きこしめす講釈師

寄席芸人 講釈師(講談師) 神田 鯉風 の「毎日更新続行中」な旅日記でございます。
大体五百円程度の範囲で、セセコマしい雑多な勝負を連日連夜繰り広げております。
二週間から一月ほど前のお出掛け報告が殆どですが、どうかご容赦下さいます様に。
取り上げましたお料理やお店の詳細は、「参考リンク」をご覧戴きます様に願います。
「 心から こころの鬼に せめられて 身のおきどころ なき人もあり 」 by 糟谷 磯丸
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027 2009年11月の目次

30日更新 027 2009年11月の目次
29日更新 026 黄昏の千曲川、決死の脱出行!!JAFはまだか?

27日更新  025 【粉なモン01】包んでしまえばナンでも「おやき」!!
25日更新 024 信州しなのはコイの国
23日更新 023 NTTさん、あんた洒落がキツイって!
21日更新 022 吉良さまにだって言い分はある・・でしょ
19日更新 021 【お米料理01】どう考えたって浅野の方が悪い・・ような
17日更新 020 【お魚料理01】浜田行き寝台特急と「赤天」

15日更新 019 【スイーツ01】ひょっとこ達の終わらない宴
13日更新 018 
【名物パン01】やっぱ法事はパンじゃないと!!
11日更新 017 島根は鳥取の左側です
09日更新 016 【麺類色々01】島根のゆで延だんご
07日更新 015 ボヤッキーは会津若松から上京した
05日更新 014 熱血九州男児、奮闘す!!
03日更新 013  美作勝山、のれん揺れる城下町

02日更新 012 速報「メタル侍」 早くも再放送が始まる!!
01日更新 011 【野菜果物01】芋だけでなく、東北はいちじくも煮る

2009年11月は、以上17本の記事を掲載いたしました。

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| 2009.11.30 Monday (12:00) | 月ごとの記事まとめ | - | - |
026 黄昏の千曲川、決死の脱出行!!JAFはまだか?

          
JA十日町がお届けする「カルビタ」トマト。カルシウムとビタミンC・・

私ぁバイクとは長〜い付き合いなンですよ。芸界に入る前にはドップリ嵌ってましたンで、早や二十数年。生業の講談は好きですが、バイクは趣味として一番大切でございます。シーソーに乗せればバイクが勝つかも知れん位・・。

何処か知らないトコへ行きたがる子供だったンですが、歩くよりは自転車の方が早く遠くへ行ける。でもバイクの方が早く遠くへ行ける。しかも自動車より安くて小回りが効く・・で見事に人生を崩しました。気付けば講釈師・・。

でも少し気障ですが、バイクに乗って「背中が広がった」感がございました。「暑くて寒くて痛くて濡れる」という四重苦を抱えた難儀な乗り物ですが、風の匂いを感じられるのは変えがたい魅力で、私ぁ一生乗り続けるンでしょう・・。

爆音を上げカッ飛ばすのは嫌いナンです。のんびり静かに風景を楽しみ乍ら私ぁ走りたいンでして、どうぞ遠慮なく追い抜いていって貰いたいンです。ただ以前に比べると、バイクで旅に行く回数が少し減って来たのは残念です・・。


新潟中越の「お赤飯」はお醤油を入れて炊くのだ。帰りに湯沢で買った

さて牛ならぬバイクに曳かれて善光寺参りを済ませた私メは、「往復共に同じ道ではど〜もつまらん」という哲学の許、黄昏迫る千曲川沿いを雨雲と抜きつ抜かれつ懸命に、帰路の関越道・越後湯沢ICを目指してたンです・・。

やがて千曲川は信濃川と名を変え、長野から新潟に入って暫くしたら・・あらヤッチマッタ!!後ろタイヤが遂にバーストした〜!!タイヤが一寸擦り減り気味だったのは判ってたンで、近い内に取り替えようと思ってたンだけれど・・。

