entry-11263222996.html
★「365日たまごがけごはんの歌」TKG読売連合広告社HP
http://365tkg.com/cd.html
★「おいしいたまごがけごはんの店」たまらんHP
http://www.tamaran.info/
(関連する記事)
★「466 良寛さんの『思えば遠くへ来たもんだ』」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=495
★「474 【お魚料理24】お城と生きた水の里・・久留里」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=536
★「586 【お米料理36】久留里で破門された男」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=625
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=154
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=268
(つまり『卵がけご飯』の発祥地は、東京の岸田吟香さんのご自宅ですナ)
久留里城下を少し通り過ぎたトコに、ログハウス造りの「たまらん」と云う「卵掛けご飯」屋サンが在りますヨ。今回たまたま道を間違えて、しかもお腹が空いてたモンだから「えぇい面倒くさい」と寄ったンですが、いざ食べてみると「卵掛けご飯」って美味いねぇ。久留里の清水で育った鶏から産まれた卵を、久留里の清水で育った地元銘柄米で、色んなお醤油を掛けて、好きなだけ食べれるお店(週末のみ営業の様)ですが、大自然に囲まれた優雅なオープンテラスで、私ぁ思わず三杯も食べちまったゼ!そして店内で延々と流れる「365日たまごがけごはんの歌(作曲はナント!円広志師匠)」がすっかり耳につき、暫くうなされた私メでしたヨ
今にも降り出して来そうな濃灰色の雲に浮かび上がるのは、千葉県の最南端・野島崎の「野島埼灯台」。元々は房総半島沖に浮いた島だったソウですが、約三百年前の元禄大地震で隆起し、地続きに成ったとか
房総半島南部のブラブラツーリング旅は続きます。私ぁ「車検が必要」と云う無駄に大きなヤマハのスクーターを愛用して居りますが、此奴はスクーターの癖に街中より郊外を適当に走らせる方が機嫌が良いと云う、実に困った奴。
ホントはソコまで大きなエンジンは要らないンでしょうケド、高速道路で遠出する時の疲労感が違う!私メが十九・二十歳のお兄チャンなら何とも無いでしょうが、齢四十半ばに達した現在は大きな問題!翌日に影響が残ってしまう。
ならば「車で行け!」と皆さまお思いでしょうが、何しろ都内の山手線近くに住んでますと、駐車場問題は実に深刻で‥。月々何万円も余計に払う事を考えると、滅多矢鱈に車なんて持てませんヨ。必要ならばレンタカーでOKでしょ。
加えて私ぁバイクが大好きで、免許取得以来二十数年間、その頻度に差は有っても、ずっと乗り続けて来てますしネ。大型スクーターにして十年近く経ちますが、フツーのバイクより荷物が多く積めるンで、食べ歩きに向いてる。
「伊豆白浜」「安房白浜」「南紀白浜」‥全国に「白浜」って幾つ在るンでしょう?野島崎も在る、ココ南房総市「安房白浜」は、「白浜音頭」の発祥地!全国大会が毎年開かれてるソウですが、どんな踊りだろう?
梅雨が明ければ海水浴やら何やらで混むだろう房総半島も、まだ梅雨中だから道は空いてます。お陰で私メもバイクも共に心地好く、スイスイ走って最南端の安房白浜まで来ちまいました。但し房総だからって暴走はしとらんヨ。
こんな下らん冗談言うと、「お前は真打ちの癖に‥修行が足らん」と叱られちまうでしょうが、私ぁ講釈師であって噺家じゃ無いから気にしない。でもお天道サマはお怒りの様で、段々お天気が悪く成って来ました。雨が降り出しそう。
ソイツぁ駄目だネ困ったネ。大海原をのんびり眺め、日頃の憂さ晴らししようと思ってたのに‥。バイクに乗ってて困るのは「雨降り」「猛暑」。寒さは遣り方次第で凌げますが、その二つはドウ仕様も無い‥。仕方無ぇ、帰りますか!
一体ナニしに百数十km走って来たのか判りませんが、コレまで何十度も来てるトコですし、再訪を期して雨雲から逃げながら東京へ帰る事としましょうか。でも「アクアライン大渋滞、所要時間百五十分」って‥冗談じゃ無ぇヨ!
