遂に衆議院が解散し三年半ぶりの総選挙と成りましたが、害悪しか無かった民主党政権。その報いを受けてきっと大惨敗を喫するでしょうが、一番許せないのは解散前後に民主党から脱走し、第三極だの無所属だのと言ってる「もと民主党員」でございますナ。お気を付け下さいませ
30日 1169 2012年11月の目次
30日 1168 【お魚料理67】「氏神様」大量入荷致しました
29日 1167 【歴代宰相06】ちょい悪オヤジ「オレ達の太郎!」‥麻生町
28日 1166 【野菜果物42】桃太郎伝説と「ピーナッツ豆腐」‥総社
27日 1165 【名物パン93】総社市の「總社」と「上あんぱん」
26日 1164 【名物パン92】津山城と「カスタードクリームロール」
25日 1163 【お魚料理66】歴史溢れる鞆の浦で「柿天」を
24日 1162 【名物パン91】高潮溢れる鞆の浦で「アブラパン」を
24日 1161 追悼!女のみち by ぴんからトリオ
23日 1160 【スイーツ66】倉敷美観地区で名物「むらすずめ」
22日 1159 【麺類色々77】「ぶっかけうどん」の発祥地は倉敷
21日 1158 【お米料理76】うだつの町で「そば米雑炊」を‥脇町
20日 1157 【麺類色々76】栗林公園でも「讃岐うどん」をツルツルと
19日 1156 【麺類色々75】うどん県のうどん駅は海の前
18日 1155 【やきそば101】大阪最古の町と「カミショクの焼そば」‥平野区
17日 1154 【お魚料理65】大阪最大の区・平野で「焼きかまぼこ」
16日 1153 【国内で海外旅行08】チャイナとコリアとアメリカと‥川崎
15日 1152 【やきそば100】珍来!謎の板橋グループ2
14日 1151 【麺類色々74】荒廃した駅跡と「ナポリミート」‥鉾田
13日 1150 【焼きそば99】「那珂湊焼きそば」と古いディーゼルカー
12日 1149 【スナック14】カルビーの地域限定ポテチ&えびせん
11日 1148 【麺類色々73】寒い日は「名古屋名物カレー煮込うどん」
10日 1147 【比較研究09】あさげ・ひるげ・ゆうげ
10日 1146 部屋とYシャツと私 by 平松愛理
09日 1145 【やきそば98】「鳥やきそば」と水沢観音‥渋川
08日 1144 【名物パン90】天狗と紅葉と「みそパン」と‥沼田
07日 1143 【団子饅頭47】紅葉の奥四万湖と「春日饅頭」
06日 1142 【やきそば97】幻の東京万博と晴海客船ターミナル
05日 1141 【麺類色々72】「金ちゃんヌードル」と東京港フェリーターミナル
04日 1140 【保存食品29】元祖「みそピー」と竹芝桟橋
03日 1139 【やきそば96】師走の大選挙と日本一の大夜景‥新宿
02日 1138 【やきそば95】新宿を潰させた男と「極太中華焼きそば」
01日 1137 【江戸六地蔵01】新宿のお地蔵サンは『二丁目』に‥
2012年11月も相変わらずの毎日更新で、以上33本の記事を掲載致しました。拙ブログ内の最大カテゴリー「やきそば」に関する記事が、お陰様で百本を超えました。ですが終わりはチットも見えませんで、一体ドコまで本数が増えるンでございましょうか?「やきそば」ってホント、裾野の広い料理ですねぇ
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「氏神様、大量入荷致しました」って、一体ナンのコト?私ぁ以前からずっと疑問に思って居りましたが、今回遂に真相が解明致しましたヨ。地元の方には至極当たり前の事ナンでしょうが、全国的には珍しいでしょ
狭い様で実は意外と広い日本国。アメリカやらロシア、はたまた中国と比べるから小さく思えるだけで、面積では全世界232ヶ国の中で62番目だから結構大きい方。領海面積も入れますと、ナント世界第9位の大国ナンだってサ。
コレだけ広いと色んな文化の違いが有り、理解し難いソレが多くて実に面白いンですが、茨城と千葉の県境付近で不思議なモンを見付けた私メでございます。ソレは看板で「氏神様、大量入荷致しました」と書いて有る。氏神様?