お金のトラブルはアメックスですが、バイクのトラブルはJAFです。何年か前からJAFのロードサービスはバイクも対象となってましたンで、早速電話して担当の青年にトラックで助けに来て貰い、地元十日町市のバイク屋へ・・。

幸いサイズ合うタイヤが有りましたンで、正に「敵中孤立に援軍現る」思い。JAFの青年もバイク屋のご店主も本当に有難うございました、お陰で無事帰れました。全て出発前の基本安全点検を怠った私メが悪いンですよね・・。

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★次回は「茨城県常陸太宮市山方町」への訪問記です★

(参考リンク)
★「JAF」日本自動車連盟HP
http://www.jaf.or.jp/
★「除雪機勢ぞろい」モトショップベルHP
http://bell.attend.jp/
★JA十日町HP
http://www.ja-tokamachi.or.jp/

(帰りの高速は豪雨と濃霧と低温で・・あぁヤレヤレアブナカッタ)




| 2009.11.29 Sunday (00:59) | 長いぞ新潟は!中越 | - | - |
025 【粉なモン01】包んでしまえばナンでも「おやき」!!


「ふきっ子のお八起」の「和トマトおやき」。ちなみに権堂にお店はない

前項で私メが若い頃、信州白馬村の某スキー場でリフトマンをしてたコトを申し上げたンですが、そン時にナンだか嬉しかったのは、私ら住み込み組と違って地元から通ってくるオジサンが、時折「おやき」を持ってきてくれたコト。

「おやき」ってナニかご存知ですか。信州独自の「色んな具入りの饅頭」で中身は概ね野菜を炒めたり/煮たりしたモノ。それを小麦粉のドウ()で包み蒸したり/焼いたり/揚げたりしたモンです。信州じゃ昔から作られてたのヨ。

オジサン宅で既に蒸して来たのを、リフト小屋の暖房用石油ストーブの上で転がして焼くンです。ホントは囲炉裏の灰の中で焼くンですから邪道だと判っちゃ居りますが、吹雪には「野沢菜を炒めたおやき」がよく似合うぜ!!

スキーを覚えられたのと、雪山の朝焼けの美しさと、そして「おやき」だけがあのロマンス無き最悪な冬の数少ない楽しい思い出ナンでございますが、冬季五輪以来ナンだか妙に「おやき」が予想外な進化を遂げてますねぇ・・。

     
コレも信州名物(?)のビタミンちくわ。「生で良し煮込み良し」らしい

長野市の繁華街・権堂(ごんどう)のいむらやサンで、いつものように名物「あんかけ焼きそば」を食しました後、膨れた腹ごなしにアーケードを歩いてましたら某スーパーで見つけました。私メの想像を絶するような「おやき」を。

冬季五輪の前の権堂は賑わってた記憶があるんですが、郊外の店にお客を取られたのか青息吐息。でも見つけたのは上の写真の真っ赤な「おやき」。中身は和風ラタトゥーユでございまして、おいおいコレも「おやき」なのかい。

こりゃ「ふきっ子のお八起」サンの定番「和のトマトおやき」ナンだそうですが、この店ステキにヘンなのよ。常識的な定番の他に「そら豆」「根菜ごぼう」や、秋の限定「中華ちまき」「おさつカレー」「きのこの秋」「蓮根チーズ味噌」等。

そして大人のおやき「カマンベール」まで有るそうでして、こう成りますと一体オジサンはどうしてイイのやら・・、ボクのオヤキはドコイッタ・・。過ぎ去りし二十世紀を惜しんだって仕方ない、これからはこう成って行くンでしょうねぇ。

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★次回は「新潟県十日町市」での騒動記です★

(参考リンク)
★ふきっ子のお八起HP 
http://www.fukikko-oyaki.com/
★長野市・権堂商店街ガイドHP 
http://www.gondo-nagano.jp/

(でもトマトおやき中々に美味しかったねぇ、まだ話は続きます)




| 2009.11.27 Friday (06:51) | 広いぞ信州は!北信 | - | - |
024 信州しなのはコイの国


善光寺の参道で目撃。皆さんお揃いでドチラへお出かけですか?