安房白浜辺りまで参りますと、コレが東京と同じ南関東なのかと驚く様な風景が広がってますヨ。道さえ空いてれば、東京湾横断道路「アクアライン」と館山自動車道経由で二時間ほどの楽しいツーリングですが、この日のアクアラインはぎっしり大渋滞で、仕方なくなく一般国道経由(コッチは余り混んでなかったンで、スイスイ走れました)で千葉市までグルッと廻り、倍以上の時間と余計な距離を使って帰る事に‥草臥れました
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★明日は「東京都品川区南品川」への訪問記です★
(参考リンク)
★「おいでよ南房総」南房総市観光協会HP
http://www.mcstudio.jp/minamiboso/
★「白浜観光ガイド」南房総市役所HP
http://www.mboso-etoko.jp/shirahama/
★「野島崎(のじまざき)」陶芸工房あべHP
http://sinn.dip.jp/kesiki/tiba/nozimazaki.html
★「白浜音頭全国大会」白浜観光ガイド・南房総市役所HP
http://www.mboso-etoko.jp/shirahama/event/ondo.html
★「アクア800円の休日大渋滞問題」東京湾アクアライン高速バスHP
http://83.xmbs.jp/apb-275587-ch.php?guid=on
★「南房総のランドオペレーター」道の駅とみうら枇杷倶楽部HP
http://www.biwakurabu.jp/
★「ご当地ソフトをたずねて 房総半島びわソフト」日世ソフトクリームランドHP
https://www.nissei-com.co.jp/sc_gotochi24.jsp
(関連する記事)
★「1124 【調味料類13】『南房総ぽん酢』と南総里見八犬伝」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1199
★「1237 【関東三大師04】第四の三大師は南房『小塚大師』‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1308
★「1238 【お魚料理70】『さんが焼き』と崖から生えた寺‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1309
★「1399 【名物パン130】日本元祖の『クリームパン』‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1460
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=154
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=268
(アクアラインの休日大渋滞は酷くなる一方で、房総に行くのが嫌に成りそう)
安房白浜の在る千葉・南房総市は、旧安房国の(地域の中心・館山市を除く)七町村が無理矢理合併した感が強く、一体ドコが中心なのか全く判らない不思議な市。市名問題や合併前のイザコザで館山に嫌われたのが最大の理由ですが、千葉らしいっちゃ千葉らしいねぇ。関東有数の枇杷の産地「旧富浦町」と白浜が同じ市なのが信じられませんが、実際ソウ成っちゃったンだから‥仕方ないンでしょうネ。てな訳で、富浦の道の駅の大名物「びわソフトクリーム」を。多い日は数千本も売れるソウで
すが、ソレも納得のアッサリとした美味しさ。因みに南房総市は日本の酪農発祥の地でも有りまして、尚さら力が入れられてる様です。南端の白浜から、北部の富浦へ辿り着いた頃には、雨の心配も去ってました
小高い丘に立つ「館山城(根古屋城)」から、千葉・房総半島南部の中心都市・館山市を眺めてみました。関東じゃ一番温暖な街で、古くは避暑地・避寒地として栄えた所。JR特急で東京から二時間ほどで着きます
東京から「アクアライン」で東京湾を越えまして、千葉・房総半島の南部へ参った私メです。梅雨の谷間の「曇り時々晴れ」で、暑く無ければ涼しくも無く、陽射しも真夏ほど強くないンで、バイクツーリングにゃ向いてるお天気です。
何しろバイクにゃ屋根が付いて無いンで、突然の雨降りと真夏の暑さだけはドウにも成りませんからネ。むしろ真冬の寒さの方が、着重ねすれば良いンで楽(イザと成れば、バッテリーから電気を引っ張って‥と云う手も有りますし)。
実は北関東の某県へ行こうかと思ってたンですが、天気予報を見ると「今日は夕立の可能性高し」てな状態で‥。昔、某県をツーリング中、突然の雷雨で避難してたら目の前に落雷し、バイクごと吹き飛ばされましたンで怖い。
「ならば北関東ではなく南関東へ行こう。そうだ!千葉・館山市まで行って、日本元祖のクリームパンを買って来よう」てぇ事に忽ち成り、アクアラインで東京湾を越える事に。無駄にフットワークが軽いのだけが、私メの取り柄です。
アクアラインの開通以来、東京湾沿いにグルっと迂回するJRの特急列車はドンドン需要が減ってるソウで、館山駅のお客サンも「二十年間で三分の一に成った」とか‥。現に私メもアクアラインを通って来ましたし
日本に菓子パンは数あれど、クリームパンの元祖は一体ドコなのか?メロンパンの様に全く判らンのも有りますが、クリームパンの場合は「元祖は新宿中村屋」。明治三十七年(1904)に、中村屋の相馬愛蔵サンが初めて作った。
コレは歴然とした事実で、異論の挟み様が無い。愛蔵サンがシュークリームに感動し、ソレをパンで再現したら‥クリームパンに成ったとされてます。処が館山にも中村屋が在りまして、ココのクリームパンも日本元祖とされてる。
ハテ‥そりゃ一体ドウ云う訳だ?で調べてみると、クリームパンの発明は‥厳密に云うと東京大学の前に在った「本郷中村屋」だったらしい。処がソレから数年で店は新宿に移転し、現在の新宿中村屋に成った。ソレは知ってる。
処が本郷の店もそのまま存続し、やがて東大の教授達の推奨・嘆願に依り、戦前は関東有数のリゾート地だった館山にも店を出し、遂にはココが本店と成って現在に至ってるとか。だから「ココも元祖」な訳で、実に面白い歴史です。
郊外のSCに破れたか?シャッターだらけの館山市街地をフラフラしてましたら、随分と立派な神社を発見!ナニナニ、安房国総社「鶴谷(つるがや)八幡宮」か。昔は房総半島南部だけで「安房(あわ)」と云う一国を為して居りまして、総社てぇのは国府(県庁みたいなモン)のお役人サンが、国内全ての神社を廻るのが面倒ナンで「一ヶ所で参拝が済む」様に作らせた、格式の高い神社のコトですナ。詳細は不明ですが、平安時代初期に創建されたのは確実らしく、つまり一千年を超える古社の様です