この看板が立ってるのは、国道51号線と同125号線が分岐するトコ。千葉・香取市と茨城・稲敷市の境目の交差点の前で、厳密に云うと稲敷市の旧東村だったトコ。数年前に二町二村が合併し、稲敷(いなしき)なる市に成った。
私ぁ年に一度ほど、この辺りをバイクツーリングとかで通ったりするンですが、その度に「氏神様、大量入荷致しました」と云う看板に吃驚仰天し、頭の中が疑問符だらけに成る。「氏神様って『入荷する』様なモンじゃ無いでしょ」って。
(許可を得て撮影)コレが「氏神様」だソウでございます。庭先に置く「石造りのお社」で、中にお札を納める為のモノだとか。晩秋に成ると新しいお札に交換し、親戚・縁者が集まって氏神様の前で宴会をするそうナ
本来の意味の「氏神様」とは、一族の祖先神のコトでございますナ。例えば藤原家は春日大社、源氏は男山八幡、平氏は厳島神社だったりする。また伊勢神宮は天皇家の氏神様ですが、日本全体の氏神様ともされて居りますヨ。
最近は「鎮守様」と同意で用いられるコトも多く、地域の守護神をソウ呼んだりもしますナ。でも「大量入荷」って、そんなのお一方居らっしゃれば宜しい筈。ドウしても理解出来ず、その看板を立ててる石材屋サンを訪ねてみました。
事務所に居らっしゃった方も「私メの様な珍入者」にゃ驚かれた様で、戸惑いつつ教えて下さいましたが、千葉北部から茨城南部の利根川流域の農村部では、「氏神様」なる石造りのお社を自宅の庭先に安置するコトが多いとか。
最近は廃れつつ有る習慣だソウですが、根強い需要も有り「大量入荷に到った」様。「東京には無いンでしょうネ」と逆に質問もされましたが、大きな庭を持つ都内の豪邸じゃ「お稲荷さんを祀る」事が多く、氏神様は見ませんねぇ。
「氏神様」の看板から直ぐのトコに、「横利根閘門(こうもん)」なる不思議な施設が在ります。コレは利根川と霞ヶ浦を繋ぐ水路「横利根川」に設けられた、「船用のゲート」でございますナ。どうも利根川の方が水位が高いらしく、そのまま繋げると水が逆流して被害が出かねない。ソコで閘門を使って水位調整してるソウで、同様なモノは「パナマ運河」に多数設置されてますヨ。ご覧の横利根閘門は大正十年(1921)に完成し、今も現役で使われてる「国の重要文化財」。珍しいモンが多い地域です
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★明日は「千葉県香取市佐原」への訪問記です★
(参考リンク)
★「Inashiki City Guide」稲敷市観光協会HP
http://www.inashiki.com/
★「鹿嶋市、神栖市、香取市の墓石・霊園・石材の事なら」笹本石材HP
http://www.sasamotosekizai.com/
★「氏神様、大量入荷致しました。」終着駅へ行ってきます。ブログ
http://aikawa.asablo.jp/blog/2011/08/01/6003161
★「横利根閘門」稲敷市観光協会HP
http://www.inashiki.com/rekisi/yk.html
★「佃煮・煮干の買える店 美浦村・稲敷市」霞ヶ浦北浦水産振興協議会HP
http://www.kasumikita-sinkou.jp/php/index.php?city&city_id=2
(笹本石材東店さま、突然の訪問で失礼致しました。ホント勉強に成りました)
稲敷市は日本第二の大湖「霞ヶ浦」に面し、湖で獲れた小魚を使った佃煮が名物の様。色ンな種類が有って迷いましたが、余りに可愛いンで「小はぜの佃煮」を買って参りました。しらすサイズでも稚魚じゃ無いらしく、こんな小さいのが湖には沢山居る様。「ごろ」とも呼ぶソウですヨ
霞ヶ浦は日本で二番目に広い湖。余りに広過ぎて対岸が良く見えませんが、茨城・旧麻生町の湖岸は暢気そのモノ。ソコで私メもぼんやり雲を眺め乍ら考えた。「麻生首相がもう少し続いて居たら‥日本はもっと」
遂にと云うべきか?やっとと云うべきか?野田首相が衆議院を解散し、師走の総選挙だソウでございますヨ。何処の党に入れて呉れとは申しませんが、どうか投票権は行使して下さいネ。面倒臭がらずに投票には行きましょうネ。
投票して無い奴にゃ「文句を言う資格」は一切無いですヨ。日本の現状に文句を言いたいのなら、投票だけは絶対に行きましょう!そして前回の総選挙であの馬鹿共に投票しちまった方は猛省して、真剣に将来を考えましょうネ。
キレイ事だけほざき廻り、結果的にはナンも出来なかった「嘘吐きで無能ばかり」の現政権与党。恐らくは大惨敗して野に下るでしょうが、一番許せないのは彼奴らじゃ無い。解散の直前直後に与党から脱走してったクズ共ですナ。
信念も信条も全く有ったモンじゃ無い。あのクズ共に比べれば、落選必至を覚悟して現与党から立候補する嘘吐き共の方がまだマシですヨ。出来れば全滅して呉れると私ぁ心のソコから嬉しいンですが、因果応報を思い知りやがれ!
旧麻生町は外様大名の新庄家が、一万石で陣屋を置いた小さな藩。大名と云うより大きな旗本と云った方が判り易いですが、経営は決して楽じゃ無かった筈。現存する家老屋敷は、まるで庄屋さんの家みたいです
茨城県南東部、霞ヶ関の湖畔の「行方(なめかた)市」へ参りました。行方とは難しい読みですが、この辺りの郡名でソレを市名にした。地理マニアとしては実に有難い。何しろ茨城には「つくばみらい市」「小美玉市」と云う悪例が。
平成十七(2005)年に行方郡の三つの町が合併して出来た市でして、その一つに「麻生町」と云うトコが在りましたヨ。江戸時代は一万石の小さな藩が置かれた、霞ヶ浦の水運や漁業等で栄えた人口一万五千ほどの小さな町。
麻生と云うと、自民党最後の宰相「麻生太郎」サンを思い出してしまう私メ。マスゴミのネガティブキャンペーン総攻撃を受け、ソレでも早く解散してたら政権を奪われずに済んだのに、経済の立て直しを優先して敗北した麻生サン。
マスゴミが騒ぐほど何か悪い事してましたか?「世間知らず」なら鳩ポッポ兄の方がよほど著しいわい!無見識な有権者がマスゴミに煽られて、取り返しの付かン事態に成った様な気がすると、霞ヶ浦を眺めながら思った私メです。
残念な事に旧麻生町内じゃ気軽に入れそうな料理屋が見付からず、仕方無しに少し戻って「道の駅」へ行けば、行方市が売り込み中の「行方バーガー」なるモノが‥。新規開発系B級グルメと称するモンは余り好きじゃ無いンですが、背に腹は変えられず、霞ヶ浦特産の鯉のフライが挟まった「こいパックン」を食べちまいました‥ソレじゃ共食いだ。地元の特産野菜もイロイロ挟まってましたが、空腹の所為も有って意外に美味く、コレはコレで良いと考えた私メ。他に「鯰」「豚」「鴨」も有りました
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★明日は「茨城県稲敷市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「弐湖の国なめがた」行方市観光協会HP
http://www.namekan.jp/
★「麻生藩家老屋敷記念館」行方市商工会HP
http://www.nameshoko.com/kankou/siseki/karouyasiki/
★「麻生太郎潰しの正体」国民の知らない反日の実態HP
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/324.html
★「マスコミはどうやら麻生首相の功績は‥」ねぇ知ってた?ブログ
http://xianxian8181.blog73.fc2.com/blog-entry-280.html
★「行方バーガー4兄弟」観光いばらきリレーブログ
http://www.ibarakiguide.jp/blog/?p=3396
(二度目の失敗は国の破滅ですから、どうか真剣に考えて投票を願います)
マスゴミから同じ規模のネガティブキャンペーン総攻撃を食らったら、鳩ポッポ兄は周章狼狽し捲り、スッカラ管は見境無く怒鳴り散らし、野田ドジョウ男は大酒に走ったでしょうが、今思うと‥不当に貶められても懸命に耐え抜いた麻生さんは「ホントの紳士だった」。私メだったら、アレにゃ絶対に耐えられないと思いますが、ソレが上流階級ならではの度量ナンでしょうナ。今でも東京・秋葉原には極めて目立つ場所にこの看板が大々的に設置されてまして、サブカルにも理解を示して呉れた宰相「太郎ちゃん」を応援してます。今度の総選挙で安部元首相が復権するでしょうが、天皇陛下と義兄弟の麻生さんの復権は無いンでしょうか?
