総選挙前に言われてた通りに成りつつ有る現状、如何お過ごしですか
30日更新 399 2010年11月の目次
30日更新 398 【スナック03】相生の「うまいか」はうまいのか?
29日更新 397 【スイーツ15】むかし、上野に巨大なお寺が在った
28日更新 396 【麺類色々20】嗚呼忠臣、上野に眠る・・彰義隊の御墓所
27日更新 395 なぞの金曜日 第596回放送
26日更新 394 【団子饅頭15】埼玉・名栗川になぐりこみ
25日更新 393 三蔵法師のお墓は「なぜか埼玉」
24日更新 392 【お米料理22】再訪、のれんの街・美作勝山へ
23日更新 391 【名物パン33】久世町で懐旧!三丁目の夕陽だ
22日更新 390 【名物パン32】新見の秋は土下座に暮れたらしい
21日更新 389 【団子饅頭14】東城町は「お通り」で花に包まれてたらしい
20日更新 388 なぞの金曜日 第595回放送
19日更新 387 【煎餅お餅07】つばさ号新庄行き/ワンダートリップ
18日更新 386 【保存食品12】尾花沢に来たヨ、スイカの名産地
17日更新 385 【野菜果物16】山形じゃ「あけび」は野菜である
16日更新 384 【揚げモン09】努力して苦労して頑張って・・ in 山形
15日更新 383 【保存食品11】蔵王の麓の小さな城下町・・上山
14日更新 382 【麺類色々19】小十郎はうーめんを食べたのか?
13日更新 381 なぞの金曜日 第593回/第594回放送
12日更新 380 【揚げモン08】物持ちの良い街・・群馬・富岡
11日更新 379 【お米料理21】駿河大納言さま最期の地‥高崎
10日更新 378 【粉なモン06】伊勢崎で「いかパン」は怒ってるらしい
09日更新 377 【名物パン31】ザ・ルーツ・・徳川家の場合[世良田篇]
08日更新 376 【お魚料理20】カッパとの激しい闘い in 遠野
07日更新 375 【名物パン30】今年は遠野物語百周年・・らしい
06日更新 374 【名物パン29】盛岡・緑の街に舞い降りて
05日更新 373 【野菜果物15】不来方のお城の中をブラついて・・
04日更新 372 【団子饅頭13】八幡平は雲の絨毯の上!
03日更新 371 電波は来ぬ来ぬドコモまでも・・玉川温泉
02日更新 370 【野菜果物14】ディスカバージャパンだ!角館
01日更新 369 【呑みモン10】秋田の静かな街に清水は今日も湧く
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2010年11月は、以上 31本の記事を掲載いたしました。
毎日更新はま〜だまだまだ続きますヨ、ご期待下さいませ。
何だか川の様に見えますがコレは相生湾。歴とした海ナンだソウですヨ
以前、三重県の県庁所在地・津市のローマ字表記は「Z」の一文字らしいとご紹介致しましたが、他にも一文字表示の町が在ってギネスブックに載ってたらしい。地理好きとしては、そんな話しを聞くとつい現地に出掛けたく成る。
ソレはかつて「O」の一文字だったらしい兵庫・相生市。只今は「あいおい」と読みますが、市に成る前は同じ漢字で「おぉ」と読んでた時期が有ったンだってサ。但し「見て来た様な・・」講釈師の言う事だから、決して吹聴せん様に。
「あいおい」と云う名前自体は、とてもお目出度い言葉ですナ。同じ根っ子から生えて、絡み合った松の事を「相老の松」ナンぞと言ったりしますが、この街のご夫婦が相老かどうかは判りません。第一、地名の由来は違うらしい。
