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港を見下ろす高台に在る「女川地域医療センター(旧女川町立病院)」で、私メの目を釘付けにしたのは「千年後の命を守るために」と云う石碑。あの大津波を忘れぬ為に建てられた、「津波記憶石」の一つです
再び東北を旅してます。前回は福島県の太平洋岸「浜通り」地方の震災後を見て廻りましたが、今度は宮城県東部の「南三陸」地方へ。今春開業した「JR東北仙石ライン」で、朝の仙台駅から先ずは石巻へ参らん!
この直通快速にゃ「専用ハイブリッド気動車」を用意したソウで、JRさんの気合の入れ方が判りますが、ほぼ同時期に開業した「上野東京ライン」の陰に隠れて全国的な話題には成らず、私メも知りませんでした。
地域医療センターの高台から見下ろした、四年前の夏の女川の港近くはこんな風に、根元から倒れたビルが幾つも転がってました。また空地化してるトコは、全て津波に押し流された家屋が建ってた部分です
忌まわしき大震災から四年半も経ち、そんな事なんて無かったかの様に思える東京に居ると、ソレじゃ駄目だと思いつつも・・被災地からの情報に些か厭き始め、目を背け耳を塞ぐ様に成ったのは残念ながら事実。
ですが実際問題、原発被害の「浜通り」と津波被害の「三陸沿岸」の復興は余り進ンで無い訳で、だからこそ今一度現場を見て来なくちゃ成らぬと考えたのは、やっぱ心神が弱ってる証拠でしょうネ。そんな旅です。
ほぼ同じ場所から、四年後の女川港の近くを見下ろしてみました。倒れてたビルだけじゃ無く、「マリンパル女川(上画像の茶色いビル)」ら全ての建物が解体されて更地に・・。区画整理がようやく始まった様です
石巻でローカル線に乗り換えて、女川町を目指します。ソコは四年前の夏、仲間たちが復興ボランティアに行くと云うンで連れてって貰い、そのお手伝いの様なコトをさせて貰った街。大津波で街中が浚われた港町。
報道で見る被害と、実際に見る被害の差に震え上がり、大自然の脅威の凄まじさと、己の非力さに絶望しかかった場所。終点の女川駅はホームを残して跡形も無くなり、・・いや街全てが跡形も無く成ってましたヨ。
コチラも四年前。同じ高台から奥の方を眺めましたが、山沿いの一部を残して、家屋が消え去ってるのがお判り戴けましょう。何しろ海抜十八mのこの高台すら水没した位で、ソレほど津波は大きかったンです
アレから街はドウ成ったのか?再生なった女川駅の一つ手前で降り、土砂降りの雨の中、歩いて女川の街に入るコトに。被害を免れた山沿いから、あの時壊滅してた海沿いへ、自分の目で確かめたく成ったンです。
結果は・・更地にして区画整理の工事中。街中の国道は閉鎖され、山沿いを迂回するバイパスを歩かざろう得ませんでしたが、四年経ってやっと再生が始まった・・。私メの闘病一年弱なんて、まだまだ甘いですネ。
同じ高台から今を・・。津波記憶石「千年後の命を守るために」の碑文を転載しておきます。「ここは津波が到達した地点です もし大きな地震が来たら この石碑よりも上に逃げてください 逃げない人がいても ここまで無理矢理にでも連れ出してください 家に戻ろうとしている人がいれば 絶対に引き止めて下さい」・・自然に人間は勝てませんが、ソレでも対策と対応をとるコトが出来ます。もう二度と悲劇が起きません様に
あの日、今は亡き「マリンパル女川」の屋上から撮影された大津波の模様が、youtubeに在りましたのでご紹介を。女川町じゃ家屋の約九割が全開・半壊の被害を受け、亡くなられた方の割合は一番高かった自治体だったりしますヨ。震災前の女川を旅行で訪ねたコトが有りますし、「マリンパル女川」で興行された寄席にも出たコトが有る私メですンで、涙無しに見られぬ映像ですが・・事実として受け止めませんとネ
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★明日も「宮城県牡鹿郡女川町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「あがいん 見らいん 来てけさいん」女川町観光協会HP
★「美味・絶景 恵の海の粋な旅。」みやぎ三陸黄金海道観光推進協議会HP
★「いつでも、誰でも、何でも、どこへでも」女川町地域医療センターHP
★「女川町震災復興のあゆみ 〜海とともに皆でともに〜」女川町役場HP
★「女川町を襲った大津波の証言」記憶の部屋HP
★「3.11 故郷・宮城県女川町を地震と大津波が襲った(東日本大震災)」tube_logブログ
★「【宮城県女川町】千年に一度のまちづくり 人口減少率日本一から持続可能性への挑戦」東北復興新聞HP
★「忘れてはならない記憶を石に刻む 津波記憶石」女川町役場HP
★「津波記憶石」マンボウのつぶやきブログ
★「三陸水産業の復興支援『三陸いいものプロジェクト』いさだスナック・わかめスナック」カルビーHP
★「三陸の"いいもの"をスナックで全国へ」いわて三陸 復興のかけ橋HP
(関連する記事)
★「669 宮城・女川町へ行って参りました」
★「705 【揚げモン23】『ひょうたん揚げ』食いつつ、仙台の商店街を歩こう」
★「815 【やきそば48】鎮魂の灯と仙台の魔窟『北京餃子』」
★「816 【調味料類09】塩竃神社での真剣な祈りと『タインホアの天然塩』」
★「817 【お魚料理44】日本最大の練り物産地『塩竃』の、津波からの復興」
★「1109 信じられない風景、なぜマスゴミは伝えない?‥塩屋崎」
★「1110 【お魚料理62】『シーフードケーキ』といわき市の津波被害」
★「2278 【やきそば242】帰還困難地域と『浪江焼きそば』・・浪江」
★「2279 【保存食品54】止まったままの特急列車と『からみ漬け』・・南相馬」
★「2304 【スイーツ180】実在した福の神と『ずんだパフェ』・・仙台」
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
(土地の権利問題やらナニやらで、区画整理の工事は大変な様です)
ドウにも気負って朝っぱらから訪ねた所為か?山沿いの復興商店街は開いてませんし、かつての中心商店街は更地に成ってて店なんか一軒も無い!珍しいモンどころかお茶すら飲めない状況で、仕方無いンで今夏カルビーが全国に、震災復興支援と云うコトで売り出してたスナックを。チーズビットの味違いバージョンてな感じで、みやぎ三陸は「いさだスナック」・いわて三陸は「わかめスナック」の様ですネ。いさだと云うのは三陸沿岸に多く生息する、小エビに良く似たツノナシオキアミの事らしく、道理でかっぱえびせんっぽい味がした訳だ。既に販売終了してますが、去夏は東北だけの限定だったのが、今夏は全国販売に成長しましたンで、来夏も!と期待したく成りますネ。カルビーさん、震災復興はまだまだ終りそうも無いンで、継続支援のほどを願いますヨ
2305 【スナック60】更地に成った津波の街と「いさだスナック」・・女川
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