信州しなのの長野県には、私ぁ一寸苦〜い思い出があるンでございますよ。人生一度っきりの「成人式」を、私ぁナゼか長野県で迎えたンでございます。その頃イロイロあって東京にいられず、やむなく白馬村に逃げてたからです。

バブルの真っ最中、どうにも大学と折り合いが付かずに「強制的に」早めの卒業となった私メ。師匠から入門許しは出ず、何だか中途半端でヤケになり白馬村の某スキー場で「滑れないのに」リフトマンのアルバイトをしてたのよ。

今と違いスキーブームは最高潮で、方々のスキー場は人手不足で仕方なく「スキーなんぞしたコトがない」私メでも住み込みで雇って貰えたンですから、異常な時代だったンですねぇ。尤も、負け犬の吹き溜まりみたいでしたが。

山上のリフト小屋に吹雪で一晩閉じ込められたりとか、お客さんが亡くなって周章狼狽したとか、毎晩のように酒呑んで互いの傷を嘗めあったりとかイロイロありましたが、私ぁ「生き延びる為に」スキーを覚えるコトが出来ました。


小諸市のツルヤで買った「特製しょうがジャム」。これから役に立ちそう

何しろソレまでの人生で一番降雪の多いのは東京、という「南国型」の私メでしたンで、「雪が多いのはナンと難儀なコトか」を身を以て学びましたねぇ。ゲレンデの恋は残念ながら生じませんで・・、雪かきばっかさせられました。

ただ白馬村辺りの方言は、私メが子供の頃を過ごした静岡市辺りと殆ど同じ「ずら弁」でしたンで、通いで来てた地元の人たちと、言葉を選ばずに喋れたのは助かりました。でももう私ぁ正直、あの生活には・・戻りたかないねぇ。

そんな長野は海なし県。お魚は淡水魚が当然だったようで、スーパーでは今でも鯉を売ってますねぇ。県東部の佐久市には鯉のフルコースを出す料理屋がありまして、私ぁソコの「鯉のウロコのから揚げ」が好きナンです。

でも真打に昇進して、今の「鯉風」という名前を襲名させて戴いてからは、ナンだか共食いしてるみたいになっちまって・・。うちの師匠も「松鯉」を襲名してから「鯉を食べ辛くなった」といってましたが・・、困ったモンです。

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★次回も「長野県長野市」への訪問記です★

(参考リンク)
★信州佐久・佐久鯉ガイドHP 
http://www.sakucci.or.jp/koipj/ryori/index.html

(お話しは次回に続きます)




| 2009.11.25 Wednesday (11:50) | 広いぞ信州は!北信 | - | - |
023 NTTさん、あんた洒落がキツイって!


かつてココに吉良様のお屋敷があったンよ。現在の「本所松坂町公園」

さて吉良様の江戸のお屋敷といえば、私ら講談では「本所松坂町」だったと申し上げてます。現在は「墨田区両国三丁目」というも面白味のない地名に成っちゃってますが、お屋敷の八十六分の一が公園として残ってるンです。

元々の吉良様のお屋敷は呉服橋御門内、つまり江戸城の外堀の内側にあったそうで、広い意味での江戸城の中ですナ。そのままでしたら絶対に「討入り」は成功しなかった筈なんですが、イロイロと訳が有ったみたいで・・。

吉良様は討入り前年(松ノ廊下事件の年)に随分淋しい場所だった本所に屋敷換えとなり、ご存知のように赤穂の浪人たちに大勢で以て攻め込まれ、年の暮れに嬲り殺しにされてしまったんです(講釈師の発言とは思えん・・)

名門らしく大きなお屋敷だったそうですが、吉良家がお家断絶になった後このお屋敷は宙に浮いちゃったらしい・・。縁起が悪いと代りに住む旗本が居ませンで、「化け者屋敷が出来ちまった」と幕府がホトホト困りましたよ。