総社市の「日照山(備中)国分寺」は、天平年間(約千二百七十年前)に聖武天皇が全国に建てさせた、国分寺の生き残り。一旦は廃寺に成ってたソウですが、戦国時代に「清水宗治(豊臣秀吉公により、有名な『備中高松城の水攻め』をされた毛利家の猛将)」公が再興させたンだとか。へぇ〜
岡山・総社市へ来て居ります。「總社」なる神社が在り、それが市名の由来に成ってると説明しただけで昨日の記事は終わっちまいましたが、この街はソレ以外にも興味深いモンが沢山ございますヨ。何しろ古い歴史を抱えてます。
現在の岡山県全てと広島県東部、ソレに兵庫県のごく一部と香川県のごく一部は元々「一つの国」でして、ソレを「吉備国(きびのくに)」と称します。古墳時代、まだ日本の国が一つに成ってない頃、ココは強くて大きな国だった。
近畿・山陰・九州にそれぞれ強い国が在り、それぞれ好き勝手な事をやってたンですが、やがて合従連衡して大きな国を作る流れに。吉備国は近畿のヤマト朝廷と連合を組んで周囲を制圧してったンですが、内部対立が起きます。
「中央集権」を目指すヤマト朝廷と、「地域分権」を唱える吉備国じゃ上手く行かず、最終的には武力衝突!力の優るヤマトが勝利を収め、現在の天皇家に繋がる事と成る訳でござンすナ。総社市周辺は吉備国の夢の跡が沢山。
備中国分寺の境内にゃ、ご覧の立派な五重塔が建ってます。元々は七重塔(奈良時代のモノだったとか)が建ってたらしいンですが焼失し、江戸時代後期に建て直されたモノ。岡山県内唯一の五重塔で、他に高い建物も無いンで、遠くからも目立つコト目立つコト。国の重要文化財ですヨ
何しろ巨大な古墳が沢山在る。全国でも有数の規模の前方後円墳が幾つも在るらしい。ソレだけじゃ無い、桃太郎がサル・キジ・イヌを連れて攻め込んだ「鬼ヶ城」が惣社の街にゃ在ったりする。いや街中じゃ無く、山の上にですが。
古代の日本列島は古代の朝鮮半島と極めて仲が良く、ほぼ同じ民族だったと申しますヨ。ただ半島に居た高麗人や百済人は、シベリアから南下して来たツングース系民族に駆逐され、列島に逃げ込んだと云う説が有力ですナ。
吉備国を頼って逃げて来た百済王朝の皇子は、「温羅(うら)」と名乗って総社市近郊の山の上に城を築き、製鉄や製塩の技術を伝えて吉備国を繁栄させたとか。当然、ヤマト朝廷にゃドウにも都合が悪い「ほな、やっつけたれ!」。
で、桃太郎を送り込んだ‥。桃太郎とは個人の名前ゃ無く、征服軍の象徴と云う事ナンでしょうナ。そして(ヤマトから見た)逆賊の象徴「温羅」は、「悪い鬼」扱いされる事に成ったンでは無いか‥と云う説が、総社には有る様です。
備中国分寺から北の方を見れば、「鬼城山(きじょうさん)」なる山が在りますが、ココに「鬼ヶ城」が在ったンだとか。稜線の右肩の白く見えるトコがソレだそうで、遺構が復元されてる様ですが、今回は時間が無くて断念!国分寺よりも古い時代の山城らしいンですが、古文書に記載されてませんで‥ハテ?古代の事は判らン事が多過ぎて、正直ドウだったのか「講釈師見た来た様な」的なロマンスが駆り立てられますねぇ
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★明日は「茨城県行方市麻生町」への訪問記です★
(参考リンク)
★「時空を超えるロマン 古代吉備王国」総社市観光ガイド・総社市役所HP
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko/kanko_info/kanko_info_top.jsp
★「備中国分寺」総社市観光ガイド・総社市役所HP
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko/kankochi/kokubunji.jsp
★「鬼ノ城」総社市観光ガイド・総社市役所HP
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko/kankochi/kinojo.jsp
★「新説・温羅伝説」国民宿舎サンロード吉備路HP
http://www.sunroad-kibiji.com/sinsetu_ura.html
★「ピーナッツ豆腐は地域限定商品だった」小野須磨子のごごいちラジオ・ブログ
http://blog.livedoor.jp/egao_sumako_828/archives/50874801.html
(歴史と云うのは常に勝った側のモノで、負けた側のは良く判らないンですヨ)
総社市を含む旧「備中国」の中でも、倉敷・総社市ぐらいでしか売られて居ないと云う、超ローカル食「ピーナッツ豆腐」。主な材料は落花生と澱粉と葛粉で、胡麻豆腐よりも遥かにモッチモチ!落花生の仄かな香りと甘さが生かされ、生醤油あるいはダシ醤油をブッ掛けて食べると「実に美味い」。半世紀ほど前から存在するらしく、二玉単位で売られてます
総社市の「総社宮」の鳥居の前に、随分レトロな洋風建物が‥。コレは明治四十三年(1910)に建築された「旧総社警察署」の庁舎で、現在は「まちかど資料館」として地域の歴史や伝統産業の展示場に成ってます
岡山県の旅はもう少し続きます。山ン中の津山市から再び平野へ降り、参りましたのは総社市。古くは「旧備中国(岡山県南西部)」の国府が置かれてたトコで、その関係からソウ称してる街でございますヨ。総社がココに在るのネ。
その総社てぇのは、簡単に言えば「神社の格付け」ですナ。お寺に「本山」だの「大本山」だのと云う格付けが在る様に、神社にも「一宮」だの「二宮」だのと云った格付けが‥。一宮は「旧国ごとの単位」で一番エライとされる神社。
処がお寺に「別格本山」が在る様に、神社にも「総社」と云う別系統の格付けが在ったりするからヤヤコシイ。昔々、京都から旧国ごとに「国司(今で云う県知事サン)」として派遣されていたお公家サン達は、基本的に不真面目です。
「国司を務めてる間に財産を増やしたい」のが主な目的で、本来しなくちゃ成らない勤務すら面倒臭いネ。そんな勤務の一つに「天皇家の代理として国中の神社へお参りする」と云うのが在るけれど、もっと簡単な方法は無いかナ?