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★明日は「千葉県南房総市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「たてやまへ行こう」館山市観光協会HP
http://www.tateyamacity.com/
★「館山の観光の歴史」南房総データベース・ブログ
http://furusato.mbit.or.jp/modules/dbx/?topicid=104
★「鶴谷八幡宮(館山市)」玄松子の記憶HP
http://www.genbu.net/data/awa/turugaya_title.htm
★「伝統の菓史 クリームパン」新宿中村屋HP
http://www.nakamuraya.co.jp/history/hist_03.html
★「おいしくて新鮮なパン」館山中村屋HP
http://www.nakapan.com/
★「館山中村屋 カフェ&バスティッチェリア」週末楽園暮らしブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/xcrjb733/4056209.html
(関連する記事)
★「1124 【調味料類13】『南房総ぽん酢』と南総里見八犬伝」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1199
★「1125 【お魚料理63】『サザエカレー』と南総里見八犬伝‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1200
★「1237 【関東三大師04】第四の三大師は南房『小塚大師』‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1308
★「1238 【お魚料理70】『さんが焼き』」と崖から生えた寺‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1309
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=154
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=268
(アクアラインの問題は、毎週末の夕方は大渋滞で使いモノに成らン事です)
新宿中村屋とは唯一の「暖簾分け」「兄弟店」と云う扱いで、全国に点在する「木村屋」よりは太い繋がりに成ってる、館山中村屋サンの元祖「クリームパン」。新宿のと違いグローブ形じゃ無いですが、より沢山のクリームを入れたいと改良した結果、普通の菓子パンみたいな格好に成ってしまったとか‥。実際、エラク濃厚なカスタードクリーム(玉子と砂糖と粉の存在をズッシリ感じます)がたっぷり入れられ、みっしりと重いのヨ。でも以前はもっと重たかったソウで、発明された当初のクリームパンって一体どんなモンだったンでしょうネ。新宿の方は現在建替えの為に休業中ですンで、いずれ竣工成ったらば、食べ比べしてみたいモンです
コトの発端は、千葉・館山市の北端に在る「那古船形港」。この漁港から内陸の方を見れば、切り立つ岩山の中腹にお堂がへばり付いてるのが見える!ありゃ一体ナンだろうか‥が始まりだったンでございますヨ
千葉・房総半島南部(南房)の旅は続いて居ります。寒風吹きすさぶコンクリートジャングル東京とは全く違い、南房の中心地・館山市は実に気候が穏やかで、なんかポカポカしてます。流石に関東でも有数の避寒地でございます。
但し東京からだと「東京湾を渡って行く」か「東京湾をグルッと廻って行く」かの必要が有りまして、直線距離は近いのに、心理的にはチョット遠く感じられちまいますナ。決して悪口じゃ無いですが、南房は「島みたいなトコ」です。
「千葉は他都県と陸地で繋がってない」と云う歴然たる事実も在り、厳密に言うと「島みたいなモン」じゃ無くて「ホントに島」ナンですが、南房へ行くとソレを肌で感じます。関東六県で千葉ほど、南北で文化風習が違う県は有るまい。
実にノンビリしてまして、ドコか遠い地方に来ちまった様な気がする。ま、東京湾横断道路アクアラインの通行料が、千葉県の負担で大幅に安く成ってるから、以前よりは遥かに訪ね易く成ってますが‥やっぱ簡単にゃ行けんわネ。
コレが「崖の観音」こと船形山大福寺。奇妙な地層が露出した房総特有の崖の中腹にこの観音堂が設けられ、(画像じゃ判らないですが)ソレなり以上の高みに在ります。でもスンナリ登れてしまい、狐に摘ままれた様
そんなトコに昨秋に続き、又行っちまったのは宿題が有ったから。既にご報告済みですが、敬愛する兄貴分・上方講談の旭堂南海兄ぃと昨秋、南房をブラついた事が有ったンですヨ。詳しくは下の方のリンクをご覧下さいませませ。
帰り際、切立つ崖の中腹に「お寺が生えてる」のを見付けた。勿論「生える」訳は無いンですが、如何にもソウ見える。西日本の方は、鳥取・三徳山の投込堂を想像して貰うと判り易いですナ。あんなにまで標高は高くないですが。
当然「あれはナンや」と成ったンですが、私メと違って多忙極まる兄ぃでして、その日の内に大阪まで帰らにゃ成らぬ。アクアラインで東京湾を渡り、新幹線品川駅を目指して突っ走らにゃ!崖から生えてるお寺にカマケちゃ居られン。
てな宿題が残ってたモンですから、私ぁ確かめに参ったンですヨ。館山市船形の「崖の観音」大福寺サンで、約千三百年前に行基上人が開山した古刹だとか。中腹に磨崖観音仏が刻まれてまして、ソコをお堂で囲って在ったンです。
大福寺観音堂はナンだか展望台の様に成って居て、館山湾が一望の下に。ちょうど黄昏時で、海が金色に輝いてて絶景かな!見てて飽きませんネ。さぁ渋滞のアクアラインを通り抜け、東京へ帰る事にしましょう
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★明日は「東京都北区王子本町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「那古船形エリア」南房総・館山 花海街道HP
http://etabi.boso.net/?page_id=57
★「崖観音」真言宗智山派 船形山大福寺HP
http://www.gakekannon.jp/
★「館山那古船形 がけ観音」千葉発二日酔いまでの後悔街道ブログ