     
これが旧吉良邸の敷地内に立っている電柱の固定番号・・、まさか

そこで土地を細かく割って無理やり町人たちに売り飛ばしたモンですから、吉良邸跡はほぼ消滅。また吉良邸の廃材が混ざっていたら縁起が悪いと当時の古材木相場が暴落したンだそうでして、ホントに吉良様は可哀相・・。

この松坂町界隈の人たちも「吉良様は可哀相」と、戦前お金を出しあって上の写真の松坂町公園を拵えた訳ですが、私ぁ二ッ目時分ではとバスの案内してた頃は、毎週のようにココに来て面白おかしくご案内してました。

ところで話しは変わりますが、皆さん電柱にそれぞれ番号が振られているのご存知ですか?NTTと電力会社が全ての電柱に固定番号を振ってるそうでして、警察に通報する時はその番号を言えば場所が判るそうなンですよ。

旧吉良邸の敷地内にも電柱は沢山立ってるンですがNTTサン、一寸シャレがキツ過ぎませんか?よりによって電柱の名前が「浅野支線」とは一体どういうことナンでしょうか?私ぁ吉良邸跡に行く度に、コレがいつも疑問なんです。

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★次回は「長野県長野市」への訪問記です★

(参考リンク)
★「東京観光案内/吉良邸」またたびHP 
http://www.tokyoguide.net/spot/17/
★「いざという時に、役に立つかも!?電柱番号」科学技術研究所HP
http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/
kojimachi-050728denchu.html


(今年最後の独演会は十二月十三日昼、両四會館です)




| 2009.11.23 Monday (07:59) | 春のうららの墨田区 | - | - |
022 吉良さまにだって言い分はある・・でしょ


吉良様の菩提寺・華蔵寺の境内、御墓所の前にこの碑は置かれてます

吉良様の国許菩提寺の華蔵寺に久し振りに参拝した話しが続くンですが、まず前提として申しておかなきゃナラナイのは、歴史には「絶対的な見方・解釈が存在しない」ってコトですな。立場によって見方は当然変わります。

基本的に学校で教わるンは「勝った側からの歴史」でして、「負けた側からの歴史」ってぇのは教科書にまず出てこない。異聞が堂々と存在出来えンのは我々講談等の演芸と歴史小説。それに雑誌「ムー」と同人誌ぐらいでしょう。

「勝った側の歴史」ってぇのは、「イロイロと都合のイイ歴史」と言い換えてもイイのかも知ンない。勝った側からの歴史を語って聴かせる方がイロんな意味でとても楽でございまして、体制や風潮に逆らおうとすると大変なのよ。

ですが昔は「そんなンじゃ面白くねぇ」と幕府の方針に逆らって死罪になった講釈師が何人もいたンだそうですよ。いやぁ先輩たちは無鉄砲で素晴らしい、私メも見習わらなきゃ。もちろん政府転覆を志してませんよ、今ンところは・・。

     
こちらが吉良様のお墓でございます。東京中野のお墓よりも立派

だもんで上の写真の「真実を求めて」という碑文よりところどころ抜粋して、私ぁ敢えて吉良様側の言い分をまとめてみたいと思うンです。まず碑文は浅野の家来たちを「一か八かで吉良公を討ち取った」と定義しております。

そして吉良様を「評判の良い名君」と褒めて、「名君を暗殺した者を忠臣としたのでは武士道に反し、芝居に成らないので小説家・劇作者達が興味本位にいろいろの作り事をして、吉良様を極悪人にしたてた」としてます。

講談が名指しされてないンで一寸安心ですが、すっかり悪人扱いされてしまって吉良様からしたらさぞ悔しいコトでしょうな。ご心中お察し申し上げます。私メも高座の上で「こんなにやっちゃってイイのか」と反省してます。

不思議なのはこの華蔵寺の側に「花岳寺」というこれまた吉良家所縁のお寺があるンですが、敵方浅野家の国許赤穂の菩提寺が全く同じ名前の「花岳寺」というのは一体如何なる次第ナンでございましょうか、判らん・・。

