「南町奉行、遠山左衛門ノ尉さまぁ御しゅつざ〜」ナンでございますヨ
歴史上の有名な人物には、実際と虚像が余りにも離れ過ぎて居る方が結構居らっしゃいますよネ。世間で抱かれて居るイメージが勝手に一人歩きして、本当はどんな人物だったかすっかり忘れ去られてしまったヒト。ホントに多い。
例えば今年の大河ドラマの坂本龍馬サンも、世間一般でのイメージは「司馬遼太郎センセ史観」の龍馬サンで有りまして、実際は先人達の努力成果の上前を掠める事が随分多かった、ナンて事を歴女の方々はまぁ興味ない筈。
例えば赤穂義士伝の吉良上野介サマだって、世間一般のイメージでは酷く意地の悪いジイサンとされちゃってますが、当時の状況常識を冷静に調べて見ると、むしろ乱暴なのは浅野家側の方。だがそれじゃドラマは面白くない。
でも「そんなコトをお前は言える立場か?」と聞かれましたら、私ぁ素直に謝るしかございません。むかしは我々講釈師が張り扇パンパン虚像を作り出し、近くは小説家が、そして最近はテレビ等が尤もらしく虚像を拡げてるンです。
コレは先代の松鯉先生のお墓でして、ウチの師匠のでは有りません。
そんなイメージだけ勝手に一人歩きして居る方のお一人が、「刺青判官」こと遠山金四郎景元(かげもと)公。江戸後期にまずは北町、続いて南町奉行をお勤めに成られたお方で、私ン家からさほど遠くない本妙寺にお墓が有る。
「べらんめぇな遊び人」が一般イメージですが、実は「能吏中の能吏」でして、「天保の改革」を始めた水野忠邦公の有能な部下として初めは良く仕事し、後に水野公と対立してでも庶民の文化を守ろうとした、真面目なお方なのネ。
確かに裁き上手だったらしく、また若い頃に苦労したのも有って世上のコトも良く判り、現職中から江戸っ子達の喝采を浴びてたらしいのヨ。それに私メの先輩達が目を付けて張り扇をパンパンやって、遂には刺青まで背負わせた。
同じお寺の墓地に、私メの師匠・神田松鯉(しょうり)の御先代のお墓が有るンです。毎年ご命日頃に師匠と有志がお参りに行くンですが、虚像を作った講釈師と、虚像を作られたお奉行様が一緒に、同じお寺とは不思議ですネ。
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★明日も「東京都豊島区巣鴨」への訪問記です★
(参考リンク)
★徳栄山総持院本妙寺HP
http://www6.ocn.ne.jp/~honmyoji/
★「遠山金四郎・本因坊の墓所 本妙寺」Tokyo Temple Guide HP
http://www.e-ishiya.com/tera/toshimaku/komagome/honmyouji/honmyouji.html
(このお寺にはもう一人、大変なお方のお墓が有りますがソレは次回)
(本文と関係無いですが)、ラオス・フェスで食べた「オッラオ」。高い、辛い
199 【ご近所めぐり10】南町奉行・遠山の金サンの御墓所
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