聖徳太子がお建てに成られた全国四つの四天王寺の一宇、津市「塔世山四天王寺」。現在のご本堂は津大空襲から再建されたモノだソウです
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
時折お客様から聞かれるンです、曰く「女性が主人公の講談って無いの?」。ま、無いコトは無いですナ。源平盛衰記の中に勇猛果敢な女将軍「巴御前」が居られますし、悪い女(傾城とか毒婦とか)が主人公なモノも多いです。
私メの持ち根多の中にも、石田三成からの水攻めを耐え抜いた埼玉・行田の「成田甲斐姫」のお噂もございますが、女性が主人公の講談は余り持って無い・・。男が主人公モノが多いのは、女性を演じきる芸力が無いからでしょう。
先日ふと立ち寄った三重・津市で、凄い有名人の御母堂のお墓を見付けました。ソレはナント「戦国三英傑のお一人」織田信長公の実母・土田(どだ)御前のモノ。はて?ナンで信長公のおっ母サンのお墓がココに在るのかしらん?
同じ「三英傑」でも、徳川家康公や豊臣秀吉公のおっ母サン達は結構有名ですが、土田御前は余り知られて居りませんネ。ま、信長公ご自身が天下を取る寸前で亡くなられ、織田家自体が歴史から隠れてしまったからでしょうが。
四天王寺の土田御前(花屋寿栄禅尼)のお墓。信長公が本能寺の変で斃れずに、天下平定して居られれば、もっと立派な御廟だったンでしょうネ
戦国初期、愛知県西部(尾張)の領主だった織田信秀の許に、正室として嫁いだ土田御前は四人の男子を産んだと言われてます。最初にあの信長公、次いで信勝・信孝、最後に信包(のぶかね)。但し信孝は早死にして居ます。
「うつけ者」と呼ばれた兄の信長と、「英邁な若君」と期待された弟の信勝。織田家は信秀の死後、跡目をめぐって兄弟争いが勃発。土田御前はドウやら信勝擁立に動いた様ですが、兄による弟殺しと成り信長公が新当主の座に。
実の息子同士で殺しあった・・。戦国だから仕方無いと言えばソレ迄ですが、おっ母サンは辛かったでしょうナ。互いに複雑な感情のまま時は流れ、本能寺の変の後、土田御前はココの領主だった末っ子の信包を頼って津に来た。
ソレは今年の大河ドラマの主人公「お江サン」等の浅井三姉妹(孫娘です)を伴ってのモノだったソウですが、御前はこの津の街で、思わぬ流転に成ってしまった我が人生を一体ドウ思われたのか?出来れば知りたいモノですなぁ。
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★明日は「三重県桑名市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「聖徳太子ゆかりのお寺」津市・四天王寺HP
http://www.sitennoji.net/
★「女性列伝・土田御前」戦国ごくうHP
http://www.gokuh.jp/ghp/busho/fem_000.htm
★「信長の兄弟達・織田信包」戦国ごくうHP
http://www.gokuh.jp/ghp/matsuei/tei_02.htm
★「蜂蜜まんじゅう」くじらまぐネットHP
http://www.kujimag.com/tim/s3c42ya818343.htm
(戦国最強の美女「お市の方」も御前の娘ですから、美人だったンでしょうナ)
津は名物がとにかく多いトコで、今回は「蜂蜜まんじゅう」。伊勢市のぱんじゅうに格好は似てますが、個人的にはコッチの方が遥かに美味い
649 【今川焼き06】信長の母と「蜂蜜まんじゅう」
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