筑波山の北部に位置し、稜線で繋がる「加波山」。この山の麓が真壁
私メの父は堅気の銀行員だったンですが、某都市銀行でしたンで当然の様に転勤暮らし。お陰で私メも随分転校致しましたが、今考えればソレなりに面白かったですナ。尤も家事を取り仕切る母はソレ成りに大変だった筈ですが。
この転勤と云うのは昔から有ったモンでして江戸時代、全国に配置されたお大名にとって転勤(領地替え)は恐怖そのモノだった様ですネ。何しろお殿様家族だけで無く、家来の殆ども一緒に移動すると云う事に成りますンで・・。
一番凄いのは「引越し大名」の仇名を持つ、最初は姫路のお殿様だった松平直矩(なおのり)公。姫路〜新潟・村上〜姫路〜大分・日田〜山形市〜福島・白河と、直矩公一代で五回も領地替えさせられて最多不倒の記録を作った。
むしろ江戸時代の最初から最後まで領地替えの無かったお大名の方が珍しい位で、有名な大名家が意外なトコのお殿様をしてた過去が有ったりして存外面白い。例えば赤穂義士伝の浅野家も、始めから赤穂に居た訳じゃ無い。
かつて栄えた頃の街並みが残ってる真壁。あとはソフト面の充実が・・
ココは鎌倉時代初期からの古い城下町。そして最後は浅野家の城下町
太閤秀吉公と相婿の浅野長政公は、豊臣五奉行の筆頭として知られて居ります。関ヶ原の合戦では東軍・徳川家に味方して、同じ五奉行の石田三成公と別アプローチで豊臣家を残そうと努力致します。でもソレは叶わなかった。
コレを悔いたか?所領の紀州和歌山三十七万石はご長男に任せ、隠居生活に入った長政公に対し幕府も気兼ねしたか?隠居料(年金)として特別に与えられたのが常陸(茨城)真壁五万石。いやはやナンとも凄い年金でござんス。
長政公は隠居開始から五年で亡くなられますが、三男坊が遺族年金的に常陸五万石を相続し、やがて領地替えと成った先が播州(兵庫県)赤穂でございますヨ。だもんで赤穂義士伝には、真壁時代からの家来も随分出て来ます。
浅野家が真壁を去り城は破却され約三百九十年。つまり江戸時代の殆どは天領として過した街ですが、大正まで筑北の中心として栄えてたらしく、当時の豪勢な街並みが奇跡的に残ってます。少しずつ整備されつつ有りますネ。
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★明日は「千葉県君津市久留里町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「桜川市観光ガイド」桜川市役所HP
http://www.city.sakuragawa.lg.jp/index.php?code=605
★「真壁のひなまつり」和の風第九章HP
http://www.makabe-hina.com/
★「真壁城」ザ・登城HP
http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/kanntou/c-1-3-4-6-siro-MAKABE.html
★「真壁町の町並み」古い町並みを歩くHP
http://matinami.o.oo7.jp/kanto1/makabe.htm
★「田中商店(真壁)/焼そば」Momonga’s Lovin’ It ブログ
http://blog.goo.ne.jp/momonga_tomo3/e/9f1aff0b50a7ed251c6f3d34f08d3aa8
(関連する記事)
★「目次 【やきそば】シリーズ」
http://rifuh.jugem.jp/?cid=33
(数年前から私ぁ毎年訪ねてますが、年々観光客が増えてる気が致します)
持ち帰りにした「真壁の焼そば」は、刻み魚肉ソーセージが満載です。
473 【やきそば23】真壁の魚肉ソーセージ焼そば
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