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★次回は「東京都墨田区両国」への訪問記です★

(参考リンク)
★「吉良町では吉良さんは名君である」吉良町役場HP 
http://www.town.kira.lg.jp/pub/kyouiku/
sanninsyu/kirakou/index.htm

★尾張三十三観音巡礼の旅HP 
http://www.asahi-net.or.jp/~GI4K-IWS/sub44-28.html

(吉良町の三河湾のお魚は、瀬戸内のお魚と同じ種類が多かったです)




| 2009.11.21 Saturday (11:28) | 愛知三河においでん | - | - |
021 【お米料理01】どう考えたって浅野の方が悪い・・ような


吉良で買った愛知の郷土料理「箱寿司」。中身がズッシリ詰まってる

私ぁ講釈師というナンとも珍しい商売をもう二十年間近くして居りまして、持ちネタは若手としては随分多い方だろうと自認してるンですが、中でも多いのが「講談・赤穂義士伝」。つまりお芝居でいう「忠臣蔵」のお噂が多いンですよ。

赤穂義士伝は「本伝・銘々伝・外伝」と大きく三つに分かれてまして、まず元禄十四年春の「松ノ御廊下」から始まり、翌冬の「吉良邸討入り」、そして「義士切腹」迄のメインストーリーが本伝。銘々伝は赤穂四十七士のお話し。

また外伝は吉良家側ですとか、赤穂の脱走藩士。そして討入りの手伝いをした人ナンぞのお話しで、一番多かった頃で五〜六百席はお話しがあったらしいンですよ。今はそんなにございませんで、精々百五十席位ですかねぇ。

日本人の一番好きな「勧善懲悪」「因果応報」なお話しばかり。根本思想は「吉良が悪い、浅野は可哀相」という哲学でございまして、その哲学に則った「古典は上手く出来てるなぁ」と私ぁ高座上で感心する事しきりでございます。


吉良様の国許菩提寺「片岡山華蔵寺」。秋の陽が暮れていきます・・

ですが講釈師という立場を離れ、これまで集めた様々な資料をもとに冷静になって考えて見ますと、講釈師として絶対にコレは言ってはならぬコトなれど「浅野が悪い、吉良は可哀相」なんです。でもソレじゃ講談にならないのヨ。

確かに吉良様もやり過ぎたンでしょうが、どう考えても赤穂藩浅野家側はいわば「逆恨み」の感が強いンです。でも誰かをスケープゴートに仕立てる当時の必要が、我々の先輩かも知れないケド、誰かにあったンでしょうな。

吉良様は国許では名君だったそうでして、何年か前に「年賀葉書の切手」に使われた「吉良の赤馬」は、吉良様が領内見回りのときに乗っていた馬をモチーフにした伝統玩具。吉良家は足利将軍家の御三家に当たる大名門。

冬に成ると高座で義士伝を読む事が多くなりますンで、今回私メは吉良町の「華蔵寺」まで行きまして、取り敢えず吉良様のお墓にお詫び致しましたが、こりゃいつか「吉良様徹底弁護」の講談を私メも作らにゃ成らないような・・

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★次回も「愛知県吉良町」への訪問記です★

(参考リンク)
★吉良町観光協会HP 
http://www.town.kira.lg.jp/kanko/toppage/index.html
★吉良温泉観光組合HP
http://www.japan-net.ne.jp/~kira-spa/

(そういえばペンギン村のモデルって吉良町らしいねぇ)




| 2009.11.19 Thursday (10:54) | 愛知三河においでん | - | - |
020 【お魚料理01】浜田行き寝台特急と「赤天」


この赤っぽくて薄っぺらい物体が、浜田名物「赤天」ナンでございます

私メがまだ子供だった頃、東京と郷里・静岡市の往復に東海道線の急行「東海号」を何度か使いました。ミカン色の車体の東海号で夕方東京駅に着くと、お隣りのホームには青い車体の寝台特急が出発を待ってました。

