鴻巣宿で一番大きなお寺サン、浄土宗の天照山勝願寺(しょうがんじ)。
不思議な御縁が有りまして、埼玉県のほぼ中央に在る鴻巣市のコミュニティFM放送局「FM鴻巣フラワーラジオ」で、私ぁ毎週金曜昼に二時間の生放送をやらせて戴いて居ります。「フラワータイムなぞの金曜日」と云う番組です。
お客サンの反応がすぐ判る寄席高座と違い、原則非公開のスタジオですンで中々に大変ナンでございますが、気付けば六百回を超えて同局じゃ最長寿番組に成ってまして、少なくとも七百回までは続けたいモンだと思ってますヨ。
その生放送をする為に、私ぁ年に五十回以上鴻巣市へ参って居るンですが、このブログ旅日記で一度もマトモに取り上げた事が有りませんので、ようやくご紹介致したいと存じます。決して他の根多が尽きた訳じゃございませんゼ。
この鴻巣は、旧中山道の江戸から数えて七番目の宿場町。南隣りの北本市が本来の「鴻巣宿」ナンだソウですが、江戸幕府が成立して中山道六十九次を整備した時に、幾つかの理由から現在の鴻巣市の場所に移動したそうナ。
左から仙石秀久公・真田重信公夫妻・真田小松姫のお墓が並びます。
その理由の一つが「勝願寺」と云う大きなお寺サンらしい。お坊さんとして最高位の「紫衣」を朝廷より与えられた「円誉不残上人」と云う傑僧が幕府成立当時のご住職で、このお上人サンは徳川家康公にエラク気に入られてた様。
家康公は勝願寺へ時折参る為(と鷹狩遊びする為)にわざわざ御殿を拵えさせたソウでして、その他様々な理由から宿場を移したとのコト。また勝願寺は幕府から多大の寄進を受け、郊外の寺院としては随分豪勢だった様ですナ。
と云う表現に成ってしまうのは、明治の大火で建物群は無くなってしまったソウで・・。ですが建物は木だから焼けてもお墓は石だから残る。家康公の斡旋(?)で大名諸家の菩提寺と成ってた様で御廟は在るし、意外な方のお墓も。
ソレは仙石秀久公。太閤秀吉公の最古参の御家来で、信州小諸十万石のお大名。石川五右衛門を捕らえた豪傑として有名ですが、参勤交代の帰り道に鴻巣宿でお亡くなりに成ったソウで・・。秀久公じゃ大河ドラマは出来ンかネ。
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★明日も「埼玉県鴻巣市」をブラブラします★
(参考リンク)
★「花かおり緑あふれ人輝くまち・こうのす」鴻巣市観光協会HP
http://www.konosu-kanko.jp/
★「勝願寺」Wind of Hometown HP
http://www.geocities.jp/wind_of_hometown/temple/syougan_ji.html
★「仙石秀久」武士の館HP
http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/senngokuhidehisa.htm
★「川幅せんべい&川幅漬け」美栄子の熊谷ライフ♪ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/miekomagic/diary/201010270000/
(仙石秀久公と云う方は、戦国随一の浮き沈みの激しい人生な武将でして)
鴻巣市付近の荒川河川敷はナンでも日本一の川幅(2537m)だソウでして、せっせと幅広な新型グルメを作って居りますヨ。「川幅せんべい」
503 【煎餅お餅08】石川五右衛門を召し捕った男
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