http://chibahatu.jugem.jp/?eid=723
★「なめろう・さんが焼き」象印いい味、旅気分HP
http://www.zojirushi.co.jp/usual/local/04.html
★「なめろうはさんが焼き以外にも化けられるのか」@NiftyデイリーポータルZ HP
http://portal.nifty.com/kiji/130115159152_1.htm
(関連する記事)
★「803 ドウやって建てた?三徳山三佛寺と『栃の実』」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=834
★「1124 【調味料類13】『南房総ぽん酢』と南総里見八犬伝」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1199
★「1125 【お魚料理63】『サザエカレー』と南総里見八犬伝‥館山」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1200
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=154
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=268
(もう一つの宿題、館山中村屋の『日本最初のクリームパン』は持越しです)
館山のスーパーで買った「鯵のさんが焼き」。まず「なめろう」と云う、新鮮な鯵や鰯・飛魚などの青魚を三枚におろし、味噌・日本酒と葱・生姜等を乗せて包丁で叩いてミンチ状にして食す、房総伝統の漁師料理がございますヨ。ソレを焼くと「さんが焼き」に成ります。魚肉ハンバーグの様なモノですが、ソレとはチョット違う様な‥。実に深い味わいナノです
房総半島のほぼ先端部に位置する長さ五kmほどの砂浜「平砂浦(へいさうら)」は、日本の白砂青松百選に選ばれてる景勝地。千葉県もココまで来ると気候の良さで南国ムードが漂い、真冬でもポカポカしてますヨ
久し振りにローカル根多「関東三大師」でございますが、今日はその四ヶ所目だ。「チョット待て!三大師と云うンだから三ヶ所だろう」と仰る方も居られましょうが、そんな単純に世間は動いちゃ呉れませんヨ。如何しても超過します。
以前巡った「東京十社」は十五ヵ所もお参りしましたし、「江戸五色不動」は十ヶ所の御不動サンを巡った。ドウ云う訳か?素直に数通りに収まって呉れません。そして「関東三大師」も当然の様に、三ヶ所じゃ収まりソウも無いねぇ。
只今の見通しでは計六ヵ所ほど廻る事に成りソウで、川崎市「川崎大師・平間寺」と足立区「西新井大師・総持寺」の両巨寺に次ぐ、三大師の三ヶ所目を争うトコが多いのヨ。えっ「某佐野厄除大師がソウだろ」って‥ソレは天台宗。
弘法大師・空海大僧正を祀るのが「関東三大師」、元三大師・良源大僧正を祀るのが「関東の三大師」。前者は真言宗(高野山系)、後者は天台宗(比叡山系)でハッキリ別物ですナ。今回は「の」の付かない方を巡ってるンですヨ。
二ヶ所目の「関東三大師の三つ目」候補として参りましたのが(ヤヤコシイねぇ)、平砂浦や安房神社にも近い「小塚大師」こと、弘仁六年(815)創建の古刹「曼茶羅山金胎寺遍智院」。弘法大師ご本人の開山だって
参りましたのは千葉・館山市で、房総半島のほぼ先端の「平砂浦」。相模湾に面した長くキレイな砂浜ですが、そんなトコに「三大師」と称される様な大きなお寺サンが在ったかナ?私メもココは毎年の様に訪ねてるトコなんですが。
日向ぼっこしてる土地の古老に聞けば、房総半島南部(旧安房国)の一宮たる「安房(あわ)神社」の裏手辺りに在ると仰る。ならばと先ずは神社にお参りし、続いてお大師サンに向かいましたが‥道がクネクネで良く判りませんヨ。
ソレでも何とか辿り着き、コレもお大師サンのお導きのお陰!さぞ巨大なお寺で在ろうと勇気百倍で乗り込めば、あれれ?一ヶ所目の「三つ目候補」として先日ご紹介した、同じ千葉・香取市の「観福寺大師堂」よりも小さい様な‥。
でも由緒は立派で、大祭の時はエラク賑わうンだそうナ。大きさだけが価値じゃ無いさ、むしろ日蓮宗の強い房総半島で良くぞ生き残ったモンだ!そしてこんなリゾート地にお大師サンは来とったンだ!と変な感心してた私メでした。
コチラが旧安房国一宮で、創建はナント初代天皇の神武帝元年(紀元前660年)と称する「安房神社」。神域にゃ本社「上の宮(画像)」と摂社「下の宮」が並立し、コレは伊勢神宮の「内宮」「外宮」に習ってるンだとか
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★明日も「千葉県館山市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「たてやまファンクラブ」館山市観光協会HP
http://tateyamacity.com/
★「なぜ平砂浦を訪れる人が増えているの?」たてやまGENKIナビHP
http://navi.tateyamacity.com/?p=7573
★「延喜式内名神大社 安房国一之宮」安房神社HP
http://www1.ocn.ne.jp/~awajinja/
★「関東厄除け三大師のひとつ小塚大師」南房散策ブログ
http://nanbou.catalog-photo.net/pg29.html
★「くじらソーセージが密かに発売開始だ クジラのチカラ」共同船舶HP
http://www.kyodo-senpaku.co.jp/wordpress/archives/2515
(関連する記事)
★「324 【関東三大師01】初詣は混むから、川崎大師に今行こう!」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=363
★「740 【関東三大師02】西新井大師へは無人駅から」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=781
★「1171 【関東三大師03】佐原のお大師さまと忠敬先生」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1224
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=154
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=268
