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JR田町駅近くの「札の辻交差点」から桜田通り(左)奥に聳える東京タワーを眺めてみましたが、ココは江戸の南の正門「芝口門」が在った場所。つまり慶長六年(1601)に江戸〜京都間の五十三次として制定された東海道(右、国道15号線)は実 質ココが始点な訳ですが、ソレ以前の古東海道もスグ近くを通ってましたヨ。当時と風景が違うでしょうネ
東海道は五畿七道の一つとして、七世紀後半の飛鳥時代に造られたのが始まりだとか。畿内から海沿いに東国へ向かう官道ですが、起点も終点も時代によって違いますし、ルートも移り変わってますンで・・詳細は不明だったりしますが、三田の慶応義塾大学近くを通っていたのは間違いない様。コロナ禍の為に部外者は入構できないのが残念!
札の辻と慶應義塾の間に「聖坂」が在りますが、高輪台へ登って行くこの道が古東海道だったとか。高野聖が開いたからコウ呼ぶと聞きますが、ドウしてこんな坂が街道だったかと云えば、大昔の高輪台の東側は海が迫ってて通るに通れず、丘の上を通るのが安全だったからの様。勾配がキツくて滑るンで、江戸時代は石踏みの階段だったそうナ
聖坂を登ると寺町だったりしますが、某お寺前の古地図(右側が北)をお借りして解説を。南北に貫く二本の道の内、上の道(伊皿子交差点と書かれてる方)が古東海道で、下の道が江戸時代以降の東海道。両道は結構な高低差で、東海道は全く海沿いだったとお判り戴けましょうか。悪天候で時化が酷い時は、古東海道へ迂回して通ってた様ですが
飛鳥時代に古東海道が造られたのは、関東や東北から人や物資を畿内へ送らせる為ですが、坂東の大国・武蔵国でも南部(今の東京都)は大河と湿地だらけの未耕作地で、役に立たぬと半ば見捨てられてた地だったとか。ソレでも海沿いや高台には人が居た様で、聖坂上の亀塚公園(旧華頂宮邸跡)には古墳(左の小山、詳細は不明)が残ってますヨ
二枚上の画像の古地図で「土岐美濃守」と書かれてるトコが亀塚公園ですが、逆さに「細川越中守」と書かれてるトコの一部が高輪皇族邸。つまり上皇陛下と上皇后陛下が今年三月末から仮住まいされて居られる「仙洞御所」ですネ。つい先日もココはご紹介したばかりですが、実は古東海道に面してます・・この辺りから二本榎通りと呼ばれますネ
「昔からの街道沿いは辺りで一番地盤がシッカリしてる」と良く言われますが、仙洞御所の在る高輪台は古東海道だから坂下の平地より頑丈な筈・・多分。両陛下のお住まいに相応しく思えますが、道に面して「ご移居記念樹」コーナーが設えられましたヨ。ココの花が咲くのを待ってましたンで、今回の古東海道はナカナカ記事に出来ませんでした
ご移居記念樹として植えられたのは、昭和四十一年(1966)に英国から当時は皇太子妃の美智子さまに贈られた薔薇「プリンセスミチコ」。東五反田の「ねむの木の庭(上皇后陛下の御実家・旧正田邸跡を整備した公園)」から移植したモノで、両陛下を奉迎するには一番相応しい花ですナ。どうか何時までも健やかで有られます様に、願うばかりです
仙洞御所前を通って更に南へ進むと、ステキな造りの消防署・・昭和八年(1933)に建てられた「旧高輪消防署」で、落成当初は火の見櫓から都内全域の火災を見渡せたとか。現在でも二本榎出張所として現役ですが、ココを過ぎると静かな商店街と成り、やがて古東海道は住宅街の中に消えて行きますが、主治医のクリニックが坂下の泉岳寺前に在るコトも有って、その往来に毎度通るこの道が江戸が出来る遥か前から存在した、都内最古級の道なのは講釈師として嬉しく思えます
(参考リンク)
★「VISIT MINATO CITY」港区観光協会HP
★「高輪・品川ひととき散策手帳」プリンスホテルズ&リゾーツHP
★「札の辻交差点」港区観光協会HP
★「Keio University」慶應義塾HP
★「古東海道(足柄峠〜上総国〜下総国)」まほらにふく風に乗ってブログ
★「もうひとつの東海道、『古代東海道』ってどこを通っていたの?」はまれぽ.com HP
★「東京・田町駅すぐ 三田・潮見坂&聖坂界隈はかつての海岸線だった?」ORICON NEWS HP
★「三田高輪の台地を探る」東京街歩き高低差研究所ブログ
★「史料解説〜三田聖坂に馬車道をつくる」東京都公文書館HP
★「亀塚古墳 港区亀塚公園」週末は古墳巡りブログ
★「上皇ご夫妻のお引っ越し先『高輪皇族邸』周辺は、歴史散策にうってつけだった」アーバンライフ・メトロHP
★「高輪皇族邸の内部や間取りと場所(地図)は?警備や見学はできるの?」ドラマbuzzブログ
★「1月の高輪台:高輪警察署前から二本榎通り・伊皿子交差点前まで PART1」緑には東京しかないブログ
★「メリーロード高輪」東海大学Takanawa共育プロジェクトHP
★「二本榎出張所が『東京都選定歴史的建造物』に選定されました」東京消防庁高輪消防署HP
★「高輪消防署二本榎出張所」レトロな建物を訪ねてブログ
★「通のおもたせ 松島屋の『豆大福』」eHills Club HP
★「昭和天皇が愛した豆大福 高輪皇族邸近くの『松島屋』」朝日新聞デジタルHP
(関連する記事)
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(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
(高輪と云う地名は「高台の縄手道=古東海道」から出てたりしますネ)
高輪台の古東海道は寺町とお屋敷町の中を抜ける静かな道で、消防署近くの小さな商店街「メリーロード高輪」の辺り以外にゃ大して店が無かったりしますが、仙洞御所の近くに都内随一の豆大福の名店と呼ばれる「松島屋」さんが在りますヨ。大正七年(1918)から豆大福を作り続けてると聞きますが、ナンと言っても松島屋さんは「天皇陛下御贔屓のお店」だったりする。と言っても今上陛下じゃ無く、昭和大帝さまが皇太子時代と云うから創業直後ですが、現在の仙洞御所にお住まいだった時期に御門のスグそばに在る松島屋さんへ近習を度々走らせ、豆大福をお召し上がりに成ってた位。続いてお住まいに成られた高松宮さま(昭和大帝さまの弟君)もご贔屓されたと聞きますし、ご移居なされて早々に上皇陛下御夫妻もお忍びで来られたとか・・宮内庁に確認してませんが。私メも通院の際に時々買ってましたが、何しろ「東京三大豆大福」等とマスゴミが騒ぐンで行列の時が多く、昼前には売り切れてしまうコトが多くて食べたくても買えない時が。ですが今回は幸い行列も無くもまた売切れてませんでしたので久しぶりに・・拙宅からほど近い護国寺の群林堂さんのに比べて甘さが控えめ?で、お餅の塩豆の味が目立つかナ。何れにしろ絶品で、天皇陛下は良いモノをお召し上がりに成って居られると感服する限りですネ。また買いに参りましょ