「まちかど資料館」横の鳥居を潜りますと、本殿までの結構な距離の参道がご覧の通りの回廊に成ってまして、ちょうど雨が降り始めたモンだから、ホント助かりました。岡山県の神社は回廊付きが好きみたいです
具体的に誰だったか判りませんが、「国中を一々歩いてお参りに行くのは面倒臭いナ」と考えて、「そうだ!コッチから出向くのを止めて、神社を国府の近くに移させてしまえ。ソウしたら一々お参りに行かなくて済む」と言い出した。
如何にお偉いサンでもコレは無理で、神社てぇのは意味が有って方々に鎮座してンだから、移転なんか簡単にゃ出来ません。ソコで妥協策として「ならば出張所みたいな分社を国府の近くに集めよう!ソレをお参りして済まそう」。
こうして方々の分社を一ヶ所に集めたンですが、コレがお公家サン社会で評判に成ったのか?似た様なモンが旧国ごとに造られるコトに。一宮に併設されたのも在りますが、大抵のトコは新たな神社を建てた。ソレが「総社」です。
つまり手抜きの産物だったりするンですが、現存するトコは結構な崇拝を集めてますヨ。ココも旧国府の街して誇りを持ち、現存しない国府より現存する総社の方が大切と、全国唯一「総社」を全面に押し立てた市名を名乗ってます。
総社市の象徴「備中総社宮(正式名称は、ただ単に『總社』)」。大化の改新(西暦646年)の頃の創建と称しますからエライ昔で、ココにゃ主だった神様・そのほか合計で、三百二十四柱もの神様が居らっしゃる様です
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★明日も「岡山県総社市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「つないでつないでSojaをつなぐそうじゃ」総社市観光協会HP
http://soja-kankou.com/
★「總社宮は備中国324社をお祀りしている神社です」備中国総社宮HP
http://www7.ocn.ne.jp/~bi-soja/
★「全国總社・全国惣社一覧」玄松子の記憶HP
http://www.genbu.net/engi/soujya.htm
★「まちかど郷土館」総社市役所HP
http://www.city.soja.okayama.jp/shisetsu/bunka/machikado.jsp
★「トングウ(総社市)」和と散歩ブログ
http://waseikatu.exblog.jp/10910280/
★「総社と言えばトングウのパン」イチマンネット!のブログ
http://ichimannet.blog.so-net.ne.jp/2011-01-23
(国府が機能してたのは平安中期までかナ?総社も価値を無くして行きます)
JR伯備線「総社駅」前に、総社市民の殆どが学校給食でお世話に成ったと云う、創業から八十数年の老舗製パン屋「トングウ(頓宮さんが経営してます)」が在りますヨ。中国・四国地方の老舗パン屋さんの例に漏れず、ココにも不思議なコッペパンが多数有りましたが、ソレよりも名物は「上あんぱん」。あんぱんと云ってもシナモン風味の揚げパンで、モッチモチのパン生地にたっぷりの漉し餡。私メがコレまで食べた揚げパンの中で、五本の指に確実に入る上出来で、ほんとコレは美味いです!東京でも売って呉れンかなぁ。でも岡山県は東京にアンテナショップを出してない「消極的な県」だから、恐らく無理でしょうネ。ホント勿体無いナ
「津山城(鶴山城)」の本丸は、麓から五十mの山の上。頑張って登ってみたら天守閣等は明治期に破却され、建ってるのは平成十七(2005)年に復元の「備中櫓」のみ。遠目にはコレが天守閣に見えたンですが
中国・四国地方のブラブラ旅は続いてます。昨日まで海沿いの街ばかり訪ねてましたが、今日は岡山県の山ン中に在る城下町。「美作(みまさか)地方」最大の街・津山市でございます。私ぁ昨秋に続いての訪問で、あぁ久し振り。
地元の方にゃ怒られちゃいますが、私ぁ津山があんなに立派な街だと全く知りませんで、昨秋は吃驚するコトだらけ。余りに吃驚し過ぎて疲れ果て、市街地の中心に聳える鶴山なる丘の上に建つ「津山城」を登るのを断念した位。
今回はそのリベンジみたいなモノで、是非ともお城を登ってやる!津山を上から眺めてやる!きっと絶景に違いない‥と気合を入れて乗り込んだンでございますヨ。処が晩秋のお天気は全く気紛れで、雨が降り出して来やがった。
津山城は麓に家来達の屋敷を配置し、山の頂上に本丸が在ると云う「平山形式」で、絶景を眺めながら大見得を切る為にゃ、如何しても石階段を登らにゃ成らぬ。ですが降り出した雨でツルツル滑るンで、へっぴり腰で登る私メだ。
本丸天守台から眺めて見れば、津山市街地の西半分が一望に。戦前はココに模造の小さな天守閣が設置されてたらしいンですが、空襲の目標に成ると云うので壊されてしまったとか。再築は難しいンでしょうか?