山陽新幹線の駅が在る街で、義士伝取材で赤穂へ行く時は、ココで乗り換えなけりゃ成らない。でも改札から出た事は無く、今回やっとブラブラして参りました。どうもノンビリした街の様で、新幹線の駅前と云うのに人は居らん。
この街で開発された揚げスルメ「うまいか」。もう一つは魚摺身のフライ
「IHI」と云う社名に成った石川島播磨重工の前身の一つ、播磨造船所はココが発祥地。造船大国だった頃は、さぞかし賑やかな街だったンでしょうナ。只今も造船してるソウですが、むしろボイラーやプラント装置の方が主力だとか。
中心街を目指し、取り敢えずブラブラ海の方へ。実はお目当てが有りまして、私ぁソコへ行きたいのヨ。そのお目当ては「湊水産」と云う会社。以前、東京・銀座の高そうなお店に連れてって貰った時、肴として出たのが「うまいか」。
綺麗なお姐サン方が大勢居らっしゃるお店で、こんな私メを某氏は歓待して下さった訳ですが、私ぁお姐サン方よりも食い物の方が好き!てぇ野郎ですンで(別にお姐サン方に興味が無い訳じゃねぇが)、「うまいか」に興味津々。
スルメ烏賊を揚げたお菓子でして、その発祥は兵庫・相生市とのコト。ですが東京で見かける事は無く、また食いたいと云う思いは募るばかり。街中は程好く寂れてましたが、うまいか屋だけは賑やかで、潮の香りが爽やかでした。
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★明日は「兵庫県赤穂市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「相生大図鑑WEB」相生市観光協会HP
http://aioikanko.jp/
★「西播磨観光スポット・相生市」西はりま遊記HP
http://www.nishiharima.jp/contents/area/aioi.html
★「素材の味を大切にしています・うまいか」湊水産HP
http://www.minato-umaika.com/
(大きく栄えた企業城下町は、何処でも大胆な構造改革は難しい様ですナ)
造船業で長崎から大勢が移って来る→長崎懐しでペーロン大会だって
現在の寛永寺本堂(根本中堂)。埼玉・川越の喜多院本堂を移築したモノ
約四百年前、一人の怪僧が江戸幕府に仕えて居た。この坊サンが暗躍したお陰で、幕府は天下泰平を保てたと言える位。余りに怪し過ぎるので朝廷より「慈眼大師」号を贈られてますが、その怪僧の名は「南光坊天海大僧正」。
何しろ何者だったか未だに良く判らない。東北会津の名族・葦名家の出と云う説が有力ですが、足利将軍の御落胤だったとか、「本能寺の変」の明智光秀公の変化した姿だったとか、イロイロ説は有るけれど前半生は殆ど不詳。
判ってるのは、埼玉・川越の喜多院と云うお寺の住職だった時に、ソコを訪れた徳川家康公と初対面なのに、まるで古い友人の様に親しげに話をし、以来凄ぶる気に入られ重用されたと云う事。ちなみに百八歳で亡くなったそうナ。
天海大僧正は幕府の宗教顧問と成り、江戸城の北々東の「上野のお山」にお寺を作って貰った。そのお寺の名は「東叡山寛永寺」。天台宗関東総本山にして、往時は京都の比叡山延暦寺を凌ぐ権威を得た、極めて大きなお寺。
八代の吉宗公を初め、六人の将軍様の御霊廟も国博裏に残ってます。
だった・・ンです。東京国立博物館や国立科学博物館、西洋美術館等の錚々たる大博物館や上野動物園や東京芸大の在る「上野のお山」全てが、寛永寺だったンです。ちなみに大噴水は御本堂の「根本中堂」の建ってた場所。
ソレに国立博物館は、本坊跡地に建ってます。この「上野のお山」は寛永寺本体のみならず、子院が三十六も集まってまして、怪僧・天海大僧正が築いたのに相応しい「江戸幕府の祈願寺」だったンです。寺域は三十万坪以上!
