阿漕の街ナカに在る「阿漕塚」。平治サンの供養碑と言われてるらしい
さて今回私メが津まで参りましたのは、新作講談の現地取材が目的だったンですヨ。講談は「見て来た様なウソ」では駄目、「見て来た上で」と云うのが私メの師匠・松鯉の金言でございまして、弟子として実践している訳ですナ。
今回は「阿漕の平治」と云う、能や謡曲等でお馴染みの題材を講談にすると云う不敵な企みでございまして、その舞台は津の阿漕(あこぎ)と云う海岸。ココでむかし、実際にあった事件が未だに伝えられてると云うコトらしいのヨ。
「あこぎ」と言いますと、ナンだか「しつこい」とか「厚かましい」的な感じしか現代の私らは持っちゃ居りませんが、ソレは「阿漕の平治」の前半部だけが喧伝された結果の様でして、ホントはソレと全く違うナミダナミダのお物語り。
敬愛する売れっ子放送作家の「わぐりたかし」センセより啓示を戴き、真冬の阿漕海岸、正午過ぎだと云うのに誰も居りません。遠くでディンギーヨットが二艘、のんびり帆走中。こんな長閑なトコで凄惨な簀巻殺しが有ったとは・・。
夏は海水浴で賑わうソウですが・・。犬連れ散歩のオジサン寝てます
伊勢神宮の禁漁区だったこの海岸で密漁をした平治と云う漁師が、やがてソレが発覚して捕らえられ、制裁として簀巻きにされてこの海へ放り込まれ、悪霊と成った平治は夜毎出没して人々を困らせる。と云うのが能や謡曲。
処が実際はその後にも話が続く。ココら辺の中心だった安濃寺(あのうでら=現在の上宮寺)の御住職が成仏出来ない平治サンを懸命に供養して、平治サンの持仏・雨宝童子像は寺に納められ、命日に祭りを行う様に・・が講談。
親孝行と云う事情有っての行為でして、平治サン「狡賢い」「あつかましい」てな単純な訳じゃ無いンですが・・。まだ地震で壊滅する前の大港・安濃津から、日本中に港伝いにオドロげな部分だけ喧伝されちゃったンでしょうネ。
私メ程度の半端講釈師じゃ大した力にゃ成りませんが、奈良の黙阿弥サンに続いて津の平治サンも少しでも「名誉回復」して貰える様、精一杯パンパンと高座で張り扇を叩き廻ろうと思う私メです。今度の親子会で高座に掛けます。
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★明日は「青森県の鍋料理」を食べてみます★
(参考リンク)
★「阿漕塚」津のまちインフォメーションHP
http://tsucity.info/?p=83
★「謡蹟めぐり・阿漕」謡曲初心者のためのガイドHP
http://www.harusan1925.net/1030.html
(上宮寺のご住職さま、ホント御迷惑をお掛け致しました。勉強に成りました)
火事で溶けてなけりゃ恐らく国宝か重文。平治サンの鋳造雨宝童子像
108 【講談の舞台02】阿漕の平治‥津市
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