「大須観音」こと北野山真福寺寶生院は、鎌倉幕府が滅亡した元弘三年(1333)に建立された古刹で、元は岐阜・羽島市の大須と云うトコに在ったとか。ソレが徳川家康公の命令で、町名ごと名古屋に移転しました
あと幾日かで年が終わろうかと云う、昨年の師走最終盤に名古屋市をブラ付いたご報告が続いて居ります。今日・明日の二日掛けて「大須」をご案内しますが、ココは一言で説明出来ない・・実に雑多な街。そして再生した街です。
東京に類似する街が無いンで難しいですが、大雑把に言って「秋葉原的な要素」と「原宿的な要素」が散りばめられた「浅草みたいな街」でして、しかも本物の浅草より面積が狭い分だけ、カオスの密度がグッと濃くて胸焼けしそう。
秋葉原と原宿は明日に廻して、今日は浅草っぽいトコを取っ掛かりにして話を進めますが、大須が浅草に似てると言われる最大の要因は、街の真ん中に「観音様を祀る大きなお寺」が在り、門前町として栄えて来たトコですナ。
浅草はもちろん浅草観音こと「金龍山浅草寺」ですが、コチラは大須観音こと「北野山真福寺」で、コレに三重・津市の津観音こと「恵日山観音寺」を加えると、日本三大観音の出来上がり!誰が決めたか、ソウ云う事に成ってます。
私メも二ッ目時代に出演させて貰いました、名古屋唯一の寄席「大須演芸場」も今月限りで閉館に。とにかくお客さんの入らない寄席で、いつかその時が来るのを覚悟してましたが、ホント残念で・・。名残惜しいです
三大観音の内、津観音の門前町「大門」は市の規模からして小さいのは仕方無いですが、大須と浅草は昔から歓楽街・興行街として大きく栄え、ドチラも私メらの仕事場「寄席」が何軒も在った街。ココで育った芸人はホント多い。
ですが時代の流れと共に寄席演芸は一時低迷し、浅草は未だしも、大須は「大須演芸場」たった一軒だけに。ソレでも名物お席亭の奮闘で懸命に経営されてましたが、遂に矢尽き刃折れ・・今月一杯で閉館に成っちまうンです。
ソレを聞いて「こりゃ閉まる前に行かなくちゃ」と私メも訪ねましたが、卑しくも三大都市を標榜する名古屋で寄席を維持出来ないのか!今頃に成って市もイロイロ言ってる様ですが、こんな事態に成る前にドウにかして欲しかった。
東京や大阪の寄席からドロップアウトした面々の「駆け込み寺」的な存在で、ドッチでも無い不思議な雰囲気の高座が演じられてた寄席。大須の街は一時の低迷を脱して賑わってるのに、ココだけは静かなママ。涙が出そうでした。
大須の街の復活は明日申し上げますが、「名古屋と云えばコメ兵」の本店も大須に在りますヨ。日本最大級のリサイクル屋で、「いらんモンはコメ兵へ売ろう!」で有名ですが、演芸場のリサイクルも頼めませんか?
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★明日も「愛知県名古屋市中区大須」への訪問記です★
(参考リンク)
★「名古屋コンシェルジュ」名古屋観光コンベンションビューローHP
★「別格本山 大須観音」北野山真福寺寶生院HP
★「なごやお笑い寄席」大須演芸場HP
★「明治から大正にかけて、名古屋一といわれた盛り場」大須今昔HP
★「東海唯一の常設寄席大入り」Shake HP
★「いらんモンはコメ兵に売ろう!」リユースデパート コメ兵HP
★「揚げまん棒」納屋橋饅頭万松庵HP
(関連する記事)
★「310 【お米料理15】天むすの元祖は名古屋じゃ無く、津です」
★「709 さよなら黒門町本牧亭、いつか復活を!」
★「1014 【やきそば76】浅草の外国人観光客と『カレー焼きそば』」
★「1617 【麺類色々116】セントラルタワーと『駅のきしめん』・・名駅」
★「1618 【やきそば171】『塩っぱい焼きそば』と日本武尊・・熱田」
★「1619 【スイーツ98】『鬼まんじゅう』と超宗派の寺・・千種区」
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
(サヨナラ有れば出会いも・と申しますが、名古屋じゃ寄席は無理なのか?)
「閉館するのが辛い」とヤケ酒を呑むのは簡単ですが、ソレじゃ解決策に成らなンのヨ。ソウ云う時は敢えて甘いモンを食べて、脳ミソに栄養与えませんと・・てな訳で、大須本町に本社の在る名古屋銘菓「納屋橋饅頭」さんの名物「揚げまん棒」を。納屋橋饅頭自体はフツーの酒まんじゅうですが、コレは酒まんじゅうの入ったアメリカンドッグみたいなモンでして、そんなに甘くないンで私メら大酒呑みでも大丈夫!でもコレも一種のヤケ酒みたいなモンなんでしょうかネ?少しも酔えないンですケド‥
1620 【スイーツ99】さよなら大須演芸場と「揚げまん棒」
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