処が昨日ご案内の彰義隊の方々が、上野戦争でこのお寺に立て篭もった。そして本郷の加賀藩邸から撃って来た大砲で、お寺は無残に焼き払われた。本坊や根本中堂の銅瓦が焼けた、青い炎が綺麗だったと私ぁ聞いてます。
お山の殆どは敗戦後接収されますが、焼け残った子院の一つ「大慈院」が寺名を継承し、辛うじて寛永寺は生き残った。この大慈院は「最後の将軍」徳川慶喜公が謹慎して居られたお寺でして、国立博物館裏に今でも在るンです。
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★明日は「兵庫県相生市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「天台宗関東総本山」東叡山寛永寺HP
http://kaneiji.jp/
★「上野恩賜公園」東京都建設局HP
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/index_top.html
★「南光坊天海」大阪の陣絵巻HP
http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/sonota/s-nankobo.html
★「おしどりミルクケーキ」日本製乳HP
http://www.sm.rim.or.jp/~mn01-nsn/
(慶喜公が謹慎して居られた「葵の間」、はとバスの仕事で何度行ったやら)
先日ご報告済みの、「山形で見つけた不思議なモン」の残りを御紹介。山形と云えば「おしどりのミルクケーキ」、チョット硬いけど美味いねぇ。
幕臣の意地を見せて下さった、我らが彰義隊の御墓。上野の山に建つ
明治の初年頃、庶民の間で「会津悪るない、薩摩が悪い。加賀の二股なお悪い」と云う言葉が流行ったンだソウですヨ。無論コレは戊辰戦争で破れた側で流布されてたモンなんですが、当時の政治状況を良く現してると思えますネ。
俗に「薩長土肥」と維新を起こした側のコトを現します。鹿児島の薩摩藩・山口の長州藩・高知の土佐藩・肥前の佐賀藩、この四つの藩が主体と成って京都の天皇家を崇め立て、江戸の徳川将軍家から政権を奪い取った訳ですナ。
特に薩長の両藩が中心ですが、我々「将軍家バンサーイ!」勢力からすれば同じ敵でもその度合に違いがございますヨ。ソレが冒頭の言葉と成る訳です。福島の会津藩は幕府の盾と成って働いたンだから、天晴見事だ良くやった。
長州藩は終始一貫して敵だったンだから、こりゃ仕方無い。筋が通ってるから褒めるしか無いでしょ。問題は途中から裏切った連中ですナ。薩摩藩は最初幕府側だったのに、「途中から敵に成った」ンで江戸じゃ嫌われた嫌われた。
上野のお山から上野駅舎の方向を。右のビルは東京メトロの本社です
しかも薩摩藩は江戸市中で、敵に成った途端に犯罪集団と化して暴れ捲くったンで、江戸っ子達は薩摩を憎んだ。未だにソレは尾を引いてますナ、ロシアに対する日本人の感情に良く似てる。だが一番憎まれたのは薩摩じゃ無い。
あの赤門の在る東京大学・本郷キャンパスは、かつての加賀百万石・前田家の江戸上屋敷の跡。この東大の在る本郷台地の東側、不忍池を挟んだお向かいに、通称「上野のお山」コト、上野忍ヶ岡と云う低い丘陵がございますヨ。
ココはかつて「東叡山寛永寺」と云う将軍家の祈願寺がございまして、江戸城が無血開城した後、収まりの付かない幕臣の方々が寛永寺に立て篭もり、薩長に敵対した。江戸っ子の意地と気風を見せ付けた、所謂「彰義隊」ですネ。
勝ち目も無いのに彰義隊は江戸前に闘い、無残に敗れ去ったンですが、ソレは加賀邸から打ち込まれた大砲の為。「加賀は二股掛けてやっぱり裏切りやがった」と、江戸っ子はこの「火事場泥棒的行為」を卑怯と憎んだらしいです。