(同じ関東なのに、東京とはドウしてこんなに温度が違うのかしらと思います)
国内で四ヶ所しかない捕鯨基地が、館山市の近隣の和田町(現:南房総市)に在りますヨ。房総半島の南部じゃ当然の様に鯨食の習慣が有りまして、だからか?東京じゃ見た事の無い「クジラ肉混入の魚肉ソーセージ」が、地元スーパーでフツーに売られてましたヨ。海で泳いでる以上、例えクジラが哺乳類だとしても魚扱いしてあげるべきで、その点では素晴らしい商品でございますナ。ただチョット塩っぱいのが難点で、ドウやら炒め物に向いてる様ですネ。皆さん、クジラをドンドン食べましょうゼ
千葉・勝浦市西部の鵜原海岸に、ご覧の風景が在ります。そして向うの切り立った険しい断崖の先に、問題の「おせんころがし」が在るそうナ。この辺りは昭和四十年代半ばまで、交通の難所として知られたトコです
今冬の寒さにすっかり耐え兼ね、「暖」を求めて千葉・外房(房総半島の太平洋側)へ参った私メでございます。静岡県の伊豆半島と並び、関東じゃ有数のポカポカなトコで、実際訪ねた日も気温は十度代後半をキープしてましたネ。
水仙は今が盛りと咲き誇り、また菜の花も所々で咲き出して居りまして、同じ関東なのにドウしてこんなに違うのサ?流石に古くからの「避寒地」だけ有って大したモンと感心するばかりでございますが、感心ばかりして居られない。
外房には「おせんころがし」と云う、大変な悲劇が有った‥。と書くと怪談みたいですが、幾ら講釈師だからと云って「真冬の怪談」は趣味じゃ無いンで御安心を。大体が私メ程度の若手真打じゃ、怪談はとてもとても手に負えません。
アレは講談テクニックの結晶みたいなモンで、某タレントさんがやってる「怖い噺」ナンかと根本的なレベルが違う総合話術。ソレは置いといて‥「おせんころがし」の現場は、千葉・勝浦市と鴨川市の境の海沿いの断崖辺りらしい。
同じく鵜原海岸から太平洋を眺めてみました。左に見えてる険しい断崖が「鵜原理想郷」。余りに険し過ぎて開発出来ぬリアス式海岸で、老松等の理想的な自然が残ってるとか。外房らしからぬ穏やかな海でした
外房の海は延々と断崖が続き、所々の入り江に湊や街が在る。大きな山は無いが険しい丘陵が矢鱈在り、道はアップダウンとクネクネを繰り返す。勢い海沿いじゃ船便が重用されますが、荒れる外房沖じゃ確実性に欠けますヨ。
そこで断崖沿いにも道は設けられますが、一歩足を踏み間違えたら奈落の底へ真っ逆さま。特に険しい勝浦と鴨川の間の断崖で、「おせんと云う娘が崖下に落ちた=転がった」らしい。ソレは単に「昔」とされ、具体的には不明。
しかも「自ら落ちた」「いや落とされた」と諸説有る様ですが、そんな伝承の断崖が実在し、ソコを長大トンネルでバイパスする国道にゃ「おせんころがしトンネル」が‥。以前このトンネルを通って以来、ずっと不思議に思ってたンです。
伝承の真偽は兎も角、実際に「どんなに険しいトコなのか」見てやろうと外房へ向かった私メですが、ドウやら入るトコを見落としてた様で‥結局ナニしに行ったのやら。尤もソコに行ったからって、何の役にも立たないンですがネ。
「おせんは豪族の娘」で「重税を課す父親の身代わり」に、一揆を起こした領民によって「簀巻きにされ」、「覚悟の上で落とされた」と云うのが最有力な説だとか。そして父親は改心して重税を止め、領民は目出たし目出たし‥と成るらしいンですが、何か釈然としない様な‥。尤も伝承に文句を言うのは野暮ナンで、ソウ云う事にしときましょ。さて鵜原海岸を歩いてましたら、方々で「はば海苔」が干されてましたヨ。真冬が旬で、外房じゃ四角く干したのを軽くあぶり、正月の雑煮に入れたりするンだとか。はば海苔は「はばを効かせる」に通じる、目出たい縁起物です
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★明日は「千葉県南房総市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「おいでよ、朝市の港町かつうら」勝浦市観光協会HP
http://www.katsuura-kankou.net/
★「冬の鵜原海岸」千葉県発二日酔いまでの後悔街道ブログ
http://chibahatu.jugem.jp/?eid=721
★「房総随一の景勝地・鵜原理想郷」磯香の湯宿 鵜原館HP
http://www.ubarakan.com/html/sight.htm
★「『おせんころがし』のまとめ」@niftyデイリーポータルZ HP
http://portal.nifty.com/2007/07/18/c/
★「国道128号旧道 おせんころがし」山さ行がねがHP
http://yamaiga.com/road/r128_osen/main.html
★「勝浦タンタンメン」勝タンHP
http://www.katsutan.com/
★「肉のファミリーレストランこだま」千葉ラーメンをイタ車でGo!ブログ
http://blog.livedoor.jp/lanciba/archives/51524406.html
(関連する記事)
★「610 【麺類色々33】勝浦は朝から赤い」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=627
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=154
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=268
(まるで講談みたいに、根も葉も無いイイ加減な伝承はソウソウ無い筈で‥)
勝浦市の名物として、近年売り出されてるのが「勝浦タンタン麺」。とは云え最近デッチ上げられた訳じゃ無く、今から六十年も前に作られたモノだとか。凍える冬の海で冷え切った漁師や海女の為に、体を温めようと考案されたモノと聞いてますが‥。辛過ぎるトコと、比較的ソウじゃ無いトコが有るらしく、辛過ぎない方の代表格・約五十年前創業の「ファミリーレストランこだま」と云う、鵜原海岸の街のお肉屋サンがやってる食堂で食べて参りましたヨ。柔らかく煮られた玉葱から出る甘みが、唐辛子の強さを殺してて余り辛くない(いや十分以上に辛いンですが‥表現が難しい)。なのに体は確実に温まってまして、実に真冬に向いてますナ
昨日ご紹介した「滝田城」が物語では里見家の本城とされてますが、実際はご覧の「館山城(根古屋城)」がソレでして、復元された天守閣の中は「南総里見八犬伝」だらけ。ココも山の上ナンで、登るのが大変でした
(昨日の記事からの続きでございます。まずはコチラをどうぞ!)
