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富岡町の「夜ノ森(よのもり)」の名物は、ソメイヨシノの古木が二km以上も植えられた桜並木ですが、震災から七年半経ってなお帰宅困難地域に指定されたままのトコが多く・・今通れるのは僅か三百mほどです
拙宅の在る都内から北へ二百五十km以上の彼方、福島県の太平洋岸「浜通り地方」を旅する私メです。七年前の大震災で大津波の直撃を受けただけじゃ無く、福島第一原発の爆発で大迷惑を被った地域ですナ。
御縁あって十年以前から時折参ってましたし、震災の半年前にもこの辺りを旅して改めて気に入り、再訪を誓ったら・・あの大災害。ソレでも気に成って仕方なく、四年前と三年前に一度ずつコチラを訪ねてますネ。
ホントはもっと早く参りたかったンですが、放射能汚染で住民の方々に避難指示が出されてるトコに、全く部外者の寄席芸人が行ってナンの役にも立てる筈が無く、訪問可能に成るのを待ってたらソウ成りましたヨ。
尤もアレは両方とも私メ自身の病魔と闘いながらの旅で、今思えば良くぞ参れたモノ!今だって余り芳しく無いですが、昨日ご案内の浪江町を始め、前回・前々回の旅で参れなかったトコを努めて見て廻りました。
同じ桜並木の反対側を見ると、ゲートで閉ざされて先に行けなく成ってる!放射能の年間積算量が今も高く、昨春ソレが解除された手前側と違い、ココより先は「帰還困難区域」に指定されたままの立入禁止です
いつか鮭を釣りに行く心算だった浪江町と同じ位、今回ドウしても参りたかったのが福島第二原発の在る富岡町。津波直撃による電源喪失で爆発したのは第一原発で、福二の方は何とか辛うじて持ち堪えてますナ。
ですが福一から10km圏内と近いですし、爆発当日の風向きも悪かったのか?放射能汚染が洒落に成らぬ。直ちに国から「避難指示」と云う命令が下され、住民は着のみ着たままで遠くへ退去させられるコトに。
福一から半径20km圏内は「警戒地域」に指定され、例外を除いて一般民は立ち入り禁止・・ソレが漸く解けたのは昨年春。ですが全員が戻れた訳じゃ無く、北東の「夜ノ森」地区の殆どは今も帰れない状態のまま。
そもそも浜通りへ今回参ろうと思ったのは、先日訪ねた同じ福島県の郡山市内で大きな仮設住宅団地を見付け、ソレが富岡町からの避難民のモノだと知ったから。つまり夜ノ森の人達が、郡山に集団で居るのか!
同じ夜ノ森でも入れるトコと入れないトコが在り、JR常磐線の「夜ノ森駅」は表側(画像向こう)はダメなのに、裏側には新築アパートが!震災の日から運転は中止されたまま、レールは赤錆び架線は外されてます
浜通り地方のちょうど中間に拡がる大きな森で、南北ソレゾレの領主が「ココは余の森じゃ」と奪い合ったンで、ソレが転じて「夜ノ森」に成ったと聞きますが、このロマンチックな名前のトコに私ぁ一度行ってたりする。
イヤ行ったと云うと語弊が・・迷い込んだと云う方が正確ですが、アレは震災の半年前・・だから八年前の晩秋に浜通りを旅した際の一番最後。当時は常磐道の終点がココ富岡で、東京へ帰るICを探して右往左往。
枯葉舞うみちのくは黄昏が来るのも早く、またカーナビの調子が悪くて現在位置を完全に見失い、取り合えずドコでもイイから駅前に出て確認しようと、さんざっぱら走り回った末に漸く出たのが「夜ノ森駅」でした。
別に来たくて来た訳じゃ無いですが、何だかエラク素敵な名前の駅が在るのに感心し、煙草を吹かせて気分を落ち着かせつつ、コレから東京まで帰らなくちゃ成らぬけど、ココも何れ改めて遊びに来ましょと決心を。
浜通り地方の「帰還困難区域」は昨年春からこんな感じに縮小されてますが、ソレでも今も戻れないピンク色の地域は広く、暗澹たる気分に成って来ますネ。東電と当時の民主党政府の責任は実に大きいです