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★明日は「東京都台東区の東叡山寛永寺」への訪問記です★
(参考リンク)
★「彰義隊の墓」上野公園へ行こう!ブログ
http://uenopark.blog106.fc2.com/blog-category-20.html
★「彰義隊の墓」写真紀行・旅おりおりHP
http://www.uchiyama.info/oriori/shiseki/bochi/syougi/
★「上野戦争」歴史の現場HP
http://homepage3.nifty.com/rekigen/uenosenso/uenosenso.html
★「上野戦争」維新の志士たちHP
http://jpco.sakura.ne.jp/shishitati1/kou-moku-tougou1/kou-moku31/kou-moku31a0.htm
(実際は加賀藩が撃った訳じゃ無く、佐賀藩がソコから撃ったらしいンですが)
先日ご報告済みの、「山形で見つけた不思議なモン」の残りを御紹介。甘いみたらしの掛かった「あんかけそうめん」、具は鮭(!)と卵でした。
JR吹上駅ロータリーのモニュメントの裏側は、こんな風に成ってます。
ご縁有って平成十一年春より毎週金曜日のお昼、埼玉県鴻巣市のコミュニティーFM放送局「フラワーラジオ」で、二時間の生番組を担当させて貰ってます。「継続は力」でして、気付けば同局で最長寿の番組に成りました・・。
FM鴻巣フラワーラジオ★こうのすフラワータイムなぞの金曜日
2010/11/26(金)12:00〜14:00 第596回放送
いよいよ霜月の最終週末ですネ、そして来週半ばから遂に師走に突入。全くオッサンに成ると月日の流れは速過ぎでして、つい先日まで夏だった様な感じがするンですが・・。残り僅かな今年を精一杯有意義に過したいモンです。
選曲テーマ 「毎日ご利用の方も多いでしょう・・駅・ステーションな唄」
1曲目:角松 敏生/この駅から
2曲目:野田 幹子/この駅から
3曲目:来生 たかお/遠 い 駅
4曲目:辛島美登里/夕 映 え (今月の唄として)
5曲目:竹内 まりや/ 駅
6曲目:池田 聡/あの日の駅
7曲目:平松 愛理/朝のホームで
8曲目:渥美 清/駅 弁 唱 歌
9曲目:さだ まさし/驛 舎
来週は放送を終えると直ちに東京にトンボ帰りして、今年最後の独演会「鯉風堂々15」の高座に臨まにゃなりません。今週はのんびり放送出来ましたが、来週は大変だナ・・。どうか皆様ご来場下さいませ、お待ちして居ります。
[番組で読んだ、今週の世界のヘンなニュース]
アフリカ・マラウイ共和国発のニュース。アフリカの最貧国マラウイで、「国民の老後を安心なモノ」とさせる為に導入検討中の「公的年金制度」が、国民からの反発を招いて居るそうナ。何せ支給開始年齢が平均寿命より上だから。
長年の経済停滞やエイズ等の感染拡大の影響で、同国の平均寿命は僅か五十三歳(!)程度。処がこの制度案では、年金の支給開始年齢は「男六十歳、女五十五歳」とされて居り、半数以上が生きて受給出来そうも無い・・。
ソレじゃワシらの殆どは掛け金だけ取られて年金が貰えンじゃねぇか!「詐欺同然」と大反発。「四十五歳から年金を出せ!」と騒いでるソウですが、政府側は「コレより下げると年金制度が破綻する」と応じるかドウかは未定の様。
ソレでも「年金の必要性」だけはマラウイじゃ理解されてるソウですが、翻って我等ニッポンの年金制度はドウなんでしょうネ。あの阿呆共が政権取ってから、益々「詐欺同然のモン」に成ってく様な気がする・・そんな私ら世代です。
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★明日は「東京都台東区の上野公園」への訪問記です★
