きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
<< August 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 3542 【名物パン373】黄葉輝くイチョウ並木と「黄金のトーキョーメロン」・・皇居前 | main | 3544 【スイーツ312】紅葉の嵯峨・嵐山で「養命酒のクロモジのど飴」を >>
3543 【スイーツ311】没後五百年!戦国の怪人・北条早雲と「黒糖のういろう」・・小田原

フェイスブックに加え、ツイッターも始めました。神田鯉風で検索を!

 同じ駅に五つの鉄道会社(JR東日本・JR東海・小田急・箱根登山・伊豆箱根)が乗り入れてる小田原は、神奈川・西湘地域の中心駅。通しでホームに番号が振られてるンで、ナント14番線まで在ったりします

 

新宿から小田急電車でゴトゴト揺られ、終点の小田原まで参った私メです。特急ロマンスカーはココから箱根まで乗り入れて行きますが、残念ながらソチラへ行けずアァ悔しい。何れノンビリ入湯したいモノですナ。

 

拙宅の在る都内と同じ関東一都六県なのに、南西端のココまで来ると「結構遠くまで来たナ」とプチ旅行気分に成りますが、戦国時代に関八州の中心だったのが小田原で、その栄華を築いたのが有名な北条氏。

 

数日前にご案内した鎌倉で幕府の執権職を代々務めた北条氏とは全く別の家で、三百年ほど後に現れたから史学的には「後北条氏」と区別されますが、最も勢力が強かった時は二百四十万石を支配した大々名。

 

江戸期に日本一の大名だった加賀・前田家が百万石だから、後北条氏がドレだけ凄かったか判りますが・・もともと小田原辺りに居た一族じゃ無く、ドコの誰か良く判らない出自。ナゾの家だったりするから面白い。

 

後北条氏が関東支配の拠点として築いた「小田原城」は、街全体を城壁が取り囲む「惣構え」で大阪城を凌ぐ日本最大の規模。その中心に在った居館だけを江戸期に改めて城としてますが、実にスゴイ街です

 

と云っても・・正体不明な魔女が怪しげな術を使った訳じゃ無く、一般に「北条早雲」として知られてる武将が元の大名を追し出して、以降五代に渡って勢力を拡げただけですが、この早雲さんが今イチ判らない人。

 

大体が生きている間に北条早雲と名乗ったコトが一度も無く、ご本人は「伊勢新九郎盛時」として過ごして居られますナ。しかも関東から遠く離れた岡山県の出身で、室町幕府の執事を務めた名門・伊勢氏の分家。

 

京都に出て八代将軍・足利義政公の弟で、将軍後継の有力候補だった義視公に近侍として仕えますが、後継問題で勃発したのが有名な応仁の乱。西軍の旗頭とされた義視公に従って、新九郎さんは戦うコトに。

 

乱は東軍西軍が押しつ押されつで長々続き、ソレに呆れ果てた義視公に仕えるのを辞めて天下の素浪人と成り、故郷・岡山とは逆方向の駿河国(静岡県中部)の大名・今川家の元に招かれるコトに。コレが機縁!

 

江戸時代の小田原は徳川四天王の一つ・大久保家の城下町として栄えますが、明治維新で城内の建物の殆どが解体されちゃってますナ。二の丸の正門だった「銅(あかがね)門」は、平成九年に再築されてます

 

全国の守護大名が応仁の乱に出陣してますが、駿河の太守・今川義忠公が京都で偶々見初めて妻としたのが新九郎さんの妹・北川殿。義兄が浪人して困ってるだろうからと招いた様、補佐役として仕えるコトに。

 

処が間もなく義忠公が戦死し、今川家でも後継問題が起きますがコレを上手く捌き、家督継いだ幼い甥の後見として重用され、領内の東端・興国寺城(沼津市)を与えられますヨ。ソコからは伊豆半島が良く見える。

 

やがて巧みな調略と鮮やかな急襲で伊豆国(静岡県東部)を僅か一ヶ月で奪い取り、遂に独立した戦国大名と成りますヨ。この勢いに乗って版図を拡げようとしたモノの、駿河・今川家は甥の家だから攻めたくない。

 

ならば東へ行こう!と相模国(神奈川県西部)の様子を伺ってると・・名将の誉れの高い小田原城主・大森氏頼が病死。その後を継いだ倅は幸いボンクラで、騙し討ち形で城を奪取して・・小田原に本拠を移すコトに!

 

大久保家が築いた小田原城は少しずつ復元されて居る様で、銅門を潜った先に在るのが本丸の正門「常盤木(とぎわぎ)門」。常盤木とは松の別名で、その寿命が長い様に永久繁栄を願って名付けられたとか

 

コレだけなら良く有る戦国時代の国盗りですが、新九郎さんの凄かったのはこの時ナント六十四歳!当時の平均寿命を過ぎてますが、スタートが遅かった分だけゴールも随分遅かった様で、ココから頑張る頑張る!