上方の講釈師・旭堂南海兄ぃを案内しての、千葉・南房総巡りは続いて居ります。この辺りは江戸時代の大ヒット小説「南総里見八犬伝」の舞台でして、その現地を見に行ってみよう!とレンタカーで東京湾を渡って来たンですヨ。
ドウやら大阪芸人には南房総は常識の埒外らしく、「行ってみたいンやけど、行っても良う判らん」ナドと仰るので、暇だけは売るほど有り、多少は土地勘の有る東京芸人の私メが「日頃の御恩報じ」と御案内役を買って出た訳だ。
私ぁ「(講談枠が保障されるなら)将来の人間国宝は兄ぃに違いない」と見てまして、今の内に恩義を売っといた方が有利と判断‥と云うのはサラサラ無く、同業者はどんな風に「根多の現地取材をする」のか興味が有ったンです。
私メら講釈師は如何にも「見て来た様な事」を高座で言う為に、その根多の現場を見て来るのは大切なコト。私メも海外が舞台の根多以外は、出来うる限り現場を見に行く様にしてます。「見て来た上で嘘を付く」訳でございますナ。
館山城天守閣から外を見れば「絶景かな絶景かな」。相模湾に臨む館山湾が一望で、彼方には神奈川・三浦半島の姿も。房総半島全てを領した里見家は江戸幕府によって改易され、鳥取・倉吉市に流されてます
まずは南房総市の内陸に在る八犬伝の舞台「伏姫籠穴」や「滝田城址」を巡り、膝が大笑い状態に成った私メらですが、「虚構を語る為には真実を知らねば」と向かったのは、実際の里見氏の居城「館山城址」。ココは館山市です。
房総半島の南端はかつての「安房国」でして、館山を中心に小さな町村がゴチャゴチャ在りましたヨ。ソレを「平成の大合併」で一つに纏めようとしたンですが、イロイロ有って「館山市」「館山以外全て(=南房総市)」に成っちまった。
お陰で館山市は南房総市に三方囲まれちまったンですが、関東で一番温暖なトコ。でも温暖過ぎて暢気だったのか?戦国大名・里見氏は時代の変化に付いて行けず、江戸幕府に難癖を付けられて、館山から追放されちまった。
江戸湾の入口に陣取る外様の里見家が邪魔だった様ですが、江戸ッ子達からすれば多少は知ってる話だから想像の翼を拡げ易かった‥。館山に来た事の無い馬琴センセも書きたい放題!兄ぃ、多少はお役に立ったでしょうか?
JR館山駅の裏側は、「北条海岸(別名:鏡ヶ浦)」と云う穏やかな砂浜でございます。日本の夕陽百選に選ばれてる絶景で、どうせだから兄ぃと二人で沖合いにたまたま停泊中の「日本丸(館山には海員学校が在ります)」を眺めてたンですが、こんなロマンチックなトコにオッサン講釈師じゃ、こりゃドウしても絵に成りませんゼ。柄じゃ無いから帰りましょうか
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★明日は「長野県上田市真田町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「タテヤマヘ行こう!」館山市観光協会HP
http://www.tateyamacity.com/
★「さとみのふるさと」館山市役所HP
http://www.city.tateyama.chiba.jp/satomi/contents/contents.html
★「館山城・里見氏 最後の居城」埋もれた古城HP
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Chiba/Tateyama/
★「NHK連続人形劇 新八犬伝!」新八犬伝をもう一度見ようよ!HP
http://homepage2.nifty.com/starship/
★「平成24年度 館山湾の風景」館山市役所HP
http://www.city.tateyama.chiba.jp/minato/page100049.html
★「『サザエカレー』は千葉県が誇る郷土食‥」ぐるっと千葉スタッフBlog
http://gurutto-chiba.blog.ocn.ne.jp/nikki/2012/09/pr_584d.html
(私メもいずれ『八犬伝』を口演する事に成るンかな?でもヤヤコシイんですヨ)
館山市や南房総市のローカルフードと云えば、やっぱコレでしょ「サザエカレー」。コレは昔っからフツーに作られてる料理で、なぜサザエを入れるかと云えば「この辺りじゃサザエは肉より安かった」から。同じ千葉県の九十九里浜辺りじゃ「肉より安かったから」とハマグリカレーが、房総半島の内房じゃ「肉より安かったから」とアサリカレーがフツーに作られてたソウでして、正に「所変れば常識変る」でございますナ。サザエの茹で汁をダシにしてまして、食べる寸前に加えるサザエの身の歯応え(初めっから煮込むとグタグタに成っちまう)と相まって、実に美味いンです
千葉・南房総市の「滝田城」の展望台付近に、妖犬「八房」と「伏姫」の像がございましたヨ。八犬伝はこの滝田城から波乱万丈な物語が始まり、そしてこの滝田城でめでたく大団円を迎える事に成るらしいンです
「旅は道連れ世は情け」。独りで気侭な旅をするのも宜しうございますが、気の会う仲間とワイワイ言い乍ら、至って賑やかに動き廻るのも宜しうございますヨ。てな訳で今回は、上方講釈師の「旭堂南海」兄ぃと千葉・房総半島へ。
私メら講釈師は「見て来た様な嘘を付き」と高座じゃ申して居りますが、実際はソウじゃ無い。「良き嘘を付く為には真実を知って居らねば」で、如何にも見て来た様な顔して物語を語る為にゃ、予めイロイロ調べて於かねば成らぬ。
