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同じ臨済宗の禅寺でも室町幕府の庇護を受けた「叢林(そうりん=五山十刹)」に対し、在野の立場をとる「林下(りんか)」の代表寺院だったのが「龍宝山大徳寺」さん。国重文の法堂は寛永十三年(1636)築です
同じ京都でも昨日ご案内の伏見と全く違い、心地良く晴れた洛北の紫野を歩いてます。人ソレゾレ好みが御座いましょうが、著名な観光寺社の多い東山区辺りに滅多に近付かぬ私メ。理由はムダに混んでるから。
昔は混んでるトコを好んで飛び込んで行くタイプだったンですが、発病以来の五年間でスッカリ好みが変わり、雑踏を息苦しく感じる様に成り、止むを得ぬ時以外は少しでも混んでる気配がすると避けて廻ってます。
その点、洛北は空いてますナ・・混んでるのは金閣寺だけ。魅力的なトコは結構多いのに、インスタ映えや外人受けしない様で、ノンビリ過ごせて実に宜しい。但し今回参った紫野は昔の風葬地だったりしますが。
風葬地とは文字通りに「遺体を土に埋めず、野晒しにして風化するのを待つ」為の場所で、つまり遺体がアチコチ捨てられてた物騒なトコ。火葬が当たり前に成ったのは明治半ば以降で、ソレ以前は土葬が一般的。
大徳寺さんは反骨主義者に愛された?鎌倉幕府を倒した後醍醐帝が帰依された他、ココで修業したのが風狂を貫いた一休禅師。茶道の開祖・千利休居士も参禅して、国重文の山門「金毛閣」を寄進されてます
講談でも時折出て来ますが、縦長の樽みたいな棺桶に遺体を入れ、深く掘った穴の中に棺桶ごと入れて一上がり。儒教的の教えじゃ遺体を傷付けるのは大きな罪に成る様ですし、火葬よりも土葬の方が安上がり。
と云うのは昔はガスが無かったンで、燃やすと成ると半端なく大量の薪を用意せねば成らず、ソレを揃えるにゃ沢山の金子が必要。葬儀保険も無かったから、庶民はそんな贅沢出来ません。埋めちゃえ埋めちゃえ。
但し土葬すら出来ない人達が居た・・ソレが京都人。つまり平安から戦国時代にかけて全国最大にして唯一の都市だった京都では、土葬にするのも贅沢だった時代が在る。つまり平安貴族が栄華を誇ってた頃。
現在の日本を「格差社会」と呼ぶ人が居ますが、馬鹿を言っちゃいけない!今の日本ほど格差の少ない社会は無く、広く世界を見ても、或いは日本の昔を見ても、脱出不能な程に固定化された身分制が当たり前。
大徳寺さんと云えば途轍もなく広い境内に、一体幾つ有るンだろうと思う程に多い塔頭。調べてみたら二十四も在るンだソウですが、コレだとて明治維新後に大分減らしたらしく、参道が静かに延々と続いてます
ごく一握りの殿上人の贅沢を支える為に、その何十倍もの貧乏人が犇いてた訳で、しかも都会暮らしだから田畑を持ってる筈も無く、いざ死んだら安く埋められる野山なんか無い。だからと云って火葬の金も無い。
無い無い尽くしで遣り切れないですが、そのままにしても置けないンで、仕方なくなく都の外れまで遺体を捨てに行ってたと申しますナ。大都会の京都だけに捨て場が随分在ったとか。例えば西院辺りがソレの筈。
ですが野晒しにする好適地?として知られてたのが、東山の清水寺の南「鳥辺野(とりべの)」と嵯峨野の最奥「化野(あだしの)」。そして洛北の船岡山の麓一帯「紫野(むらさきの)」の三つで、三大風葬地と呼ぶとか。
鳥辺野と化野は御所から遠い分、随分長く使われてた様で・・徒然草で兼好法師は人生の無常の例えとして「あだし野の露」「鳥辺山の煙」と記されてますが、御所に比較的近く今はスッカリ市街地化してる紫野は?