 

相模国を平定しようと少しずつ東進し、その全てを手中に収めたのは八十五歳の時。今なら裕に百歳を超してる位の感覚で、息子の氏綱公に家督を譲ったのは八十八歳で亡くなる前の年!全く元気な爺さんだヨ。

 

処が北条早雲とは終生名乗って居らず、伊豆国を奪う時に相手を油断させる為?出家して「早雲庵宗瑞」と称しただけ。また北条なる姓は息子さんの代に成って、全関東を平定する為に昔の名家に肖っただけ。

 

ではナゼ北条早雲?「真田信繁」さんが「真田幸村」と呼ばれてしまう様に、江戸時代の講釈師が話を面白くする為に「テキトーに拵えた」のでは?そんな早雲、いや伊勢新九郎さんが没して今年で満五百年です。

 

北条家時代の小田原城の全貌は未だ良く判って居らず、昭和三十五年(1960)に再築された天守閣は大久保家時代のモノを模したと称しますが、今ほど厳密な考証が要らなかった頃だから・・何となくソレっぽく造って有るとか。とは云え堂々とした姿で、すっかり定着してます

 

にほんブログ村 グルメブログ 日本全国食べ歩きへ  ブログランキング・にほんブログ村へ
↑↑ドレかを押して貰えると更新する張り合いが出ます↑↑

 

★明後日は「京都府京都市右京区嵯峨野」への訪問記です★


(参考リンク)
★「特別じゃない日の御褒美に LITTLE TRIP小田原」小田原市観光協会HP
★「ぶらり城下町 行こうよ小田原」RareA HP

★「オダワラボ」小田原市役所HP
★「【2019年】初めての小田原観光!おすすめ観光スポットとポイントをご紹介♪」icotto HP
★「難攻不落の城 小田原城」小田原城総合管理事務所HP
★「知っているようで知らない小田原城の歴史」wondertrip HP
★「理文先生のお城がっこう 城歩き編 小田原城を歩こう
(近世編)」城びとHP

★「銅門」小田原城 街歩きガイドHP
★「常盤木門」小田原城 街歩きガイドHP
★「小田原城天守閣」小田原城 街歩きガイドHP
★「戦国時代 小田原城」小田原城 城歩きガイドHP
★「小田原古城
(後北条氏時代)」城と古戦場HP

★「北条早雲公顕彰五百年」北条早雲公顕彰五百年事業実行委員会HP
★「北条早雲の謎」小田原市役所HP
★「【北条早雲の歴史】謎だらけ!戦国の世を駆け抜けた”ザ・下剋上”北条早雲の素顔に迫る!」wondertrip HP
★「小田原のお菓子 観光の際のお土産に」株式会社ういろうHP
★「お菓子のういろう」株式会社ういろうHP
★「お菓子の『ういろう』の歴史について」クリーニング403HP

(関連する記事)
★「229 真鶴岬でハヤブサの地球帰還を祝う」
★「230 【お魚料理08】その時、会議は踊ったin小田原城」
★「261 【講談の舞台06】太閤の一夜城‥小田原市」
★「262 君は『外郎売り』を諳んじて居るか?」

★「263 【名物パン17】キンジローは神様に成った」
★「458 足柄山の金太郎は・・」
★「1054 【麺類色々66】『小田原流担々麺』と城下町」
★「1055 【お魚料理57】早川漁港で『イサキのさつま揚げ』‥小田原」

★「1248 【名物パン111】小田原『あんパン』と命懸けの贈り物」
★「1588 【スナック31】間もなく開催!箱根駅伝と『ケチャップ味のポテチ』」
★「1747 【スイーツ114】元祖『ういろう』は小田原だったりする!」

★「1839 【スイーツ125】濃霧の箱根で『神奈川名産ゼリー』を」
★「1887 【麺類色々141】『あんかけスパ』と戦国の怪人・・沼津」

★「2915 【揚げモン73】プチ贅沢なプチ旅行で『お魚メンチ』を・・熱海」

★「2916 【名物パン331】残暑厳しき小田原城で『守谷の甘食』を」
★「3190 【麺類色々304】七夕の平塚海岸で『冷やしラオシャン』を」
★「3493【お魚料理115】猛残暑の温泉地・熱海で『マンボウの刺身』を」

★「3503 【スイーツ308】首都だったかも知れない小田原で『元祖ういろう』を」
★「3540 【呑みモン129】揺れ動く鎌倉幕府の成立年と『湘南ゴールドサワー』」
★「3541 【お米料理365】鎌倉の地名のナゾと『あかもく丼』・・由比ヶ浜」


(鯉風のお仕事)
★「日本全国へ、『出前講談』にお伺い致します」
★「『フルオーダー講談』を作ってみませんか?」


(年の暮れに成って漸く満五百年に気付くとは!何度も行ってたのに)

小田原は後北条氏時代に戦乱の京都から様々な文化を受け入れ、ソレを庇護したのは新九郎さんが、室町幕府に仕えた武士だったから?夏に訪ねた時にご紹介した「元祖のういろう」も後北条家を頼り、京都からココに移って来た家ですが、前回の杏仁ういろうを買う際に最後まで迷った「黒ういろう」がやっばり食べたく成り、今回はソレを買って参りましたヨ。昔通りの製法だから賞味期間が短くて、一度にイロイロ買って参れぬのが本物の証ですが、黒糖をたっぷり使って練り上げた甘みの濃厚なコト!後北条家が庇護しなければ残らなかった可能性は高く、全国のういろうはココから伝播してますンで・・世の中からソレが無くなってたかも。新九郎さん、いや新九郎さま、有難う御座います




| 2019.11.26 Tuesday (00:15) | やっぱ神奈川じゃん | - | - |
スポンサーサイト



| 2020.08.10 Monday (00:15) | - | - | - |
ブログ内の検索はこちらから
このブログを書いてンのは?
profilephoto
ただいまのお時刻は?
何かと便利なカレンダー
鯉風のツイッター!フォロワーお待ちしてます
お噂さの貯蔵庫(種類別)
お噂さの貯蔵庫(日付順)
お噂さの貯蔵庫(年月別)
他HPへのリンクの入り口
こんなのに参加してます
これまでご来場のお客様
アクセスカウンター
欲しログカラコンジュエリー市場

ジオターゲティング
RECOMMEND

 
MOBILE
qrcode
SPONSORED LINKS