ソレは文献を調べたり解説を聞いたり、昔の映画を見たり古い講談本を読んだりとチョット面倒臭いンですが、高座を破綻させない為に必要な作業でございましょうナ。でも一番必要なのは「実際に現地に出掛けてみる」事ですヨ。
「己の中でイメージの纏らぬモノ」は、例え百万言費やしたってお客さま方に伝わる訳が無い。処が現地に出掛けますとイメージが纏め易いンで、比較的伝わり易いのでは?尤もソレ以上に、各自の「芸力」が必要ナンですがネ。
物語では「伏姫は富山(とみさん)の洞窟に逃れ、八房の種を宿した」と成ってる様ですが、いざ富山に行ってみると‥ナント伏姫の洞窟が!但しコレは後で作ったモノらしく、洞窟内に八つの珠が置いて在りました
江戸時代の大作家「滝澤馬琴」センセは、実際に現地にゃ行って無いのに想像の翼を羽ばたかせ、「南総里見八犬伝」と云う大ベストセラーをモノにした。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の珠を持った八忠臣が活躍するアレですナ。
馬琴センセが二十八年も掛けて書き続けた大作で、完結する前から講談に成ったり芝居に成ったり‥の大人気。私ぁ昔「故・坂本九さんが講釈師役に成って案内役を務めた」NHK人形劇で、この八犬伝を見た記憶が有ります。
思えばアレが「初めての講談」だった様な気もしますが、講談としての八犬伝は大変な連続長編で、高座に掛ける同業者は滅多に居りません。処が敬愛する南海兄ぃは何を考えたか?大阪の高座で「八犬伝」を連続で読んでる。
ですが八犬伝は千葉県。しかも房総半島の南端が舞台の物語で、関東人にも判り辛いのに、土地勘の無い関西人が判る訳が無い!その結果、「お客さんが減ってくのヨ」だソウで、ならば「まず実際に見に行こう」と成った訳です。
(お話は明日の記事に続きます、続きはココをクリックして下さいませ)
滝田城の展望台から、房総半島の先端「安房国」を眺めてみました。房総と云うと専ら「海」のイメージですが、滝田城も富山も結構内陸で、ココから海は全く望めません。さて実際の里見一族はこの城を本拠地にした事は無かった様ですが、古代の官道(つまり古東海道でしょうナ)はココを通って居りまして、古くから安房国の中心集邑だった様。現地を全く見ずに物語を書いた馬琴センセは、ココに一体どんなイメージを膨らませたンでしょうか?因みに結構な山城で、私メも南海兄ぃも「膝が大笑い」状態に成ったのは言うまでもございません。運動不足が祟ってます
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★明日は「千葉県館山市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「南房総市富山・南総里見八犬伝の里」南房総いいとこどりHP
http://www.mboso-etoko.jp/tomiyama/satomi/
★「『南総里見八犬伝』と房総里見氏の城跡」千葉県教育委員会HP
http://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/sonohoka/kyoudo/kuroshio/shiroato.html
★「伏姫籠穴」ちBポ・千葉の愛しきB級スポット達HP
http://www.chibpo.com/spot117.html
★「滝田城・里見同族決戦の舞台を見下ろす」埋もれた古城HP
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Chiba/Takita/
★「南房総の柚子と檸檬の下総ぽん酢醤油」ちば醤油HP
http://www.chibashoyu.com/shopping/shoyu/ponzu.html
(南海兄ぃが我が侭言わなければ、恐らく行かなかったトコばかりの旅です)
今回は「同行者有り」で心行くまでスーパー巡りが出来なかったンで、ちば醤油サンの「南房総の柚子と檸檬のぽん酢醤油」位しか買ってる暇がございませんでした‥仕方有るめぇ、また改めてゆっくり行くとしましょうか。常夏の南房総は柑橘類の美味しいトコでして、ソレに因んだモンが結構有りますヨ。私ぁ以前からコレを時折買って居りますが、果たして「ぽん酢の本場」上方美食家・南海兄ぃにお喜び戴けましたでしょうか?柚子と檸檬の風味が爽やかで、とてもフルーティな逸品ですゼ
千葉・一宮町内を走る国道128号(房総横断道路)は海水浴客で毎夏混み合うンですが、震災の影響か?今夏は渋滞がほぼ無いらしいンです
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
震災から結構時間が経ちましたが、その影響は全国に及んで居りますナ。無能極まりない政府の阿呆共の所為で、直接被害を受けた訳でも無いトコまで電力不足に成っちゃってる様で‥。誰だ!選挙であの馬鹿共を選んだのは。
民主党支持者への批判は何れジックリやるとして、今回の震災で辛かったのは何より津波。青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の東日本太平洋側各県が、大なり小なりの津波の被害を受けた訳でございますが、南端は何処だ?
