馬車道通りに威容を誇る、国の重文「神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)」は明治三十七年の建築。正金銀行は後の東京銀行です
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
ホントに暑いですナ。そう云う時は冷たいモンを食べたく成るのが人情で、冷房自粛の影響も有って今夏は売れ行きが凄いソウですゼ。でも何事も「過ぎたるは‥」ですンで、食べ過ぎにはご注意を。でも体が欲しがるンですよネ。
冷菓の代表と云えば「カキ氷」と「アイスクリーム」でしょうか。清少納言の枕草子に「けつりひ」として出て参りますンで、カキ氷は平安時代から食べられてた様ですが、当時から江戸時代までは氷は天然モノだけだから貴重品。
真冬に確保した天然氷を氷室に入れて懸命に保存し、高貴な御身分の方々しか食べられません。コレが初めて一般に売り出されたのは明治二年、町田房蔵サンと云う方が横浜馬車道に開いた「氷水屋」だったとされて居ります。
房蔵サンは幕府遣米使節団の一員として咸臨丸で太平洋を横断した御旗本で、新しいモン好きだったらしい。幕府が瓦解して浪人に成った房蔵サンは横浜に下り、氷屋サンに成ったとの事。アメリカで製氷機でも買ったのかしらん。
一種の租界だった「横浜開港場」のメインストリートが馬車道。大桟橋から荷物や人を運ぶ馬車が頻繁に行きかう、空前絶後の道だったらしい
房蔵サンがまず売り出した「氷水」とは、「砕いた氷に砂糖水を掛けたモノ」らしく余り売れなかった様ですが、次いで売り出したのが「あいすくりん氷水」。牛乳・砂糖・卵黄を良〜く掻き混ぜて、売れ残った氷で良〜く冷やしたモノ。
この「あいすくりん氷水」が、日本初のアイスクリームとされて居ります。幕府遣米使節団は初めてアイスクリームを食べた日本人らしく、房蔵サンも恐らくアメリカでアイスを食べてたンでしょう。そしてその味を憶えてたンでしょうナ。
しかし高価過ぎて(小カップ一杯で二分だから‥二万円位?)中々売れませんで、業を煮やした房蔵サンは間も無く店を閉めちまった‥。でも味と製法は次第に拡がり、各地に同業者が増えてアイスクリームは全国的に普及する。
つまりカキ氷屋の元祖はアイスクリーム屋の元祖でも有る、と云う講談みたいなお話ですが、何れにせよ専門店で食べるも美味いけれど、灼熱の夏休みに駄菓子屋サンの店先で食べたラクトアイスの味がとても懐かしい私メです。
↑↑ドレかを押して貰えると更新する張り合いが出ます↑↑
★明日は「神奈川県寒川町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「馬車道はじめて物語」馬車道商店街協同組合HP
http://www.bashamichi.or.jp/
★「馬車道」横浜線沿線散策HP
http://www.natsuzora.com/may/town/bashamichi.html
★「アイスクリーム発祥の地」ぶらり横浜観光HP
http://hamakko.or.jp/kanko/hazimete/h-005.html
★「デンジャーダンジョン奇食の穴・揚げモナカ」新江ノ島物語ブログ
http://ameblo.jp/2609-31/entry-10467652041.html
(外国文化の玄関だった馬車道は、数多くの「日本初」が溢れてるトコです)
馬車道にアイス屋サンがございませんでしたンで、コレでご勘弁を。神奈川・藤沢市内の某駅前にナンでも揚げちゃうお店が在りまして、ソコの一番珍妙極まりない「揚げアイスチョコ最中」!普通の森永アイス最中がパン粉の皮を更に被って揚げられてますが、芯のチョコが未だ硬いンで不思議に歯応えが有って、妙に美味いです。サッサと食わンにゃ‥
635 【揚げモン18】アイスのはじめては馬車道
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.