(参考リンク)
★フラワーコミュニティ放送HP
http://www.fm767.com/top.html
★「全国のコミュニティFMがインターネットで聞けます」サイマルラジオ
http://www.simulradio.jp/
(サイマルラジオ経由で、全世界から生放送が聞けますンで珠にはどうぞ)
名栗川沿いの渓谷は、今ちょうど「燃える秋」。紅葉狩りを楽しめました
大相撲に「入間川(いるまがわ)」と云う親方名跡が有ります。元関脇「栃司」関が十六代目の現親方ですが、この川は江戸のド真ん中を流れてた川。只今「隅田川」と言う川がソレでして、上流域だけ「入間川」として残ってます。
関東を代表する大河に「利根川」と「荒川」が有ります。この両大河は現在別個に流れてますが、かつては合流してた時期が在った。別個でさえ物騒なのに、合流してると洪水に成る事が夥しく、治世者や住民はいつも悩まされた。
ソコで江戸幕府は河川大改修に挑んだ。まず江戸湾に注いでた利根川を千葉・銚子市へバイパスで逃した。その名残りが今の江戸川で、この結果千葉県は日本最大の島に成った(ソウなのヨ)。次いで幕府は荒川も付け替えた。
ソレは入間川の中・下流域を活用拡大したモノで、この為に入間川は直接海まで達しなく成っちまった。ソレでも荒川の危険は去らず、明治に成って更なるバイパスを掘り、元の入間川下流域が「隅田川」として独立したンですナ。
埼玉・飯能の名物「四里餅(しりもち)」。出来立てナンで延び〜る延びる
江戸で火事が起こる度に、材木商人は入間川の最上流域へと走ります。ソコは「名栗(なぐり)川」の別名を持つ、江戸近郊の林業産地としては最も近い場所。数年前まで埼玉・名栗村でしたが、今は合併して飯能(はんのう)市に。
名栗村や周辺の山々から切り出された杉やら檜やらは、江戸の西の方から筏で川を運ばれた材木だから、通称「西川材」。江戸そして東京が危機に成る度に、西川材で街は救われた。江戸っ子一同は感謝しなきゃイケねぇヨ。
私ぁこの名栗村や飯能市から程近い、同じ埼玉・所沢市にも住んでた事が在りまして、その頃は気軽なツーリングやバーベーキューするトコとして好く来てたンですが、ソウか!そんな由緒ある渓谷だったとは全く知りませんでした。
この入間川が名栗川と呼ばれる最上流域の四里(約十六キロ)間は、筏で木材を運ぶには厳しい渓流区間。今はトラックで運ぶンで筏師の叫び声は聞こえませんが、代わりに川沿いで燃える紅葉を愛でて歓ぶ声が聞こえました。
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★明日は「なぞの金曜日 第596回放送」の記録です★
(参考リンク)
★「ハイキングのまち」飯能市役所HP
http://www.city.hanno.saitama.jp/syoukoukankou/kankou/
★「自然の美術館・飯能市なぐり」飯能観光協会名栗支部HP
http://nagurikankou.com/
★「西川材情報発信基地」フォレスト西川HP
http://www.forest-nishikawa.com/
★「さいたまごころ・四里餅」NHKさいたま放送局HP
http://www.nhk.or.jp/saitama/kokoro/06/p5.html
★「飯能名物・味噌付き饅頭」飯能市役所HP
http://www.city.hanno.saitama.jp/syoukoukankou/kankou/meibutsu/misozukemanjyuu.html
(東京・池袋から西武鉄道の特急に乗って飯能まで約四十分。意外に近い)
「味噌つき饅頭」。飯能は変なモンを作らないで、コレを売り出すべきだ
岩槻・慈恩寺の境内外苑に在る「玄奘塔」。奥の石塔の下にお骨が・・
