きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
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会津松平家・二十三万石の居城「鶴ヶ城」は、幕末の戊辰戦争で新政府軍の総攻撃を一ヶ月に渡り凌いだモノの、衆寡敵せずで遂に落城。冠雪した現在の天守閣は、昭和四十年(1965)に再建されたモノです

 

厳寒期の福島・会津若松市を旅する私メです。と云ってもココ数日のコトじゃ無く、先月中旬の訪問ですから旧聞に属してしまいますが、予想以上に印象深い旅だったンで、イロイロ考えてたら遅く成っちゃいました。

 

歴史稼業の片隅に居る私メにとって会津と云えば、こりゃドウしても幕末の戊辰戦争を避けて通れぬ訳で、幼少期を過ごした静岡市で「徳川家絶対主義」を仕込まれちまった以上、旧幕府側の肩を持つのは当り前。

 

現行の千円札の「野口英世」博士が、医学を志す切欠と成った旧会陽医院が、「野口英世青春館」なる記念館に成ってます。戊辰戦争で焼け野原と成った若松で明治十七年(1884)に建った、洒落た洋館です

 

だからドウしても幕府瓦解後も仇敵に屈せず、トコトン戦って下さった会津藩に同情的に成りますゼ。ですが白虎隊は・・悲劇と云えば悲劇ですが、私ぁ浪曲師じゃ無くて講釈師ですから「お涙頂戴」は好みじゃ無い。

 

さて鶴ヶ城の攻防戦じゃ会津藩士だけじゃ無く、江戸から脱出して来た幕府の御家来衆も大勢戦ってますヨ。身分の高下は有りますが、何れも時代の変化に納得行かぬ古強者揃いで、元新撰組まで居たりする。

 

若松市中心街から西へ延びる「七日町(なぬかまち)通り」は、藩政時代から昭和初期にかけて会津最大の繁華街だったとか。ご覧の「渋川問屋」を始め、通りに並ぶレトロな建物群が次々に再生・利用されてます

 

拙宅は新撰組の局長・近藤勇さんの処刑現場の真上()と、タダならぬ御縁の有ったりする私メですが、反幕府テロリスト共を京都でバッタバッタと斬り捨てて来た新撰組は、近藤局長の死を以て終焉を迎えてます。

 

ソレでも副長の土方歳三さんら数十人が北へ向い、鶴ヶ城じゃ会津方の一員として戦ってます。その幹部だったのが、創設メンバーで三番隊の隊長だった「斎藤一(はじめ)」と云うお方。新撰組最強の剣客ですナ。

 

会津側にゃ数多の戦死者が出てますが、長らく埋葬の許されなかった彼らを「黙認」と云う形で、千三百余人まとめて葬ったのが七日町通りの古刹・阿弥陀寺の「東軍墓地」。会津の悲しい歴史が埋まってます

 

会津でも大いに奮戦しますが、敗色濃厚と見て更なる転戦を図ろうとする土方らと袂を分かち、会津藩が降伏した後まで戦ってる!維新後は警視庁の警部補として西南戦争に出兵し、会津の恨みを果してますヨ。

 

大正四年(1915)に亡くなられてますが、鶴ヶ城攻防戦以来の深い絆で「会津人も同様だ」と、若松の東軍墓地の傍らに葬られるコトを望んだとか。お名前は知ってましたが、ソウ云う方だったのを初めて知りました。

 

雪に埋もれてて判り辛いですが、東軍墓地の傍らに在るのが「新撰組の斎藤一」隊長のお墓ですヨ。江戸生れの小身御家人だったとされてますが・・七十二歳まで生きて居られたのにナゾだらけのお方で、会津を余程気に入ったのか?元会津藩主の仲人で元会津藩士の娘と結婚しただけじゃ無く、こうして会津に葬られてます。会津は「溶け込みづらくて泣く」「馴れて来たら人情深さに泣く」「ココから立ち去り難くて泣く」の三泣きと言われますが、多分この方もソレを実感されたンでしょうネ

 

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★明日は「福島県喜多方市」への訪問記です★


(参考リンク)
★「会津若松観光ナビ」会津若松観光ビューローHP
★「会津17市町村の観光情報 極上の会津」同プロジェクト協議会HP
★「会津若松市の人気観光スポットをご紹介♪」ぐるっと会津HP

★「会津若松+」会津地方スマートシティ推進協議会HP

★「野口英世について」会津若松市役所HP
★「野口英世青春館」會津壹番館HP
★「会津若松七日町通り」なぬかまち.com HP
★「街全体がノスタルジックな会津・七日町周辺のレトロな建築物やスポット紹介」福島TRIP HP
★「ゆったりと満ち足りた時間をのんびりとお過ごしください」大正浪漫 渋川問屋HP
★「阿弥陀寺」會津物語HP
★「鶴ヶ城御三階と東軍・西軍墓地」旦さまと私ブログ
★「幕末を駆け抜け そして散った武士 新選組を知る」会津若松観光ビューロ―HP
★「斎藤一 幕末明治を生きた新選組屈指の剣士」PHP研究所HP

★「斎藤一はどれだけ強かったの?新選組の役職やその後について!」歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランドHP

★「【王道からデカ盛りまで】会津若松の名物ソースカツ丼でオススメしたい名店9選」福島TRIP HP

★「『若松食堂』で『ソースカツ丼』 (福島県会津若松市)」ソースかつ丼への道ブログ

(関連する記事)

★「015 ボヤッキーは会津若松から上京した」

★「276 お城だってメンテナンス位はする」
★「277 【お魚料理11】レオ様は九十二万石の大々名だった」
★「278 猪苗代湖は栃木県の租界なのか?」
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★「3045 【お肉料理112】雪化粧の鶴ヶ城と『会津の雪ヨーグルト』・・会津若松」


★「058 【ご近所めぐり02】新撰組、板橋に滅ぶ・・」
★「150 【ご近所めぐり07】新撰組・近藤勇局長の御墓所」
★「575 【呑みモン18】近藤勇サンは勝沼ワインを呑めなかった」
★「711 【名物パン50】新撰組と『ニューバード』‥京都壬生」

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★「2167 【お肉料理75】若き日の新撰組と『エチオピア料理』・・牛込」

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★「2807 【麺類色々243】百五十回忌の新撰組と『豚ラーメン』・・滝野川」

(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」


(意外なトコで新撰組の方のお墓を見付けると、嬉しく成って来ますヨ)

歩き廻ったらお腹が空いたンで、何かガッツリしたモノを食べたい!食欲不振で苦しんでた頃を思うとホント夢の様ですが、コレも回復して来た証しでしょうネ。さて会津じゃ昔から「ソースかつ丼」が名物で、その元祖とされるのが昭和五年(1930)から出してたと云う「若松食堂」さん。大盛りどんぶり飯の上にキャベツを山ほど載せ、厚切りのカツにソースを沢山かけた一品で・・すごいボリュウム。たっぷり染みたソースが美味しくて忽ち食べ切ってしまいましたが、スープが醤油ラーメン用と思しきモノなのが如何にも街の食堂で、ドコかの気取った観光地と違って庶民の味らしくて宜しいですナ。伝統の味に大いに満足です




| 2018.02.04 Sunday (00:15) | 負げるな!福島会津 | - | - |
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