もはや絶滅寸前の寝台特急列車、ブルートレインとか言われてましたねぇ。流石に東京・静岡間では夜行を使わないンで、子供ン頃は乗ったこたぁ有りませんでしたが、お隣りで出発を待ってたブルートレインは「出雲号」。

東海道線の他の寝台特急と違って、行き先が「浜田行き」とナゾでしてね。「瀬戸号」の「宇野行き」というのもナゾでしたが、「浜田って一体ドコだ?」とまだ穢れを知らない・知識も少ない、幼き日の私メには疑問だったンですヨ。

同じ浜でも横浜とか浜松とかは知ってたンですが、浜田は知りませんでねぇ。私ぁきっと九州の何処かに違いないと思い込んでたンですが、穢れるのに反比例して知識が増えるにつれて判りました。「そうか、浜田って山陰か」。

今回の山陰旅行の終点に選んだのが、その浜田。島根県西部、かつての石見国(いわみのくに)松平家六万一千石の城下町。中学ン時の同級生で石見(いしみ)という娘がおりましたが、字は一緒でも読み方が違うのね。

日本一周半の時に私ぁ初めて浜田を訪ねて大きな魚港だと知り、以来数回参りましたが、中々に好ましく感じられる街。日本海のお魚が安価で食べられる街。そして我々講釈師が根多本の書写に用いる「石州半紙」の故郷

今回は路地に入り込んでしまって正直迷ったンですが、その途中、宝殊院という初代藩主・古田家の菩提寺の前に「エビス」という一寸豪快な商売をする地元資本スーパーを見つけて、今回も結局楽しンでしまいました・・。

そのエビスで買ったのが、上に写真のある「赤天(あかてん)」。魚のすり身に唐辛子を練りこみ、パン粉を付けて揚げたピリ辛魚肉フライで中々に美味い。これからこの赤天が一気に来るような気がすンですが、どうでしょう皆さん?

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★次回は「愛知県吉良町」への訪問記です★

(参考リンク)
★浜田市観光協会公式HP
http://www.kankou-hamada.org/index.php
★「赤てんの江木」江木蒲鉾店HP 
http://www2.crosstalk.or.jp/akaten/index.html

(取りあえず、山陰根多は一旦これで読み終わり。また行きたいねぇ)




| 2009.11.17 Tuesday (00:08) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
019 【スイーツ01】ひょっとこ達の終わらない宴

可愛い可愛いひょっとこサン、これが山陰銘菓「どじょう掬いまんじゅう」

「法事用パン」のナゾを探りに、私メが安来市に行ったのは前回ご紹介したンですが、安来といえば御存知「安来節」です。勿論たたら製鉄やハガネの町としても有名ですが、あらエッサッサ!!やはり「どじょう掬い」の安来節です。

浅草の浪曲定席「木馬亭」の高座に、私メは講談ながらも時折上がらせて貰うンですがその二階。今は大衆演劇専門の小屋となってますが、実はココは元々あらエッサッサ!!安来節を年中やってた劇場だったンだそうです。

現在でも安来には安来節家元の先生が居られ、「安来節演芸館」を構えて後進の育成と普及に励んで居られるンですが、そちらに参って勉強するという殊勝な心構えを持たない私メでして、興味は別のモンに向かったンですよ。

ではナニに向かったか・・。それは上下に写真のある山陰銘菓「
どじょう掬いまんじゅう」にです。筑豊銘菓「ひよ子」と似たようなモノと考えれば早いンですが、「ひよ子」では背中の部分が、「どじょう」の方では顔になってる・・。


オリジナル以外にも、イロんな味がございますのよ。あらエッサッサ!!

