三次市の旧中心街「みよし本町通り商店街」。桜石が敷き詰められたこの街は、別名「いにしえの里 三次物怪(もののけ)・でこ街道」。ナンでもココにゃ「稲生物怪録」なる、江戸後期の妖怪物語が伝わってるそうナ
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
中国地方の山間地巡りは続きます。予想外に立派だった岡山・津山市に続き参りましたのは、広島・三次市。「さんじ」じゃ無く、コレで「みよし」と読みます。「さんじ」じゃ、大江戸八百八町の火消しか大工みたいでございますゼ。
西日本は古くから海運が盛んでしたンで、海沿いにばかり大きな街が在り、山ン中は小都市が幾つか散らばってるだけ。その中のトップツーが津山と三次。津山がホント立派だったンで、三好も凄いトコに違いないと参りましたヨ。
ココは城下町、しかも私メら講釈師には多少以上の係わり合いの有るトコ。と云うのは、私メらの米櫃とも言うべき「赤穂義士伝(芝居でいう忠臣蔵)」の主要登場人物が、この三次のお方だから。そのお方は瑤泉院サマと仰られる。
ナンじゃそりゃと云う反応がフツーでしょうが、事件の発端を作られた播州赤穂の御城主・浅野内匠頭サマの奥様が、瑤泉院(ようぜいいん)サマでございますナ。尤もそんな難解な名前は出家された後のコト、本名は「阿久里姫」。
みよし本通りは、豪勢な「袖うだつ」や「本うだつ」の上がった家が多い街。しかも屋号やら模様やら、卯辰にゃ鏝絵が施されてるモノが実に多く、往年の大繁盛振りを物語ってます。ココも関東に在ったら大観光地
ま、瑤泉院サマについては明日ゆっくりご紹介致しますが、そのご実家が三次の浅野家。赤穂の浅野家とは同じ広島浅野家のご分家同士で、五万石取りのお大名。内匠頭サマとは親戚同士で結ばれた、ご夫婦だったンですネ。
但し三次浅野家が存続して居たのは短く、江戸初期に約九十年間だけ。赤穂の方もちょうど百年間だけでしたから、浅野サマはご分家に恵まれて無かった様。跡継ぎが無くて三次藩が断絶した後は、ご本家に吸収されてます。
ですが地政学的にも、経済的にも要所だったから五万石の藩が置かれて居た訳で、ココは中国山地で生産された「たたら鉄」の集積場・出荷場として、大いに栄えてたとのコト。だからかナ?立派な建物が沢山残って居ります。
同じ中国山地の城下町に残る古い町並みでも、津山の方は武家風の落ち着いた感じだったのに、三次は商家風の豪勢な感じのがズラリズラズラ並んでまして、コレだけ凄いのに歩いてるのは私メらだけ。勿体無いと思いました。
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★明日も「広島県三次市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「水の都 三次へようこそ!」三次市観光協会HP
http://www.kankou-miyoshi.jp/
★「『みよし』にきんさぁ〜い!!」みよし本通り商店街HP
http://www.mhst.jp/
★「広島三次で元気を企てる集団」物怪プロジェクト三次HP
http://www.m--m.jp/
★「商品情報 カレーソース」オタフクソースHP
http://www.otafuku.co.jp/recipe.php/goods/show.html?id=31
(三次出身の広島カープの選手が盗塁王を取ったそうで、ポスターがベタベタ)
本来なら三次が地元の「カープソース」を出さなきゃ成らンのですが、済まん‥買い忘れてた。ソコでライバル会社ので申し訳ないですが、コイツは珍しい!「オタフクのカレーソース」。広島でも売ってないトコが殆ど
778 【調味料類08】卯辰の上がる三次市と「オタフク・カレーソース」
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