尤も当時は読み方すら判らず、「よるのもり」とはロマンチックと思ってた程度でしたが、住民全員退去と成っても「桜並木は負けずに咲いてる」と報道され、あぁアソコだ!確かに桜並木が続いてたナと思い出した。
道に迷うのがもう一年早ければ!先に立たぬのが後悔で、かくなる上は立ち入り禁止が解除されたら絶対に訪ね、桜を愛でて廻ろうと思ってましたが、あの桜並木は放射能に汚染された為に切り倒されるとか。
私メが残念に思う以上に街の人の無念は大きく、ドウにか残す道を探ったモノの如何にも成らず、何十年か先の再生を期して規制解除後、新しい若木に植え替えられるコトに成ってますヨ。可哀想だけど仕方ない。
「津波さえ無かったら・・」と思えて仕方ない東日本大震災ですが、浜通りはソレに加えて原発爆発まで遭った訳で、痛みが癒えるのは夜ノ森の桜並木を皆が楽しめる様に成ってから。まだまだ随分先のコトですネ。
富岡町は昨年春、夜ノ森を除いて避難指示が解除されましたが・・戻って来た住人は余り多くないらしく、街中の商店も殆ど開いてませんでしたネ。ソレじゃ暮らしに困るンで、公設民営で仮設のSCが開設されてましたが、ソコの壁に「震災前の夜ノ森の桜並木」の写真が。この風景を再び見られる様に成るまで、一体ドレ位の春を重ねれば良いのか
(参考リンク)
※富岡町に今、観光協会やソレに準ずる組織は在りません。ソコまで復興してません・・
★「富岡町(双葉郡)の観光スポット」じゃらんnet HP
★「富岡は負けん!」富岡インサイトHP
★「なすびのギモン 除染後の富岡町の暮らし」環境省・環境再生プラザHP
★「福島・富岡町の『復興拠点』は今」東京新聞・こちら原発取材班HP
★「福島第一原子力発電所のいま」双葉郡未来会議HP
★「避難区域の変遷について」福島県庁HP
★「来月にも本格除染開始 富岡・夜の森帰還困難区域」福島民報HP
★「夜の森(福島)の桜並木の行き方アクセスは?口コミ・評判も調査」メディガクHP
★「夜ノ森【福島県双葉郡富岡町夜の森】」トオクノクモ・ブログ
★「常磐線復旧へ 富岡町・夜ノ森駅のツツジ再生が本当のゴールだ」NEWSポストセブンHP
★「★[馬方羊羹]★って、いわきだけ?」ぐるっといわきHP
★「うまかたようかん」魂を燃やせブログ
(関連する記事)
★「343 【お魚料理16】みちのく勿来の関と、安寿と厨子王」
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★「1109 信じられない風景、なぜマスゴミは伝えない?‥塩屋崎」
★「1110 【お魚料理62】『シーフードケーキ』といわき市の津波被害」
★「2278 【やきそば242】帰還困難地域と『浪江焼きそば』・・浪江」」
★「3239 【やきそば361】今も残る震災仮設住宅と『ラードな焼きそば』・・郡山」
★「3250 【野菜果物108】今年もいちじくを煮てみた!2018・・相馬市」
★「3251 【やきそば363】やっと復興の始まった街で『太っちょ焼きそば』を・・浪江」
(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」
(帰還困難区域とソレ以外を仕切るゲート、改めてショックな風景です)
富岡町のSC「さくらモールとみおか」には東北最大のスーパー「ヨークベニマル」が入ってましたが、富岡町産のモノは全く売られてない・・或る意味当然なのかも知れませんが、せめて地域の名物はと探してみましたが、ソレらしいモノは無く・・まだ余裕を楽しむゆとりは戻って来てない様ですネ。ソコで帰り道に寄りました、浜通りの最大都市・いわきで見付けた「馬方ようかん」を。分厚い丁稚羊羹と言うべきか?甘味の少ないモチモチっとした羊羹で、金時豆が入れて有るのが特長だとか。炭鉱の多かった浜通りで愛好された伝統の和菓子で、馬方さんでさえ買える位にお値段が安かった・・全く丁稚羊羹と一緒ですナ。でも分厚い分だけ食べ応えは大きく、機会が有ったら調べたいモノですゼ