この「ひよ子」的なお菓子って、方々にありますよねぇ。むかし東京にもロバ製菓の「ぽんぽこ」という、「ひよ子」的なお菓子がありました。ロバ製菓はバブル期に本業以外のコトに手を出して倒産し、消滅してしまいましたが。

「うなぎパイ」的な「元気なお菓子 どじょうパイ」を同じ会社が出してますが、この「どじょう掬いまんじゅう」の材料には、残念乍ら泥鰌は入っていないようですねぇ。オリジナルの白餡あじ以外にも、イロんな味があるらしい。

島根県と鳥取県が固く手を結び、山陰の「イイトコだけ」を集めた「20世紀梨あん」まで有りまして、むしろ「ひよ子」よりも美味しかったような・・。その他信玄餅的な「大風呂敷」や、温泉饅頭的な「ふろしき饅頭」も有りました・・。

ウチの嫁さんはどうやら泥鰌を食べたコトが無かったようでして、宍道湖の水都・松江で山陰の海の幸と共に「泥鰌のから揚げ」を食べたンですが、嫁さんは「泥鰌の祟り」に遭ったらしく、食い過ぎで苦しんでおりましたとさ。

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★次回は「島根県浜田市」への訪問記です★

(参考リンク)
★中浦食品株式会社HP 
http://www.nakaura-f.co.jp/meika.html
★山陰海鮮「炉端かば」HP 
http://www.robata-kaba.jp/

(もう一回くらい、山陰根多が続きそう)



| 2009.11.15 Sunday (10:12) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
018 【名物パン01】やっぱ法事はパンじゃないと!!

        
松江城まえの「島根ふるさと館」内にコレが掲げて有りました。予約制

山陰旅行の話はまだ続くのでありますよ。島根県の東端の安来市内を通行中に、私ぁ「法事用パン」というフシギな看板に気が付いたンですよ。「法事」というのは、つまり「お葬式」とか「何周忌」だとかの仏事のコトだよなぁ・・。

その法事とパンがどういう繋がりがあるンだろうか。ひょっとしたらこのパンというのは私メが知っているBreadじゃなく、山陰独特の違うモノなのかしらン。でもあの看板があったのは、どうみてもBreadの方のパン屋だったけど・・。

頭ん中すっかり「?」だらけに成りながら、私メが向かったのは安来駅。私ぁ知らない町に行った時は、だいたい駅へ行くんです。何しろ駅はどんな地図にも載ってますし、駅にはまず観光地図が有りますし、WCも有りますし・・。

安来駅は随分と洒落た、新しめの木製の建物。横に無料の駐車場が有りましたンで私ぁソコに車を停め、構内に入ると観光案内所がございます。こいつぁ幸先がイイ!!ならばココで、ナゾの「法事用パン」を聞いてみよう・・。

案内所のお姉ちゃんは、「山陰では法事の時にお土産()として、パンが出る」と仰る。「東京では法事の時に、紅白饅頭が出るんでしょ」と逆質問されましたが、私ぁこれまでに法事に行って、饅頭貰ったコトあったっけ・・。

確か紅白饅頭というのは、御目出度い時に貰ったような気がするンですが。でも地域の違い・文化の違いでして、これを笑っちゃいけませんよ。郷に入ったら郷に従うのが日本人のメンタリティーの筈。ホント面白いねぇ・・。

どういう次第なのか判りませんが、山陰では法事に行くと「大きなあんパン」みたいノが出るのが当り前の様ですなぁ。ところが上の写真には、「各種パン詰合せ」「箱入り食パン」「あんパン」「クリームパン」など、と書いてある・・。

「各種パン詰合せ」って、完全に饅頭と同じ扱いでございますな。但しコレは事前の予約が必要のようでして、実物を見るコトは出来ませんでした、残念。でも「箱入り食パン」って、一体どんなモノなんでございましょうか。ナゾだ・・。

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★次回も「島根県安来市」への訪問記です★

(参考リンク)
★「島根県やすぎ観光サイト」安来市役所商工観光課HP 
http://www.city.yasugi.shimane.jp/kanko/
★島根県物産観光館HP
http://www.shimane-bussan.or.jp/

(まだまだ山陰根多は続きますよ)




| 2009.11.13 Friday (13:17) | 島根が左・鳥取が右 | - | - |
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