土浦の旧々中心街「中城通り」。旧水戸街道沿いに古い土蔵造りが建ち並ぶ素敵な雰囲気のトコですが、大震災の影響でブルーシートだらけ
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
茨城県へ行って参りました。今回訪ねましたは南部の中心都市で、人口十四万強の土浦市。もうチョット居るかと思ってましたが、ココは土屋家九万五千石の城下町。日本第二の湖「霞ヶ浦」と筑波山に挟まれた、風光明媚なトコ。
私メがココへ初めて参りましたのは、もう四半世紀以上前の「つくば万博」の時でございましたナ。土浦のお隣り「つくば市」で開催された「国際科学技術博覧会」、バブルが始まった1985年(昭和六十年)のコトでございましたヨ。
無能な左翼政権の為に落ちぶれた「駄目駄目!没落ニッポン」じゃ無く、当時は明るく輝く「行け行け!バブル日本」でしたンで、ひたすらに前向きな国際万博で凄く面白かった記憶がございますゼ。一体何度行ったのかしらン?
東京から筑波への直通鉄道が無かった頃で、アクセスは国鉄(!)常磐線の「土浦駅」で連接バスに乗り換えだった様な‥。土浦は街の中に都市高架道路が巡らされ、当時珍しかったモールの様なモンが高架沿いに造られてた。
「昔の光、今いずこ」‥。つくば万博の時に造られた都市高架道路とモール街。ココだけでじゃ無く、JR土浦駅周辺の寂れたコト寂れたコト‥
大都市じゃ珍しくなかったが、結構地方の街(失礼)なのにエラク未来的な感じで吃驚した私メでしたが、大人に成って道を間違え講釈師に成り、仕事で土浦へ来る度に「あの日の驚き」「輝かしい日本への幻想」が色褪せて行く。
バブル全盛から崩壊、そして今に至る日本の街造りの諸問題全てが露骨に表れてる様で‥造りっぱなし。その分、色ンな時代の街がまるでミルフィーユの皮の様に重なって放置されてますンで、面白いと云えば面白いンですが。
そんな中心街の重なったミルフィーユの一枚、江戸時代に栄えた中城町へ。ココは水戸街道の宿場町だったトコで、実はお城の中。土浦城は城下町ごと外堀内に囲い込む惣構え構造、中国のお城を想像して貰えれば判り易い。
最近に成って「中心部の再生を!」てなコトで、時代に取り残されてた立派な建物群を活用し、観光地みたいにしてたンですが・・ココにまで影響が有ったのか!震源から大分遠いンのに、大震災の影響で壊れた建物だらけでした。
↑↑ドレかを押して貰えると更新する張り合いが出ます↑↑
★明日も「茨城県土浦市」のブラブラ散策です★
(参考リンク)
★「水と歴史のまち ようこそ土浦市へ」土浦市観光協会HP
http://tutiura.727.net/
★「土浦市 古い町並み散策」風に吹かれて・・ぶらり小さな旅HP
http://kacho.digi2.jp/03tabi/08ibaraki/031tsuchiura/tuchiura1.html
★「土浦〜霞ヶ浦湖岸の低地の広がる城下町」まちあるきの考古学HP
http://www2.koutaro.name/machi/tsuchiura.htm
★「土浦の『ほたて(保立食堂)』と地震の爪あと」ポンポコ研究所ブログ
http://tanukida.exblog.jp/14497194/
(土浦は湖畔の湿地帯の街ですから、他所より揺れが強かったンでしょうナ)
戦前は土浦に在った「予科練(旧海軍飛行予科練習生)」の指定面会所だった過去の有る、中城通り角地の土浦名物「ほたての天麩羅」。ほたてと云っても帆立じゃ無い、保立サンがやってる食堂だからお間違え無き様に。海鮮の掻揚げ丼を戴きましたが、う〜む正に関東風!味が濃い
683 【お米料理43】大震災の爪跡がココには沢山・・土浦
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.