俗に「中国三大小説」と言われる物語が在る。ソレは我々日本人に御馴染みの「三国志」「水滸伝」「西遊記」の三つの小説ナンですが、中でも一番御馴染みなのは「西遊記」でございましょう。孫悟空や三蔵法師の出て来るお噺。
人によってイメージは違うンでしょうが、私メの嫁サンは三蔵法師と云えば故「夏目雅子」サンを思い浮かべるンだソウですヨ。処が私メはソウじゃ無い!私メの思う三蔵法師は、こりゃ故「いかりや長介」サン以外は絶対に居らん。
「飛べ!孫悟空」と云う人形劇が三十数年前(!)に有りまして、ソレはTBS系で全国に放映されてた物ナンですが、声の出演は当時人気絶頂のザ・ドリフターズ。そして一番偉い三蔵法師役は当然、リーダーのいかりやサンです。
孫悟空は志村けん丈、沙悟浄は仲本工事丈、猪八戒は高木ブー丈。そして加藤茶丈は「カトちゃん」と云う謎のオッサン役でした。このイメージが強過ぎて、私ぁ偶に高座で西遊記を読みますと、思わず笑みがこぼれちまうのヨ・・。
玄奘三蔵法師像。曇天だったンで画像処理したら、葉の色がエライ事に
三蔵法師こと玄奘(げんじょう)陳褘は、千四百年ほど前の中国に実在したお坊サン。三蔵とは「経蔵」「律蔵」「論蔵」の仏教の三大聖典に通じた偉い僧と云う称号で、日本人でも一人だけ三蔵の正式称号を得た僧が居たりする。
玄奘三蔵法師がインドまで、新たな仏教経文を学びに行った記録を基に、講釈師張りに面白おかしく適当に小説化したのが「西遊記」。ありゃ殆ど作り事ですヨ、事実なのは玄奘三蔵が旅をしたと云う事だけ。お間違えの無い様に。
その玄奘三蔵法師の「お骨の一部」がナゼか埼玉県に在ると聞き、私メはさいたま市岩槻区まで参ったンでございます。どうやら同区と隣りの春日部市との境に位置する、華林山慈恩寺(じおんじ)と云う古いお寺サンに在るらしい。
詳しい事情はお寺のHPを見て貰うとして、境内外苑に設けられた石塔を拝む内に、やはり私ぁいかりやサンの三蔵法師を思い出してしまいましたが、コレ程エライお方のお墓がまさかこんな処(失礼)に在っただナンて・・、驚いたナ。
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★明日は「埼玉県飯能市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「玄奘三蔵法師の霊骨奉安」華林山最上院慈恩寺HP
http://www.jionji.com/
★「玄奘三蔵の生涯」奈良薬師寺HP
http://www.nara-yakushiji.com/guide/genjyosanzo.html
★「飛べ!孫悟空」ULTRA HAPPY BLOG ブログ
http://pub.ne.jp/waka35/?entry_id=1017193
★「春日部銘菓・羽子板最中」菓匠ちぐさHP
http://kazma21net.cool.ne.jp/chigusa/
(三蔵法師のお骨が日本へ渡る事に成った経緯は、如何にも日本人的です)
岩槻市は雛人形の産地ですが、隣りの春日部市は羽子板だソウで・・
岡山県の大河・旭川沿いに佇む勝山のご城下。イイ雰囲気の街だなぁ
周囲に唆されて昨秋始めたこのブログ旅日記。「夢中に成るとトコトンやる」と云う悪癖の所為か?何時の間にか毎日更新に成りまして、未だにソレが続いて居ります。この悪癖を自覚してますンで、ゲームもギャンブルもしないのに。
大して宣伝もしないのに、少しずつご覧戴く方も増えて来た様で、私ぁソレを励みに勝手な御託を書き連ねてますが、どうやら人気の記事が在る様です。ソレは昨年の今頃書いた「岡山・真庭市勝山町」のコト。有難うございます。