無駄にフットワークの軽い私メですンで調べてみたら、ソレは千葉・房総半島北東部の「一宮町」だったらしいとのコト。千葉県の半分以上を占める「旧上総(かずさ)国」の一ノ宮「玉前神社」の門前町で、太平洋に面する静かな街。
昔の日本は六十六ヶ国に分かれてまして(北海道と沖縄は当時違う国でしたし、壱岐と対馬の二島は別枠扱い)、一ノ宮とは各国ごとの格式ランク一位のお社と云う事です。門前町が形成され、独特な雰囲気に成ってるトコが多い。
震災と一切関係なく、玉前(たまさき)神社は只今「平成の大修理」の真最中。詳細は不明ですが、千二百年ほど前には鎮座してたらしいです
でも良くも悪くも「独特な荒っぽさ(キライじゃ無い)」を持つ千葉県。特にソレが著しい房総半島と有っては、一ノ宮だからとお高く留まってる雰囲気は殆ど感じられぬ、九十九里浜南端の歴史の在るトコ(戦前は一大別荘地だった)。
何は兎もあれ御挨拶と玉前神社へ参りましたら、再来年まで大修理の真最中で少々残念でしたが、施工が「金剛組(聖徳太子の頃から在る、世界最古の会社)」と云うのを見、やっぱ一ノ宮クラスに成るとソウだよナと関心感心。
ですが真夏と云うのに街は妙に静か。不思議に思ってましたら「地震→津波→原発爆発→汚染水流出」の影響で、今夏の九十九里浜や房総半島の海水浴客はナント最大九割減‥。例年の一割のお客サンしか来て無いらしい。
そりゃ空いてるよナァ、静かだよナァ。でも商売に成らないよナァ、困っちゃうよナァ。毎夏混むンで私メはまずこの辺りへ来ないンですが、今夏ばかりは行ってやらにゃ成るまいと、もうガラガラの海岸道路を走る私メでございました。
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★明日は「愛知県一宮市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「緑と海と太陽のまち」千葉・一宮町観光協会HP
http://www.ichinomiya.org/
★「上総国一之宮」玉前神社HP
http://tamasaki.org/
★「ある日の玉前神社(金剛組修復に入る)」上総歴史散歩ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/miyamoto83885/3644429.html
★「教えてちばの恵み・いわしファクトリー」千葉県庁HP
http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbmgm/06chiba/iwashi.html
(こと原発爆発と処理に関しては、全て悪いのは東京電力と民主党でしょう)
一宮町だけじゃ無いですが、千葉・九十九里浜沿岸は「カタクチイワシの酢漬け」が名産。ソレを酢飯に乗せたチラシ寿司風のを売ってましたンで美味しく戴きましたが、もうこの歳に成ると放射能なんか恐くない
茂原「もりたや」さんで焼きそば。インスタント?と一瞬思ってしまった独自の冷麦的な戻し乾麺と、別に炒めたキャベツ達。味付けはご自分で
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
千葉・九十九里浜南部の茂原市へ行って参りました。房総半島の付け根の太平洋側に位置する九万人強の工業都市でして、聞けば天然ガスの産出は日本有数だソウです。茂原を含む九十九里浜沿いは、天然ガスが良く出る。
数年前に勝手に噴き出したガスが床下に溜った某博物館が、折悪く爆発して大騒ぎに成ったと記憶致して居りますが(茂原の近くの町です)、狭い様で広いニッポンにゃ色んなトコがございます。ちなみに新潟は石油が出たりする。
でもソレほど莫大に噴出してる訳じゃ無く、千葉県の都市ガスの約三分の一を賄う程度の様ですが、ガス生産時の副産物「ヨウ素」に関しては世界有数の産地だとか。全世界の三割のヨウ素は茂原産らしい。ヨーチンが懐かしい。
天然ガスも世界有数の規模で噴き出して呉れりゃ、日本のエネルギー問題は全て解決!遠い国から巨大なタンカーでエッチラオッチラ運んで来ンでも済むンですが、そうは問屋が卸しちゃ呉れンので、原発に頼らにゃ成らん訳だ。
日蓮宗の本山の一つ「常在山藻原(そうげん)寺」。総本山の山梨・身延山に対し、ココは「東身延」と称してらっしゃるソウで、格式は高いです
さて房総半島は日蓮上人サンのご出身地だけ有って、法華のお寺や史跡の多いトコでございます。この茂原にも日蓮サンがお檀家と一緒に「南無妙法蓮華経」と初めて唱えた(らしい)お寺さんが在って、聖地の一つと成ってる様。
ソレが茂原市内の藻原寺と云うお寺サンで、「初めてお題目を唱えた」と云う事にどんな価値が有るのか全く判らン私メ(私ぁ法華の信者じゃ無いし)ですが、寺名が転化して市名に成った位ですから、エラク慕われてたのは判る。
そんな茂原はバブルと踊った街。バブル時に拡張戦略に打って出た百貨店「そごう」は、この小さな街の駅前に大きなお店を出した。当時のそごうは闇雲に方々へ出店してまして、その殆どが赤字店。当然そごうバブルは崩壊!
茂原そごうは真っ先に閉鎖されましたが、駅前にその巨大なビルが残ってまして‥。何とか活用してる様ですが、すっかり寂れた駅前商店街で茂原独自の焼きそばを食べ乍ら、「茂原そごうとは何だったのか」と考えてた私メです。
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★明日は「千葉県長生郡一宮町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「太平洋に近く、温暖で自然いっぱい」茂原市観光協会HP
http://www.mobara-kankou.com/
★「日蓮宗本山・東身延」常在山藻原寺HP
http://higashiminobu.sougenji.nichiren-shu.jp/
★「ヨウ素と天然ガス」合同資源産業HP
http://www.godoshigen.co.jp/iodinegas/
★「茂原名物くず餅 常泉製麩所」茂原 我が愛しのお店ブログ
http://himeraruzemi.blog.ocn.ne.jp/mobara/2007/12/post_4c74.html
★「茂原ソールフード『もりたやのやきそば』」茂原 我が愛しのお店ブログ
http://himeraruzemi.blog.ocn.ne.jp/mobara/2010/08/post_baa0.html
(関連する記事)
★「目次 【やきそば】シリーズ」
http://rifuh.jugem.jp/?cid=33
(昔は怪我をすると、まず『ヨード・チンキ』で消毒するのがフツーだった気が)
茂原は「くず餅」でも有名ナンだとか。但し本葛を使った関西風と違い、小麦粉が原料の関東風のモノ。お麩作りの副産物として出来るらしい