紫野の真ん中にドッカと鎮座されるのは、正暦五年(994)に創建された「今宮神社」さま。都にはびこる厄病封じの為に朝廷が奉じたお社ですが、今は玉の輿願いの娘達が屯してまして・・ココは風葬地なのに
鴨川で洛中と途絶されてた鳥辺野と、洛西の果ての化野は平安時代末まで風葬地だった様ですが、洛中に近い紫野は比較的早くソレじゃ無く成った様。何故なら疫病封じで朝廷が、今宮神社さまを建ててるから。
寿命で亡くなった人だけじゃ無く、病で亡くなった人も十把一絡げに野晒しな訳だから、ソコから疫病が流行るのは当たり前。病は気からだけなら呪いで対処出来ても、伝染病相手に果たしてドコまで役に立つの?
マトモな医学なんか無い時代ですが、何度も大規模な疫病が流行ると経験から判る訳で、洛中近くの紫野で野晒しにしてるのが悪い様な気がする!ならば止めよう・・で、次第に京都でも土葬が主流に成ったのか。
今宮神社さまが切欠だとすると千年も経ってますから、風葬地だった頃の面影なんか残ってる筈有りませんが、当時は凄い風景だったろうと思いつつ、千年前から伝統の餅を食べる。実に不思議な洛北の旅です。
今宮神社さまの東門を出ると、参道を挟んで二軒のあぶり餅屋が。左手が創業から千年を超える「一文字屋和輔」さんで、堂々の国内最古の料理店!お向かいは遥かに新参なれど、江戸時代初期の創業だから四百年近く続いてる「かざりや」さん。想像を絶する長く続いたライバル店で、いつも仲良く客引きしてますネ。京都ってホント奥が深いです
(参考リンク)
★「京ごよみ」京都市観光協会HP
★「京都観光Navi」京都市産業観光局HP
★「京都の三大風葬地『化野』『鳥部野』『蓮台野』」古都コトきょーとHP
★「京都市北部の『紫野(むらさきの)』の紫って何の色?」ことぶら田中の個人ブログ!HP
★「紫野の地名について」出雲大社紫野教会HP
★「龍寶山大徳寺」臨黄ネットHP
★「一休さんとゆかりが深い大徳寺の魅力。大徳寺に佇む歴史ある建物を見に行こう」wondertripHP
★「大徳寺 世俗を拒む茶面の禅」Kyoto Townmap HP
★「健康長寿・良縁開運の玉の輿神社」今宮神社HP
★「疫病鎮めと良縁祈願(玉の輿)の社 今宮神社」寺社巡り.com HP
★「桜舞い散る季節の京都三奇祭 今宮神社やすらい祭で疫病鎮静」Smart Magazine KANSAI HP
★「あなたの好みはどっち?今宮神社のあぶり餅」京都ecoトリップHP
★「京都今宮神社のあぶり餅2軒食べ比べ【違いが有ります!】自宅で再現してみました。【かざりや、一和】」抹茶みるくの、ここからログ・ブログ
★「【京都グルメ】北区 かざりや!今宮神社で四百年続く本家根元あぶり餅」索楽HP
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(北野天満宮〜平野神社〜大徳寺〜今宮神社と歩くのが好きですネ)
今宮神社さまを詣でたら、ソリャもうあぶり餅以外あり得ませんので、千年の一文字屋(一和)さんと四百年のかざりやさんを代わりばんこに訪ねてる気がしますが、竹串に刺した小さなお餅を炭火で炙り、ソレに白味噌だれをかけて暖かい内に食べるのは全く一緒。違うのは一和さんが少し甘く、かざりやさんが少し塩っぱいコト。美味いのはドチラも一緒で、コリャもう好みだとしか・・私ぁ今回訪ねたかざりやさんの方が好みですが。ハッキリ言います、白味噌だれだけを売って貰えまいか!そしたら東京の拙宅でも再現が出来るンですが、幾ら勧誘されても紫野から出ずに商売を続ける二軒の超老舗ですンで、ソリャ無理なんでしょうネ