きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
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034 越後出雲崎、良寛さんが生まれた街


ここが良寛さんの生家跡、今は「良寛堂」に成っている。後ろは日本海

ゆえ有って新潟県中部、つまり中越(ちゅうえつ)地方へ行って来たンです。越中国(えっちゅうのくに)じゃナイです、越後国(えちごのくに)の中部だから中越ってンです。西は上越・東は下越で、京都に近い方から上中下なのネ。

この辺りは数年前の地震で二度もエライ目に遭った場所。関東でも大きく揺れましたねぇ。私メの知り合いもたまたま遊びに行って被災したンですが、宴会を始めた途端に床が抜けてお酒が零れて勿体無いなかった・・だって。

さて空高く雲一つない全くスンバラしいお天気。まだ雪の降らぬ越後平野で過ごすンじゃ無く、男ならば演歌的に「荒々しい冬の日本海と闘いたい」と、私ぁ車を飛ばして出雲崎という海沿いの街へ向かったンでございますヨ。

ココは北国街道の宿場町。往時は公儀天領として、佐渡の金銀の荷揚げや北前船の寄港地として大いに栄えた港。そして芭蕉が奥の細道の旅の中で「荒海や佐渡によこたう天の河」の名句を詠んだ街。戦前は石油の大産地。


旧街道沿いに妻入りの家が延々と続く。まだ午前中なのにナンか暗い

幕末頃に一番人口の多かったのは現在の新潟県だったと以前知りまして私ぁ常識がヒックリ変えってしまったンが、日本海の方が賑やかだったのネ。その越後で一番人口密度が高かったのが出雲崎。ココに二万人も居たのヨ。

その賑やかな出雲崎のお名主様の息子として、約二百五十年前にこの街で生まれたのが良寛さん。心優しい良寛さんに激務の名主はとても勤まらず、僅か四十六日で出家したらしいですなぁ。備中玉島へ修行に向かいます。

諸国を巡り、壮年に成って越後へ帰った良寛さん。「純粋な子供と遊ぶ事が即ち仏の道」と悟ったそうですが、成る程道理で童話ン中によく良寛さんが出て来たンですなぁ。また禅僧で有りながら酒好き・女好き、なんかイイねぇ。

でも今回一番驚いたのは、私メの好きな「散る桜 残る桜も 散る桜」の句が良寛さんの時世の句だったって事。今は淋しい街だけれど、もっと暖い時に改めて行きたいモンでございますナ。だって本当に寒かったンですモノ・・。

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★次回は「新潟県見附市」への訪問記です★

(参考リンク)
★出雲崎町観光協会ホームページ  →→  
http://www.izumozaki.ecnet.jp/

(良寛牛乳のHPがどうしても見つからンと思ったら、無かったのネ)




| 2009.12.11 Friday (10:07) | 長いぞ新潟は!中越 | - | - |
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| 2019.10.21 Monday (10:07) | - | - | - |
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