きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
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徳川家によって名古屋の街が建設されるまで、尾張国(愛知県東部)の中心だったのが「清洲城」の在った清須市。平成十七年(2005)の合併で市を成る前は「清洲町」だったソウで、使い分けがヤヤコシイです

開花宣言の発表は例年より五日も早かったのに、ナカナカ満開に成らぬ東京の桜に我慢できず、より開花の早かった名古屋ならばキレイに咲いてるかも・・と、愛知県まで参りました。我ながらホント酔狂ですネ。

さて東海道の往来が元々多かったのに、発病以来ナニ故か?ソレが頓に増えた私メ。新幹線や東海道線の下り電車で名古屋駅を出て数分経つと、線路端に小さな天守閣が見えるのがずっと気に成ってましたヨ。


若き日の織田信長公が「桶狭間の合戦」に勝利し、天下布武に進み始めた頃の本拠地が「清洲城」。その天守閣が平成元年(1989)に復元されてますが、史実のソレとは五条川を挟んだ対岸に建てられてます

調べてみるとソレは「清洲城」・・って、あの織田信長公が尾張国(愛知県西部)の小さな大名だった頃に本拠地にしてたトコ!一時は百万石の城下町だったのに、名古屋にその全てを奪われて消滅したナゾの城。

信長公は天下統一を前に本能寺の変で斃れますが、豊臣秀吉公ら織田家の重臣達は、清洲城にて会議を催しますヨ。ソレが有名な「清洲会議」で、この会議を主導した秀吉公は天下人への道を突き進むコトに。



清洲城の復元天守が違う場所に建ってる訳は、ホントの天守閣の在ったトコの真上に、新幹線と東海道線の線路が敷かれちまったから。城址自体が線路で南北に分断され・・信長公も、コレにゃ驚きでしょうネ

その清洲城は織田家の次男・信雄公に与えられ、ココを本拠に百万石の大々名!なのに秀吉公と対立し、所領全てを没収されて流罪処分。秀吉公の甥・関白秀次公が一旦貰うも、コッチは切腹させられてます。

代りに賤ヶ岳七本槍の筆頭・福島正則公が二十四万石の大名で入り、関ヶ原合戦の後は二代将軍・徳川秀忠公の弟
(家康公の四男)の忠吉公が、六十二万石の大々名として清洲藩を立てますが・・程なく御病死。


清須市は復元天守前の川堤の桜並木が自慢だソウですが、訪ねた時はまだ蕾ばかりで・・。ですが線路南側の信長公の銅像付近はキレイに咲いてて、ナンだか夢気分。ま、ココは百万石の夢の跡ナンですが

ならばと同じく弟で九男の義直公が、四十七万石の大名として清洲の藩主に・・。本能寺から四半世紀で、コレだけ城主が変わってて・・あぁヤヤコシイ。その義直公は入府二年にして、名古屋へ拠点を移すコトに。

コレが愛知じゃ誰でも知ってる「清州越し」。お城の建物から城下町全てまで、三年かけて徹底的に移転させたらしく、お蔭で名古屋は大発展!初めて訪ねましたが、長年のモヤモヤが消えてスッキリした私メです。


「清州越し」は徳川家康公のご命令だったソウですが、ソレは清洲城が水害にナニかと弱く、また大地震で城下町が液状化した影響も有った様で、ソレを大改修するより新しい街を造った方が簡単だったンでしょうネ。でも城下町として栄え続けたなら、現在の大都市・名古屋は存在せず、新幹線もココに停まったンだろうナ・・と、清洲城の周辺でキレイに咲いてる桜を探して歩きつつ、「もしも」を考えちまいましたヨ

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★明日は「愛知県名古屋市中区」への訪問記です★


(参考リンク)
★「歴史と豊かな水辺環境のまち清須」清須市観光協会HP
★「清須が大好きだなも〜。」清須市インフォHP
★「清洲城 織田信長公天下布武の出発点」清須市観光協会HP
★「清洲城」日本の歴史物語ブログ
★「清洲城の歴代城主」攻城団HP
★「信長公の夢街道」信長公居城連携協議会HP
★「江戸時代の名古屋城下『清須総図』」Network2010HP
★「清洲越しは、集団『高台移転』でした」日々の探索ブログ
★「春の桜も美しい織田信長の出世城!愛知『清洲城』とその歴史」Travel.jp HP
★「瀬戸焼そばアカデミー」瀬戸商工会議所HP
★「名古屋飯その1-瀬戸焼きそば-」ばくてつウェブ・ブログ


(関連する記事)
★「439 【やきそば19】瀬戸焼きそばって不思議!」
★「663 一宮市の朝は喫茶店から始まる」
★「958 【お米料理66】思わぬ収穫!犬山城下町と『五平餅』」
★「959 【スイーツ51】凄ぇぞ犬山城、硬ぇぞ『げんこつ飴』」
★「1702 【麺類色々126】『ベトコンラーメン』とベトナム戦争・・一宮市」
★「2075 【麺類色々170】城だらけの名古屋で『鉄板ナポリタン』を」
★「2454 【呑みモン64】織田信長公の神社と『京番茶』・・船岡山」
★「2459 【今川焼き40】結構咲いとる!鶴舞公園の桜と『名古屋一丁焼き』」


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」


(戦国史を彩る有名武将の多くは、清州に住んでた経験が有りますナ)

残念ながら清須城は桜が咲き揃う前で人影は少なく、のんびり出来たモノのナニも食べられず、空きっ腹を抱えて名古屋駅まで戻った私メ。ならば名古屋名物「コンパルのエビフライサンド」でも食べようかと、駅前地下街メイチカへ潜ると・・コンパルさんの真ん前に瀬戸焼きそばのお店が!コレは豚肉の煮汁と醤油で炒めた愛知・瀬戸市の名物で、瀬戸で以前食べた覚えが有りますが、以来随分と参ってませんナ。急遽方針を変更して「福蔵」なるお店に入りましたが、聞けばココはコンパルさんが経営してるンだとか。少し硬めの麺にあっさりとした味わい、清須市や清州城と全く関係無いですが、同じ愛知県ナンで御容赦を



| 2016.03.30 Wednesday (00:15) | でら愛知尾張だがね | - | - |
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| 2019.09.19 Thursday (00:15) | - | - | - |
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