遙泉院さま(赤穂義士伝の浅野内匠頭サマの奥様)のご実家(三次藩浅野家)跡に建つ、江戸十社の一つ「赤坂氷川神社」。現在地に遷されたのは享保十五年(1730)、ソレを命じたのは八代将軍の徳川吉宗公です
東日本大震災の被災者の方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復興成ります事を期待してます。今はカラ元気を出して乗り切ろう
二ヶ月ぶりの江戸十社巡りでございます。今回参りましたのは東京・港区赤坂の「赤坂氷川神社」でして、コレで十一社目‥。江戸十社と云うクセに既にソレを超過してますのは当初は十社じゃ無く、江戸十二社だったからなのヨ。
コレで江戸十社は全て参拝済みと成り、後は東京・府中市の大国魂神社で十二社もコンプリートに成るンですが、ソレは又いずれと云う事で‥疑問だらけの赤坂氷川神社でございますヨ。ドウしてココが江戸十社に入ってンの?
東京都や埼玉県在住者にとって、「氷川神社」は近所によく在るありふれたお社でございますが、こりゃ武蔵国限定の極めてローカルな神社チェーン(?)なのヨ。全国チェーンの天神様や八幡様あたりからすりゃ、ホント田舎の神様。
その地域じゃ有名でも、他所に行ったら全く無名な神社チェーンは数多い。東京と埼玉だけでメジャーな氷川神社は、さいたま市大宮区「大宮氷川神社」が総本社。ソコを考えると赤坂じゃ無く、大宮の総本社が入るべきでしょう。
遙泉院さまの講談で有名な「南部坂」は、氷川神社近くの細く急な坂。この辺は最初、奥州盛岡藩・南部家下屋敷が在ったトコだから南部坂。ソレを安芸三次藩・浅野家と交換し、浅野家断絶後は神社に成りました
おいおい。江戸十社だ十二社だと言ってるモンに、埼玉の神社を加えてドウする心算だ‥とお怒りに成られる方も居られましょうが、実は大宮氷川神社よりも遠くに在る、同じく埼玉の「鷲宮神社」が十二社の方に選ばれてますゼ。
ソリャ鷲宮サンは「関東最古」「関東総鎮守」の大神社だから選ばれるべくして選ばれたンでしょうが、江戸を含む「武蔵国の一宮」が大宮氷川神社ですンで、コチラも選ばれて当然と思うンですが‥ナゼか赤坂氷川が選ばれてる。
十二社が選定された明治初年に一体ドウ云う事情や経緯が有ったのか?私メにゃ全く判らないンですが、とにかく赤坂の氷川サンが新帝都・東京を代表する神社に選ばれた。その頃の赤坂は田舎だった筈で、何が有ったのやら。
その長閑さに惹かれ勝海舟が、赤坂氷川神社の側で隠居生活を送った等と申しますが、只今の神社周辺は洒落た超高級マンション群や、アメリカ大使館の寮が並ぶ国際的なトコに成ってます。ローカルの神様も居辛かろうねぇ。
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★明日は「東京都港区六本木」への訪問記です★
(参考リンク)
★「江戸七氷川筆頭」赤坂氷川神社HP
http://www.akasakahikawa.or.jp/
★「氷川神社(東京)」ぶらり寺社めぐり・神社編HP
http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-tokyo/jisyaakasakahikawa.html
★「南部坂」写真紀行・旅おりおりHP
http://www.uchiyama.info/oriori/insho/saka/nanbu/
★「海外仕様のプリッツはIwsnu。味はラーブ味。」日刊NZライフ・ブログ
http://nzlife.net/archives/1163
(関連する記事)
★「707 【呑みモン22】さいたま市大宮区は『リス』の街」
http://rifuh.jugem.jp/?day=20110922
★「【東京十社】シリーズ」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=821
(赤坂界隈じゃ一番落ち着ける場所でして、結構お世話に成ってる神社です)
赤坂と全く関係ないですが‥義弟がタイ旅行のお土産に、私メの喜びソウなモンをイロイロ呉れましたンで、グリコの「タイ版ポッキー」やら「タイ版コロン」やら。英語で書いてある面はともかく、タイ語(?)で書かれた面は、正直ナンのコッチャか全く判りません。味もチョット大雑把ですナ
846 【東京十社11】赤坂氷川神社と「タイのポッキー」
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