山陰地方を旅した時、ソコへ到る途中に何気無く寄った勝山町。ソレまで知らなかった街なのに思いの他素晴らしく、多少気合を入れて書いたから存外ご覧戴けてる様ですが、そう成ると私ぁ行きたく成ってしまった。で、再訪を・・。
以前「鳥人幸吉」と云う、世界史上初めて翼で空を飛んだ岡山の人の話を講談化したコトがございましたが、その幸吉が始めて飛んだのは、岡山城下の「京橋」と云う旭川に架かる橋の上。その旭川の上流が真庭市勝山町です。
三浦氏・二万三千石の城下町。「暖簾のかかる町並み」が残ってます
旭川を通って、かつてはココまで高瀬舟が上がって来て居たソウな・・。
前回は何の前知識も無く、ただ薄ボンヤリと歩いたンですが、今回は多少の前知識を持ってやっぱり薄ボンヤリと散策させて貰いました。東海道や山陽道と云ったメインと成る国土軸から外れた、中国山地に在る小さな城下町。
「戦後最低の宰相」ルーピー鳩山氏のご先祖様は、勝山藩の江戸留守居役だったソウで、前回訪問時はソレに因んだ記事が方々に飾られてましたが、今回は見当たりません。でもソレ以外は一日千秋の如く、変わらぬ雰囲気。
毎年取り替えるのか?街並みの家々の軒先に飾られた「のれん」は爽やかで美しく、その家が何の御商売なのかさり気無く教えて呉れてます。街並みを流れる用水路の水はドコ迄も清らかで、何だか時間を忘れてしまいそうナ。
ココが東京の近くだったら、結構な観光地に成ってた筈なのにと前回思ったンですが、いや東京の近くだったら多分ヘンな街に成ってた筈で、この静かな気配は保てなかったろうと、美作名物「鯖ずし」を食べ乍ら思った私メでした。
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★明日は「埼玉県岩槻市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「まにわへいこう」岡山県・真庭観光連盟HP
http://www.e-maniwa.net/
★「勝山・町並み保存地区」岡山県ホンダカーズ販売店総合サイトHP
http://okayamaken-hondacars.jp/spot/index.php?c=spot_view&pk=1268379018
★「鯖ずし」5代目見習いの蔵出し日記・ブログ
http://kohnojyouzou.blog81.fc2.com/blog-entry-5.html
(関連する記事)
★「013 美作勝山、のれん揺れる城下町」
http://rifuh.jugem.jp/?day=20091103
(ココはホント素敵な雰囲気の町並みですヨ。私ぁまた行きたいモンですゼ)
美作では秋に成ると、お酢で〆た鯖を使い押し寿司を作って来たそうナ
国の重文、久世町「旧遷喬尋常小学校」。数年前まで現役だったらしい
さて中国自動車道沿いの小都市を巡る、ブラブラ散歩はまだ続きます。次いで参りましたのは数年前に合併して真庭市に成った、岡山県北部の久世(くせ)町と云うトコ。私ぁココを昨年も訪ねた、と云うより通り逃げた事が有る。
私ぁ昨秋フラッとココら辺に参りまして、中国道の落合ICから鳥取・倉吉市方面へと通ったンですが、その時に殆ど廃墟同然のSCが在って驚いた。メインテナントが抜けた・・直後らしく、残りの店が薄暗い灯りの中で営業してた。
来ちゃいけない場所に入っちまった様な焦燥を覚え、大慌てで何気無い顔を取り繕って逃げ出したンですが、以来気に成って仕方が無かった。あのSCはアレから一体ドウ成ったンだろう?流石にあの儘と云う事は無かろうが・・。
東京に居るとそんな情報の入って来る筈も無く、良からぬ妄想ばかり抱いて居ったンですが、コリャ体に良くないし頭髪はドンドン抜けてしまう。禿頭化防止の為に見に行こう!てな訳で、再度訪ねた訳でございますナ。・・暇だね。
旧遷喬尋常小学校の二階内部。そうそうこの感じ、懐かしい黴臭さ!