織田信長公のご家来で一番の猛将と謳われたのは、「森武蔵守長可(ながよし)」と云う若武者ですナ。余りに勇猛果敢で「鬼武蔵」と云う仇名の方が有名ですが、若者なれども織田軍の切り込み隊長的存在で、天下無敵を誇った。
その弟が信長公の小姓として有名な「森蘭丸」「坊丸」「力丸」の三人で、本能寺の変で主君と共に討ち死にして居りますヨ。また兄の鬼武蔵も「小牧・長久手の合戦」で徳川家本軍に突撃し、僅か二十七歳で討ち死にしてます。
この兄弟の末弟が「森忠政」公。この方も森家らしい乱暴な逸話に満ちてまして、いざ語り出すと半日は掛っちまうンですが、兄達の遺領を継いで豊臣家・徳川家と主君を巧みに乗り換えて、最後は津山で十八万六千石の大名に。
その忠政公が心血を注いで造ったのが、「津山城」。余りに立派で巨大な天守閣を建て、幕府から叱られたナンて逸話まで有りますネ。往時は大名の城としては、日本で三番目に大きかったとか。成る程、確かに草臥れましたゼ。
お城の東麓、出雲街道沿いには「城東町並み保存地区」と云う、古い建物が並ぶ地域が在ります。前回はココを明るい内に訪ねたンですが、今回は日が暮れちゃってまして‥。でも黄昏の町並みも素敵なモンでした
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★明日は「岡山県総社市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「津山navi」津山市観光協会HP
http://www.tsuyamakan.jp/
★「津山”来んちゃい”観光Net」津山市役所観光振興課HP
http://www.tsuyama-kanko.jp/
★「津山城(鶴山公園)」津山市役所観光振興課HP
http://www.tsuyama-kanko.jp/sp_data/tu.html
★「城東地区」津山市役所観光振興課HP
http://www.tsuyama-kanko.jp/sp_data/jt.html
★「フジタのパン・洋菓子」らんランチ・ブログ
http://yaplog.jp/lunlunch2/archive/743
(関連する記事)
★「391 【名物パン33】久世町で懐旧!三丁目の夕陽だ」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=399
★「776 【やきそば45】宮本武蔵と津山『ホルモンうどん』」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=846
★「777 【やきそば46】古い街並と津山『塩ホルモンうどん』」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=847
★「871 【名物パン66】世界遺産・平泉と『ポップヒットバニラ』」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=907
(中国山地は雪が結構多く、津山もまもなく厳しい季節の到来でございます)
数年前に西隣りの真庭市で購入したコトの有る、津山の老舗「藤田製パン」のコッペパン群に再会した私メ。中国・四国地方は懐かしい感じが溢れるコッペパンが方々に有りまして、津山でも当然の様に買って参りましたヨ。前回と被らん様に気を付けて、「コーヒーロール」と「カスタードクリームロール」の二本にしましたが、「カスタード‥」が大変な逸品!「昔風のシュークリームに入ってた甘いカスタード」がコッペの中にたっぷり塗られてまして、「製造当日中に食って呉れ」と云うコッペパンと思えぬ足の早さ!真冬の岩手県で「当日のみ」と云うコッペパンを買った事が有りましたが、岡山にもそんな物騒なモンが在ったとは‥。シュークリームよりコッチの方が、たっぷり食えて嬉しいと思った私メです
一説では「祇園祭で有名な京都の八坂神社」は、ココから分祀されたモノだとか‥鞆の浦の鎮守さま「沼名前(ぬなくま)神社」。今から千八百年ほど前に、三韓征伐で有名な猛女・神功皇后サマがお建てに成った様
広島・福山市の南端の港町「鞆の浦」を訪ねて居ります。以前はソレ程でも無かったのに、最近の鞆の街は大潮の度に高潮被害に遭うコトが増えたソウでして、この日も海水が港から溢れ出して来たンで、山の方へ逃げましょうか。
もちろん山登りする訳じゃ無く、街の後背の山の麓にゃお寺や神社が建ち並んでますンで、ソッチの方へブラブラ行っただけですが、鎮守様たる「沼名前神社」の御本殿前に立てば、実に見事なパノラマで「海が良く見えらぁナ」。
海の方からもこの神社(の裏山)が良く見えてるンでしょうが、今と違って海図もロランもGPSも無かった昔の船乗りは、沿岸に見える「山の形」だけが頼りだったとか。「山の形」を全て記憶して、ソレで現在居る場所を判断して居た。
そして適当な入り江や港に入って順風を待ったり、或いは強風を遣り過したりして航海を続けたンですが、鞆の浦は神話の頃から「潮待ちの港」として栄えた街。何しろココは瀬戸内海のちょうど真ン中で、都合が良かったンでしょう。
沼名前神社の御本殿前からは、ご覧のパノラマが‥。日本史の様々な転換点と成った鞆の港には、古くから大勢の英雄・有名人が立ち寄ってますが、皆さんこの眺めをご覧に成ったンでしょうナ。いやぁ絶景かな!
