2306 【名物パン264】海と共に生きる津波の街と「さんまパン」・・女川
フェイスブック、本格的に始めてみました!どうかご覧下さいませ
津波の直撃を受けて壊滅したJR女川駅は、以前より少し内陸に移転して今年三月に復活してます。壊滅前の駅に降りたコトも有りますし、瓦礫の中ホームだけに成ってた状態も見てますンで、私ぁ感無量です
東日本大震災による高さ二十mの大津波の直撃を受け、港近くの中心市街地が消滅した宮城・女川町を訪ねてます。御縁あって震災の年の夏、私ぁココでボランティアのお手伝いの様なコトをさせて戴きましたヨ。
上屋を津波にもぎ取られて土台だけに成った街並みと、アチラコチラに転がってる根元から倒れたビル・・。鉄筋コンクリのビルが倒れるだナンて、想像を絶する大被害に震え上がったのを、私ぁ強烈に覚えてます。
女川駅の待合室には被災の状況写真と共に、このポスター「わたしたちは海と生きる。」が掲示されてましたヨ。喜びも悲しみも海と共に生きて来た女川は、コレからも海と共に生きる街造りを進めて行く様です
在来工法の一般家屋は、土台に上屋が乗ってるだけ。ですがビルは土台と一体で、当り前の力じゃ倒れる筈の無いモノが、途轍もない自然の猛威で押し倒された訳。そんな恐ろしい事が、この世に在るナンて・・。
でも実際に在ったからビルが転がった訳で、背筋が震えましたネ。以来ドウ成ったのか、復興して新しい街が出来たのか・・気にしてましたが、忙しい都会の生活に感けて訪ねる機会が無くて・・チョット怖かったし。
コレは震災から半年後の女川港の風景ですが、この青い海から予報を遥かに超える二十mの津波が押し寄せ、ギッシリ建ってた家屋を全て押し流してしまったンです。復興に向け、この風景はもう在りません
処が昨年末から心神が弱ってるから?何だか無性に女川へ行かなきゃ成らぬと思う様に成り、土砂降りにメゲず四年ぶりに訪ねましたヨ。昨日ご紹介した通りに津波で更地と化した市街地は、区画整理の真最中。
今更に成って漸く・・と思いましたが、これでも早い方だとか。そして女川は町ごと高台に移転する道を選ばず、以前と同じく海と共に生きる街を造るコトに。「防波堤は敢えて作らない」と、話し合いで決めたンだとか。
女川駅前じゃ新しい街造りの真っ最中。まだ完成して無いンで予想図でご勘弁願いますが、商店街の一番海寄りのメモリアル公園に、旧女川交番が「津波で倒れたビル」として、唯一保存されるンだソウですヨ
震災復興は簡単に進むモンじゃ無く、コレからの街造りを担う三十代・四十代を中心に、話し合いは進められた様。そして街の長老達は「六十以上は口出さず、五十代は手を出さず」を貫き、支える側に回ったとか。
コレって凄い!街が一旦壊滅したからこそ出来る・・ソウ開き直れたンでしょうが、私メも心神崩壊から新しい自分を造り直そうとしてますヨ。遠く東京から新しい女川を応援しつつ、負けずに頑張ろうと思う次第です。
震災当日の女川港の風景だソウです(観光協会サン、お借りします)。この数時間後に大津波が押し寄せ、女川町は家屋の九割が全開・半壊し、亡くなられた方の割合が一番高い自治体に成ってしまったとか・・。ソレでも逃げずに「海と共に生きる」選択をした女川町を、コレから定期的に訪ねたいモノです。その為にゃ、まず自分の復興をしませんと
↑↑ドレかを押して貰えると更新する張り合いが出ます↑↑
★明日は「宮城県石巻市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「あがいん 見らいん 来てけさいん」女川町観光協会HP
★「美味・絶景 恵の海の粋な旅。」みやぎ三陸黄金海道観光推進協議会HP
★「いつでも、誰でも、何でも、どこへでも」女川町地域医療センターHP
★「女川町震災復興のあゆみ 〜海とともに皆でともに〜」女川町役場HP
★「女川町の復興事業とまちの情報をお届けします」女川復興まちづくり情報交流館WEB
★「女川町を襲った大津波の証言」記憶の部屋HP
★「3.11 故郷・宮城県女川町を地震と大津波が襲った(東日本大震災)」tube_logブログ
★「【宮城県女川町】千年に一度のまちづくり 人口減少率日本一から持続可能性への挑戦」東北復興新聞HP
★「住民が描く町のかたち〜女川町の町づくり」ヒューマン・ケア・プロジェクト 東京FM・HP
★「倒壊したビルの保存−宮城県女川町」傍見楼日乗ブログ
★「road to ishinomaki 〜祈り〜 人のチカラ 終わりなきメッセージ」最高の復興へさぁ行こう cocoro通信ブログ
★「さんまパン」みやぎセルプ協働受注センターHP
★「宮城県『きらら女川』訪問」さちのぐすくブログ
(関連する記事)
★「669 宮城・女川町へ行って参りました」
★「705 【揚げモン23】『ひょうたん揚げ』食いつつ、仙台の商店街を歩こう」
★「815 【やきそば48】鎮魂の灯と仙台の魔窟『北京餃子』」
★「816 【調味料類09】塩竃神社での真剣な祈りと『タインホアの天然塩』」