処がドッコイ見付からない。アレは夢か幻か?いやいや現実だった筈だが見付からないとはドウ云う事か?確かこの交差点の筈ナンだけど。昨秋見た廃墟の様なSCの建物は・・、建て替えられて綺麗なスーパーに成ってました。
あぁ良かった、コレでもう魘されなくて済む。地元の人にとって、恐らく便利な方向に解決されたみたいだ・・。尤も一度として魘された事は無いンですけどネ。ですがあまり綺麗過ぎますンで、ソコは優雅に通過する事と致しましょう。
そして参りましたのは「旧遷喬尋常小学校」。国道沿いに建つこの校舎はホント自然な形で、元校庭ごと市民に供されてまして、出入りは自由。素晴らしい!古い学校建築は大抵フェンスに囲まれて、資料館化されられてるのに。
小学校低学年を、静岡市立安東小学校の木造校舎で過した私メ。あの頃は掃除するのが面倒!としか思ってませんでしたが、今に成ってみると懐かしくて懐かしくて・・。思わず涙が浮かんでしまった私メは、立派なオッサンです。
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★明日は「岡山県真庭市勝山町」への再訪記です★
(参考リンク)
★「久世地域観光情報」真庭市役所HP
http://www.city.maniwa.lg.jp/html/kuse/
★「旧遷喬尋常小学校」久世エスパスランドHP
http://kuse-espace.jp/senkyou/senkyou.html
★「フジタのパン・洋菓子」らんランチ・ブログ
http://yaplog.jp/lunlunch2/archive/743
(映画「三丁目の夕陽」の撮影にも使われたらしいです。ホント素晴らしい!)
津山市の藤田製パンの、懐かしい感じのパッケージ。久世で見付けた
新見駅前に建つ、新見名物「土下座祭り」のモニュメント。土下座って
昨日ご紹介の広島・庄原市東城町に続いて参りましたのは、お隣りの岡山・新見(にいみ)市。以前は間に幾つか町が在った筈ですが、平成大合併で整理されちゃった様です。果たして良かったのか悪かったのか?判り易いけど。
どうも広島県東部地方(旧備後)は、お隣りの岡山県西部(旧備中)と親しい様です。例えば嫁サンの実家の有る備後の中心・福山市は、県境を超越して岡山県の笠岡市・井原市等と、どうやら独自の経済圏を作ってるみたいです。
何しろココら辺一帯は、遥か昔は同じ「吉備(きび)国」。大き過ぎるンで備前(岡山東部)・備中(岡山西部)・備後(広島東部)・美作(みまさか、岡山北部)に四分割された訳で、言葉も文化も似通ってるらしいのヨ。確かにソウ思う。
聞いた話では東城町は庄原市より、県境を越した新見市との方が交流が深かった様で、越県合併を目指そうと云う動きも有ったとのコト。成る程、東城町のスーパーで見付けた「地元のパン」は、新見市の会社のモンだったねぇ。
新見市御殿町の元料亭横の路地「三味線横丁」。昼間だと風情が・・ネ
ソレは「井上風月堂」と云う、新見の会社。う〜む、イイ名前だナ。風月堂って全国に在るけれど、ソレと何か関係が有るンだろうか?ならば行ってみようと新見まで足を伸ばしたンですが、製造と卸しだけでお店はやって無いらしい。
むしろ期待して居なかった(失礼)、旧中心街の御殿町界隈。そうか、新見も全国の古い街に良く有る様に、駅は遥か街外れナンだ。だから以前来た時、駅周辺だけブラブラ動いてココは大したコト無い、と私ぁ判断しちゃったンだ。
ココは人口三万人強の小さな町。かつては関家一万八千石の陣屋町で、その陣屋の在った城山(と云う程大きな山じゃ無いですが)の麓が御殿町界隈。ソレなりに古い街が残ってまして、ココを舞台に行われたのが「土下座祭り」。
藩主の御国入り行列を再現した、三百年以上続く大祭だソウですが、ソレにしても凄い名前!「備北の奇祭」とも名乗ってる様ですが、ソリャ奇祭でしょ。ちなみに土下座の必要は無く、腰を下ろして行列を迎えれば良いらしいです。
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★明日は「岡山県真庭市久世町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「にいみへおいでんせぇー」新見市観光協会HP
http://www.niimi.or.jp/kankokyokai/
★「土下座まつり」新見市観光協会HP
http://www.niimi.or.jp/kankokyokai/parts/dogeza.html
★「新見・井上風月堂」HP
http://ww1.tiki.ne.jp/~inoueken/
(新見みたいな谷間に在る古い街って、訪ねてみるとナンか良いですねぇ。)
「カタパン」はビスケットです。そして「ゴールドブレッド」は曲者でして