船が多く寄港すればソレ相手の商売が栄え、また物資の集積場として人も集まって来る。住人が増えれば歴史が生まれ、ココは日本史にも結構出て来るンですヨ。例えば万葉集には、鞆の浦で詠まれた句が幾つも含まれてます。
遣隋使・遣唐使はココで都文化との別れを惜しみ、源氏と平氏はココを奪い合った。また足利尊氏公はココで室町幕府成立への院宣を賜って京都へ攻め上がり、同じ室町幕府は戦国末期に京都から追放されてココで正式消滅。
江戸初頭には最後の鞆城主「大崎玄蕃」が豊臣家滅亡の口火を切り、幕末には坂本竜馬なるペテン師が紀州藩相手に詐欺行為を働き、ソレで得た軍資金を元手に倒幕を‥。特に大崎玄蕃は講談で読むンで、私ぁ馴染み深い。
処が鉄道が開通して沿岸海運は衰退し、鞆の浦は時代から忘れられちまった。でも忘れられてたから?昔のモンが随分残ってて、今は観光客が結構集まってます。でも倉敷や尾道に比べると静かなモンで、ソコが良いンですヨ。
ホント狭い港町なんですが、街中に一歩入れば豪勢な建物が建ち並んでます。コレが関東だったら大観光地に成ってる筈ですが、同様なモンの多い西日本じゃ珍しくないのかナ?チョット勿体無い気もしますが‥
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★明日は「岡山県津山市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「鞆の浦史跡巡り」福山市観光協会HP
http://www.fukuyama-kanko.com/course/course007.html
★「ようこそ鞆の祇園さんへ」沼名前神社HP
http://tomo-gionsan.com/
★「鞆の浦ズームアップ」明王台オーディオ&パソコン研究会HP
http://itc.main.jp/mike_photo/zoom-tomonoura.html
★「国立公園鞆の浦名産 十六味保命酒」入江豊三郎本店HP
http://www.iriehonten.jp/
★「鯛ちくわの体験が出来る」鯛匠の郷・阿藻珍味HP
http://www.amochinmi.com/
(関連する記事)
★「550 【お魚料理28】鞆ノ浦で滅んだ幕府と英雄」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=510
(もう少し賑やかに成って欲しい様な‥欲しくない様な、私ぁ複雑な気分です)
鞆の名物数々あれど、まず第一に上がるは「保命酒(ほうめいしゅ)」か。養命酒に良く似た薬用酒で、江戸時代初期から鞆だけで醸造され続ける甘〜いお酒。ペリー提督が黒船を率いて浦賀に押し掛けて来た際、日本を代表する酒として出されたのは有名なお話。何しろ本味醂とほぼ同じ製法でして、私ぁ正直「保命酒の酒かす」の方が好きですナ。ソレに合せますのは、鞆をはじめ福山周辺だけの魚肉揚げ物「柿天」。福山出身の我が女房ドノに聞きますと「珍しくない!」ソウですが、ナゼ魚肉の練り物を干し柿風に成形して油で揚げ、ご丁寧にヘタみたいな串を刺すのかは判らないとのコト。昔から在ったソウで、鞆を本拠に「尾道ラーメンを全国へ売った」阿藻珍味サンの「鯛匠の郷」なる体験工場で買って参りました。因みに名前は「柿天」ですが、少しも甘くは有りません
鞆の浦のシンボル「常夜灯(画像中心に見えてる石燈篭のコトです)」を、港越しに眺めて見ました。訪ねた日は「大潮」で水位が異常に高く、この一時間後には高潮に成って溢れ出し、港近くは浸ってしまいましたヨ
中国・四国地方をフラつく私メでございます。寄席芸人としての格が「二つ目」だった頃は余りご縁が無かったンですが、「真打ち」に昇進してからは随分参る様に成りました。コリャ広島・福山市出身の嫁さんを貰った所為でしょうナ。
JFE(旧日本鋼管)の城下町で転勤組の東日本人が多いからか?間違い無く西日本なのに私メら東夷にも居心地が凄ぶる良く、私ぁすっかり馴染んでしまいましたヨ。流石に講釈師と云う商売上、福山に住むのは無理でしょうケド。
出来れば頻繁に帰りたい(こう云う表現をしたく成ります)ンですが、東京からは約八百kmの彼方。交通費が高過ぎますンで「福山の誰方か、お仕事で呼んで下さいません?」。普段以上に心を込めて一席読まさして貰いますンで。
さて福山に今回帰ったのは、身内に喜び事が有ったから。いやぁ実に目出度い、お幸せに。でも折角帰ったからにゃ、何処かへフラフラ出かけましょうか。で‥参りましたのは、市内南端の港町「鞆の浦」。遣隋使以前からの港だ。
鞆の沖合いに浮かぶ「仙酔島」を眺めるなら、高台に建つ「海岸山福禅寺」の客殿「対潮楼(たいちょうろう)」が一番キレイ!朝鮮通信使向けの迎賓館で、連中は余りの絶景に「日東第一形勝」と大絶賛したンだとか
鞆の浦は何度もご紹介してますが、瀬戸内海のちょうど真ん中に在る「潮待ちの港」。魏志倭人伝に出て来る「投馬(とうま)国」がココだったと推定され、その頃から江戸時代まで「瀬戸内海最大の要衝」として栄えてたらしいトコ。
中世までは日本の歴史に大きく関ってたトコでして、詳しいコトは明日ご案内致しますが、とにかく昔は凄い港町だった。ですが今は静かな観光地で、判り易く言えば‥ジブリアニメの「崖の上のポニョ」の舞台に成ったトコですヨ。
思い起こせば「ポニョ」は勢いだけで伏線が殆ど無く、考えれば考えるほど意味が判らンと云う怪作でしたが、鞆と思しき街が津波に飲み込まれて行くトコが余りに印象的で、震災後はその為に暫くTV放映とかされませんでしたナ。
最近に成って規制が外れたか?放映される様に成りましたが‥。でも鞆の浦は瀬戸内海のちょうど真ん中で、「日本で一番津波に襲われる可能性の低いトコ」だとか。処が高潮被害は多いらしく、確かにこの日も海が溢れてました。
この時点では堤防の「防潮扉」が役に立ってたンですが、やがて排水溝から逆流して溢れ出し、港沿いの道はすっかり水浸し。コレが結構起きるってンですから‥。以前に比べて水位は確実に上昇してるソウですヨ
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★明日も「広島県福山市鞆の浦」への訪問記です★
(参考リンク)
★「日本でもっとも癒される港町」鞆物語HP
http://tomomonogatari.com/
★「国史跡 対潮楼」海岸山福禅寺HP
http://ww7.enjoy.ne.jp/~taichorou/
★「鞆の浦 高潮浸水被害」鞆の浦写真倶楽部ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/koji0420207/29672875.html
★「崖の上のポニョ」スタジオジブリ公式HP
http://www.ghibli.jp/ponyo/
★「愛されて65年 鞆・村上製パン所」鞆の浦写真倶楽部HP
http://blogs.yahoo.co.jp/koji0420207/30563201.html
(関連する記事)
★「551 【お魚料理29】鞆問題から外野は手を引け!」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=511
★「1101 【お魚料理61】瀬戸内の小魚『いしかべり』と朝鮮通信使」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1186
(震災以来ドッカに消えちゃいましたが、地球温暖化の影響ナンでしょうか?)
