きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
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栃木県北の「大田原城」は、戦国大名・那須家の重臣だった大俵(大田原)氏が天文十二年(1543)に築いた城。大田原氏は戦国を上手く乗り切り、幕末までココを本拠に一万一千石の大名として生き残ってますヨ

 

拙宅の在る東京から約百五十km離れた、栃木県北部の中心都市・大田原へ参った私メです。那須連峰の裾野のこの街は関東地方のほぼ北端で、あと少し行けば東北の福島県・・言葉はソッチの方が近い様な。

 

同ソレでも歴とした関東で、その証拠にNHKの天気予報じゃ一都六県の一番北側に、栃木県北部を代表して大田原の気温等が紹介されますナ。因みに東京を挟んで真反対の端に出るのは、神奈川の小田原市。

 

大と小の田原にナニか関係が有るのかと思いきや、コレが全く関係無い様で・・大田原は「大俵」と云う名前の武将が居たから。小田原は旧名の「小由留木(こゆるぎ)」の草書を、誰かが読み間違えたからだとか。

 

大田原城の址は「龍城公園」として整備されてますが、少し小高いソコから見れば・・街の向こうに那須連峰の姿が。ナンと言う山なのか判りませんが、同じ関東でも山から遠い東京とは風景が随分違ってますナ

 

処が大田原と小田原には不思議な縁が有る!ソレは戦国末期の天正十八年(1590)、天下平定を目指す関白殿下・豊臣秀吉公は二十万の大軍を率い、関八州の主・北条家の籠る小田原城に攻め寄せますゼ。

 

この時、関東の武将達はドッチに与するか迷いに迷った・・何しろソレまで北条家の支配下でしたから。変わらず北条方につく者も有れば、時流を読んで太閤殿下に馳せ参ずる者。或いは暫く様子を見ようと云う者。

 

結果としては・・激しい籠城戦の末に北条家は敗北し、城方として闘った武将は改易・追放されてますナ。逆に豊臣方についた武将は領地を安堵して貰ったり、加増されたりと大成功。問題は様子見してた武将達。

 

五街道の一つ「奥州街道」の宿場としても栄えた大田原の中心は、文政二年(1819)に街の有志が防火や夜道の無事を願って造った「金燈籠(かなどうろう)」。昭和五十年代まで道の真ん中で灯ってたソウです

 

鎌倉時代以来ずっと栃木県北の「那須地方」を治めてたのは、源平合戦「扇の的」で知られる那須与一の末裔・那須一族。豊臣方が攻めて来た時は二十一代目のご当主ですが、何しろ小田原から一番遠い本拠。

 

情報不足だったのか、名門の意地だったのか。豊臣方につくのを良しとせず、半ば様子見に近い姿勢だった様。処がその重臣の大田原氏は早くから天下の情勢を掴んでた様で、自主独立の道を・・つまり豊臣方へ。

 

大田原氏が小田原へ駆けつけたか知りませんが、この賭けが見事的中して那須家の重臣じゃ数少ない所領安堵組。裏切ったンじゃ無い。自分の家を護る為、主君と別の選択をするのもフツーだったのが戦国時代。

 

大田原城址から少し離れたトコに鎮座されるのは、仁徳帝の時代と云うから・・千七百年ほど前に創建された「那須神社(金丸八幡宮)」さま。那須一族の氏神で、御本殿や楼門は国の重要文化財だったりします

 

哀れ名門・那須家は先祖代々の所領を取り上げられる羽目と成りますが、大田原氏が関白殿下に懸命に詫びたンで、僅かながらも領地を宛がわれて改易されずに済むコトに。長年の恩義を忘れてなかったのネ。

 

その後は素直に豊臣・徳川と乗り換え、那須・大田原の両家は共に小さくとも大名に。けれど「小田原さえ無ければ」と悔やんだンじゃ無かろうか。何しろ大名として立藩したのは、両家共に今の大田原市内ですし。

 

もちろん選んでソウした訳じゃ無いですし、単なる偶然なのは判ってますが、大田原と小田原・・関東の両端に在る似た名前の街に、こんな因縁が有ったンですネ。意外な事を覚えますンで、旅は止められません。

 

那須神社の隣りに在るのが、道の駅「那須与一の郷」。与一宗隆さんの時代の那須氏は大田原じゃ無く、すぐ隣りの那珂川町の神田城を本拠としてた筈ですが、お墓は大田原市内に在りますしネ。道の駅の中に建つこの像は、四国・屋島の合戦で海中へ乗り出して、沖合の船上に平家方が掲げた扇をイザ射抜かんと矢を放つ姿。実に凛々しいです

 

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★明日は「栃木県栃木市」への訪問記です★


(参考リンク)
★「ちょこっと より道 太田笑市」大田原市観光協会HP
★「子どもの笑顔が育つまち 太田笑市」やってみっぺよ大田原未来塾HP
★「大田原市のおすすめ観光スポット8選」とちぎのしゅしHP
★「大田原城」城の道HP
★「金燈籠
かなどうろう」やってみっぺよ大田原未来塾HP
★「那須神社」栃木県神社庁HP
★「那須神社|那須与一が念じた神社」とちぎのしゅしHP
★「下野生存戦略」塩はうまくてまずいですブログ
★「大田原晴清 秀吉に那須氏再興認めさせる」産経ニュースHP
★「一矢必中」道の駅那須与一の郷HP
★「那須与一の郷
(那須神社・与一伝承館)」平家物語・義経伝説の史跡を巡るブログ

★「一心(大田原市) 焼きそば大盛り」にんかなブログ
★「一心
(栃木県大田原市) スープ焼きそば」にんかなブログ

(関連する記事)
★「056 那須与一は神田の生まれだってねぇ」

★「576 【野菜果物21】馬頭町の不思議なシイタケ」

★「577 【やきそば31】那須烏山のゴム焼きそば」

★「956 【名物パン73】天下御免の喜連川の殿様と『温泉パン』」
★「957 【呑みモン30】那須烏山には『洞窟の酒蔵』が在る」
★「969 【やきそば65】大田原でイロイロな『やきそば』」
★「970 【麺類色々58】太く短く生きた英雄と『太い鳥うどん』‥大田原」
★「1183 【やきそば102】『ゴム焼きそば』と雪中ツーリング‥那須烏山」
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★「3071 【お肉料理114】遂に登った烏山城と絶品の『なんこつ煮』」

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(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」


(戦後の那須家は、当主が殺人冤罪事件に巻き込まれて大変でした)

栃木県北の中心都市だけって大田原にゃ、イロイロ珍しい食べモンが有りますが、以前参った時に食べた「鳥うどん」が抜群に美味かったンで、是非今回もと参ったら・・定休日。仕方ないンでスマホで検索しますと、県北体育館近くの「一心」と云うお蕎麦屋さんが手打ちの焼きそばを出してる様。そりゃ面白そうと向かいましたら、実にローカルな雰囲気の居心地の良いお店で、失敗を八年六ヶ月も繰り返して到達した腰の強い麺が自慢だとか。処がメニューを見ると「スープ焼きそば」・・同じ那須地方の塩原温泉の名物ですナ。ならばと頼んでみましたが、出汁の効いたソース味のスープにたっぷり入れられた焼きそば!長らく食べてないンで塩原温泉の味を思い出せませんが、とにかく身体が温まる。食べて汗かく焼きそばが有るのが実に不思議、面白い街です




| 2018.10.22 Monday (00:15) | そりゃ栃木がいいべ | - | - |
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| 2019.06.17 Monday (00:15) | - | - | - |
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