★「817 【お魚料理44】日本最大の練り物産地『塩竃』の、津波からの復興」
★「1109 信じられない風景、なぜマスゴミは伝えない?‥塩屋崎」
★「1110 【お魚料理62】『シーフードケーキ』といわき市の津波被害」
★「2278 【やきそば242】帰還困難地域と『浪江焼きそば』・・浪江」
★「2279 【保存食品54】止まったままの特急列車と『からみ漬け』・・南相馬」
★「2304 【スイーツ180】実在した福の神と『ずんだパフェ』・・仙台」
★「2305 【スナック60】更地に成った津波の街と『いさだスナック』・・女川」
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
(『還暦以上は口を出すな』が、女川復興のキーワードだソウですヨ)
津波で何もかも無くなってしまった女川ですが、ようやく復活した女川駅で「さんまパン」を発見!町唯一のパン屋「きらら女川」さんが作った秋刀魚が練り込まれたバンで、言われてみればナンとなくお魚の匂いが・・格好だけじゃ無いのネ。駅前の新しい復興商店街のオープンも近い様ですし、何れまた参った時は元気に戻った私メで、元気に戻った女川を歩きたいと願ってますヨ。がんばっぺ女川!私メもがんばっぺ
津波の直撃を受けて壊滅したJR女川駅は、以前より少し内陸に移転して今年三月に復活してます。壊滅前の駅に降りたコトも有りますし、瓦礫の中ホームだけに成ってた状態も見てますンで、私ぁ感無量です
東日本大震災による高さ二十mの大津波の直撃を受け、港近くの中心市街地が消滅した宮城・女川町を訪ねてます。御縁あって震災の年の夏、私ぁココでボランティアのお手伝いの様なコトをさせて戴きましたヨ。
上屋を津波にもぎ取られて土台だけに成った街並みと、アチラコチラに転がってる根元から倒れたビル・・。鉄筋コンクリのビルが倒れるだナンて、想像を絶する大被害に震え上がったのを、私ぁ強烈に覚えてます。
女川駅の待合室には被災の状況写真と共に、このポスター「わたしたちは海と生きる。」が掲示されてましたヨ。喜びも悲しみも海と共に生きて来た女川は、コレからも海と共に生きる街造りを進めて行く様です
在来工法の一般家屋は、土台に上屋が乗ってるだけ。ですがビルは土台と一体で、当り前の力じゃ倒れる筈の無いモノが、途轍もない自然の猛威で押し倒された訳。そんな恐ろしい事が、この世に在るナンて・・。
でも実際に在ったからビルが転がった訳で、背筋が震えましたネ。以来ドウ成ったのか、復興して新しい街が出来たのか・・気にしてましたが、忙しい都会の生活に感けて訪ねる機会が無くて・・チョット怖かったし。
コレは震災から半年後の女川港の風景ですが、この青い海から予報を遥かに超える二十mの津波が押し寄せ、ギッシリ建ってた家屋を全て押し流してしまったンです。復興に向け、この風景はもう在りません
処が昨年末から心神が弱ってるから?何だか無性に女川へ行かなきゃ成らぬと思う様に成り、土砂降りにメゲず四年ぶりに訪ねましたヨ。昨日ご紹介した通りに津波で更地と化した市街地は、区画整理の真最中。
今更に成って漸く・・と思いましたが、これでも早い方だとか。そして女川は町ごと高台に移転する道を選ばず、以前と同じく海と共に生きる街を造るコトに。「防波堤は敢えて作らない」と、話し合いで決めたンだとか。
女川駅前じゃ新しい街造りの真っ最中。まだ完成して無いンで予想図でご勘弁願いますが、商店街の一番海寄りのメモリアル公園に、旧女川交番が「津波で倒れたビル」として、唯一保存されるンだソウですヨ
震災復興は簡単に進むモンじゃ無く、コレからの街造りを担う三十代・四十代を中心に、話し合いは進められた様。そして街の長老達は「六十以上は口出さず、五十代は手を出さず」を貫き、支える側に回ったとか。
コレって凄い!街が一旦壊滅したからこそ出来る・・ソウ開き直れたンでしょうが、私メも心神崩壊から新しい自分を造り直そうとしてますヨ。遠く東京から新しい女川を応援しつつ、負けずに頑張ろうと思う次第です。
震災当日の女川港の風景だソウです(観光協会サン、お借りします)。この数時間後に大津波が押し寄せ、女川町は家屋の九割が全開・半壊し、亡くなられた方の割合が一番高い自治体に成ってしまったとか・・。ソレでも逃げずに「海と共に生きる」選択をした女川町を、コレから定期的に訪ねたいモノです。その為にゃ、まず自分の復興をしませんと
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(『還暦以上は口を出すな』が、女川復興のキーワードだソウですヨ)
津波で何もかも無くなってしまった女川ですが、ようやく復活した女川駅で「さんまパン」を発見!町唯一のパン屋「きらら女川」さんが作った秋刀魚が練り込まれたバンで、言われてみればナンとなくお魚の匂いが・・格好だけじゃ無いのネ。駅前の新しい復興商店街のオープンも近い様ですし、何れまた参った時は元気に戻った私メで、元気に戻った女川を歩きたいと願ってますヨ。がんばっぺ女川!私メもがんばっぺ