鞆は古くて懐かしいモンが沢山有る街でして、車同士のスレ違いが大変な騒ぎの「細過ぎるメイン道路」を抜けて行くと、街の西外れに「村上製パン所」と云う古くからのパン屋サンが在りますヨ。ココも懐かしく感じる味が沢山有りまして、取り敢えず今回はご覧の二品を。下の「アブラパン」は漉餡入りの揚げドーナツですが、少しも油っぽく無いから不思議。そしてバタークリームの挟まったコッペパンは全体的にほんのり甘く、「昔のパンってこうだったねぇ」とタイムトリップさせて呉れますヨ。ソレにパッケージデザインが昔そのままで素晴らしく、ホント昭和!因みに鞆の街が分裂寸前まで行った「バイパス問題」は、後背の山ン中をトンネルでブチ抜く事に決まりまして、少しはスレ違いが楽に成るかナ?
第699回放送は第三金曜日の定例ゲスト「鴻巣市役所商工観光課」から、相上サンにご出演戴きました。勤労感謝の日に埼玉・草加市で開催される、「埼玉B級ご当地グルメ王決定戦」について話して貰いましたヨ
ご縁有って平成十一年春より毎週金曜日のお昼、埼玉県鴻巣市のコミュニティーFM放送局「フラワーラジオ」で、二時間の生番組を担当させて貰ってます。「継続は力」でして、気付けば同局で最長寿の番組と相成りました・・。
FM鴻巣フラワーラジオ★こうのすフラワータイムなぞの金曜日
2012/11/16(金)12:00〜14:00 第699回放送
この日「衆議院が解散」される事が成ってまして、何時でも速報できる体制で居りましたのに、番組中には間に合いませんでしたナ。「政権交代」と云う大実験が大失敗に終わった今、真剣に「政治」に向かい合いたいモンですねぇ
選曲テーマ 「今年も残り僅か‥後悔する唄」
1曲目:さだ まさし/主 人 公
2曲目:ハナ肇とクレイジーキャッツ/こりゃシャクだった
3曲目:スターダストレビュー/何やってんだろう
4曲目:M e n’s 5/ワン・モア・チャンス (今月の唄として)
5曲目:平松 愛理/戻れない道
6曲目:来生 たかお/風の気持ち
7曲目:(時間がなくて掛けられませんでした)
8曲目:ハイファイセット/君を行かせて 〜I was a fool〜
9曲目: 風 /君と歩いた青春
平成11年3月の放送開始から十二年半かけて、遂に700回目の放送に到達致しました。フラワー局では開局以来の「現役最古・最長不倒番組」で、自分でもよぅもまぁ続いて来たモンだと驚くばかりですが、取り敢えず800回を目指してまだまだ続ける心算ですンで、何とぞ宜しくお願い申し上げます。全て皆さま方からのご声援のお陰でございますナ
さて記念の放送回ですが、珍しくゲストが居ませんでしたンで、前週の番組で話題に成った「埼玉B級ご当地グルメ王決定戦」に出場中の鴻巣チームに電話中継を願い、生憎のお天気の中から奮戦中の模様を紹介して貰いました(結果は3位だったそうナ)。さて鴻巣市内某所で撮影致しましたが、銀杏が少しずつ色づいて参りましたネ。東京は未だですが
FM鴻巣フラワーラジオ★こうのすフラワータイムなぞの金曜日
2012/11/23(金)12:00〜14:00 第700回放送
ラジオ稼業は辛いモンでございまして、例え祝日だろうとナンだろうと一切関係なく、折角の「勤労感謝の日」なのに誰からも感謝されず、記念放送回なのに普段通りの放送でござンすヨ。ま、他の日に私ぁ休ませて貰いますが。
選曲テーマ 「良うもまぁ長々と働いて参りましたネ‥働く唄」
1曲目:岡本 真夜/Help me
2曲目:山本 正之/熱血九州男児の唄
3曲目:辛島美登里/恋も仕事も
4曲目:M e n’s 5/ワン・モア・チャンス (今月の唄として)
5曲目:山本 潤子/C o o l
6曲目:K A N/ひざまくら
7曲目:(時間がなくて掛けられませんでした)
8曲目:大貫 妙子/突然の贈りもの 〜Acostic Version〜
9曲目:スターダストレビュー/無難に生きてますか
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(参考リンク)
★「FMこうのすフラワーラジオ」フラワーコミュニティ放送HP
http://www.fm767.com/top.html
★「全国のコミュニティFMがインターネットで聞けます」サイマルラジオHP
http://www.simulradio.jp/
★「第10回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦」ちょこたび埼玉HP
http://www.sainokuni-kanko.jp/?page_id=63
★「宮史郎」日本コロムビアによる公式HP
http://columbia.jp/artist-info/miya/
★「『ぴんからトリオ』絶滅の日..」日日是口実ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/torazou/diary/201211190000/
[この曲を聴いて貰いたい!43曲目]
日本の音楽史上、一番売れた曲が「泳げたいやき君」なのは有名なお話ですが、じゃ二番目は?と云うと「女のみち」で、公称四百万枚!オリコン史上唯一の二年連続チャート年間シングル第一位で、只今全盛のAKB48が寄って集っても届かない、途轍も無い大ヒット!唄ったのは「ぴんからトリオ」の皆さんで、最初は昭和四十六年(1971)に発売され、翌年から一世風靡した曲ですヨ。その頃の私メはまだ豚児でしたから当時の事は良く覚えていませんが、ソレでもこの曲は知ってます。
そのリードボーカル「宮史郎」さんが、先日亡くなられました。ぴんからの皆さんは大阪の演芸場出身のグループで、元々は音曲漫才をやってらっしゃった芸界の大先輩。私メら東京の寄席芸では、高座に最初に上がる人を「サラクチ」と申しますが(前座は別扱い)、向うの色物さんは「ピン」と仰るらしく、「ピン」から「トリ(最後に上がる主役芸人)」に成りたいと云うので、「ぴんから」と名付けたのは有名なお話。グループ結成十周年記念の僅か三百枚の自主制作版だったのが有線放送で火が付き、大手レコード会社による全国発売に繋がって大ヒットと成ったンですが、ホント清々しいまでの「ド演歌」。宮史郎さんの素晴らしいルックスと相まって、堂々とトリを取れるグループ・歌い手さんに成られた訳ですナ。
トリオの中で宮史郎さんだけが唯一頑張ってらっしゃいましたが、コレでぴんからも完全に消滅でございますヨ。同じ様な歌謡漫談系ド演歌グループは、コレで「殿さまキングス(時々再結成してます)」だけに成っちまいましたが、後継者は現れないモンでしょうか?絶滅スレスレの講釈師が心配する問題じゃ有りませんが、偉大なる「ぴんからトリオ」に合掌!
美観地区のちょうど真ン中、倉敷川に架かる「中橋」辺り。この橋は明治十年に架けられた石造りで、橋桁が一枚石と云う豪気なモン。向うのなまこ壁は「倉敷考古館」で、江戸後期の商家の土蔵を改装したモノ
全面アーケード付きの駅前商店街から、古い建物が軒を並べる中松・東町界隈を歩き抜け、岡山・倉敷市で一番の観光地「美観地区」へ辿り着いた私メでございます。全く以て運悪く、この日は雨が盛大に降り続いて居りました。
ま、晩秋のお天気は不安定な事が多く、予め覚悟と用意をしての訪問だから大して困って無いンですが。むしろ観光客の数が少なくて、歩き易くて都合が良い位かも知れませんヨ。何しろ美観地区は中国地方有数の観光地だしネ。
美観地区辺りは江戸時代、幕府が直接支配してた「御料地」だったトコ。コレを「天領」と称したがる人が居ますが、天領とは明治に成って旧幕府領を天皇家が暫定支配した時の用語だから、厳密に言うと違います。笑われますナ。
ソレはさて置き、幕府支配地は大名領と違って規制が緩く、税金も緩かった。また幕府から派遣された代官衆は皆(江戸に戻ってからの出世の為に)善政を心掛けてたンで、大きく栄えるのが当たり前。悪代官なんて滅多に居らん。
倉敷川に沿って、豪勢な商家造りの建物が並ンでます。同じ倉敷でも中町・東町界隈と違って家々の間隔が広く、また建物自体が大きいンで雰囲気は随分異なりますナ。但しコッチは団体客が大勢で来てて喧しい
現在の美観地区界隈は倉敷代官所のお膝元で、倉敷川と云う運河を掘って海と直接繋がり、年貢米の集積地として商人が大いに優遇され、米蔵が建ち並んでたとか。「倉屋敷の在るトコ」から倉敷に成ったナンぞと申しますネ。
ソレが明治以降「紡績業」で栄え、川沿いにゃ豪勢な建物が居並んだ。処が時は流れ、経済構造が変化して戦後、紡績は産業の花形じゃ無く成っちまった。川沿いの豪華な店や屋敷群は朽ち果ててくばかり。この儘じゃ駄目だ!
他所と違って先見性の有る人達が居て「壊すのは簡単だけど‥敢えて街を護ろう」と、昭和四十四年(1969)に条例を作り、高度成長期なのに古い街並みを残すコトに。コレは実に凄い事です!他所より動くのが二〜三十年早い。
その数年後に旧国鉄「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まり、全国に知られる事に‥。でも街並みが保存されたと云うより、もはや映画セットみたいな観光地と化した美観地区。ナニか違う様で、違和感だらけの私メでした。
かつての代官所跡は「倉敷紡績(現:クラボウ)の工場」を経て、現在はアイビースクエアと云う煉瓦造りの大きなホテルに成ってます。処がその前の建物の屋根に、ご覧の通りに「ビクター犬(愛称:ニッパー)」が沢山並んでまして‥。ドウやらココは骨董屋らしく、店内にもニッパーが沢山並んでるンだとか。因みにニッパーはレコードが発明された頃にアメリカに実在した犬で、大好きだったご主人様の遺声が聞こえると、蓄音機のラッパ型スピーカーを毎日覗き込んでたと云う、涙涙の逸話ナンですヨ
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★明日は「広島県福山市」への訪問記です★
(参考リンク)
★「倉敷まち案内」倉敷観光案内くらしき.com HP
http://kurashiki-kankou.com/
★「倉敷美観地区 案内図」白壁とおとぎの国 倉敷HP
http://www.geocities.jp/komu0955/bikantiku/bikanannaizu.html
★「倉敷美観地区の町並保存」倉敷観光コンベンションビューローHP
http://kankou-kurashiki.jp/project/_kurashiki/machinami.htm
★「倉敷でプライスレス」日々モリー 〜Mollyな毎日〜 ブログ
http://mollys.ko-me.com/Entry/106/
★「倉敷名物 元祖むらすずめ」橘香堂HP
http://kikkodo.com/
★「倉敷美観地区でジャンボむらすずめ」おかやま女子旅ブログ
http://blog.okayama-kanko.jp/tabi/2011/10/post-729d.html
(関連する記事)
★「1065 【団子饅頭44】テクノスーパーライナーと『藤戸饅頭』」
http://rifuh.jugem.jp/?eid=1135
(横浜中華街が観光地化した時と似た様な、妙な苛立ち感を覚えるンですヨ)
倉敷を代表する「甘いモノ」と云えば、以前ご紹介した「藤戸饅頭」がご覧の「むらすずめ」ナンだとか。厚いクレープ生地で餡子を包んだ、餃子と大きさと格好が良く似た「むらすずめ」は、美観地区でも盛大に売られてましたネ。特に直売店じゃ自分で焼く体験が出来るソウで、中学生以上には七倍サイズの「ジャンボむらすずめ」も焼かせて呉れるらしいです